土着と愛着
真鍋太一さん連載「“小さな食料政策” 進行中」第1回
2018.07.06
photographs by Taichi Manabe, Food Hub Project
連載:真鍋太一さん連載
根なし草
徳島県 神山町に東京から家族で移住して5年目。
最近、人に会う機会が増えて、東京から田舎に引っ越した理由を幾度となく聞かれる。
とりとめのない答え方をしたり、取材などの文脈に沿った答え方をしている自分がいる。
田舎への移住を決める時には、たいてい色々な場所を訪ね、たくさんの人に会い、そして悩むので、その理由はひとつではなく、いくつかあると思う。(少なくとも自分はそうだった)
東京で10年以上働いて思ったのは、自分は、この土地に根を張ることができないんだということ。
2012年に Nomadic Kitchen という食のプロジェクトを東京の料理人たちとはじめ、支配人(雑用係)という立場でいろいろな地域の方と関わるようになり、その感覚は更に顕在化した。
誤解しないでほしいのは、東京という場所も、そこで生まれ育った人にとってはローカルのひとつであり実際に、東京をベースに活き活きと働き、暮らす友人は何人もいる。
でも、食という文脈に関わるようになって、料理人でもなくレストランも持たない自分のような立場の人間にとっては、東京で働き、暮らすということは、巨大な水耕栽培システムの上で育つ根無し草のようで、そこに根を張り生きているという実感がもてなかった。
だから、田舎に引っ越したかった理由としては、食という活動を通じて、土地にしっかり根付いて生きてみたかった。
そして、神山が根を張れそうな場所だったということになる。
神山でビールができた。
その名も「KAMIYAMA BEER」(そのまんまの名前)。
手がけたのはアイリッシュのマヌスとパートナーのさやかさん。
彼らは、オランダから神山町に移住し夫妻でブルワリーを始めた。
2018年4月からの酒税法改正もあり、彼らは急ピッチで準備を進め、マイクロよりも更に小さいナノブルワリー(自称)という超少量生産の醸造所の立ち上げにこぎつけた。
私は酒税法にあまり詳しくないのだが(言い訳)改正前の話でいうと、ビールと発泡酒では、それぞれ年間最低製造量が異なっており(ビールは60kリットル以上、発泡酒は6kリットル以上)、小さな資本でも、果実やハーブを原料に使うことで発泡酒のカテゴリーになるため、「KAMIYAMA BEER」も少ない製造量で起業することができた。
しかし改正後は、表向きは「規制緩和」という口調で、ビールの原料の幅が広がり、それまで発泡酒のカテゴリーだったものがビールになった。
なら、発泡酒じゃなくて、ちゃんとビールとして売り出せるね!と一瞬なるが、巡り巡って、新しい法律だと 60kリットル以上の製造量が必要になる。
よって、比較的大きな資本と販路がないと、ブルワリーは立ち上げられなくなった。
マヌス達の「KAMIYAMA BEER」は、ギリギリのタイミングで小さなつくり手の仲間に加わることになった。
現在、「KAMIYAMA BEER」では、4種類のビールを醸造している。
そのひとつに、私たち(フードハブ・プロジェクト)が昨年復活させた「自称:神山小麦」を使ってくれている。
フードハブ農業長の実家に70年以上継がれてきたもので名前すらわからない小麦だが、この土地の気候にあっているのかすくすくと育つ。
昔は味噌や醤油用に育てられていた小麦を復活させ、今年は500kgの収穫があった。
この小麦を使ったビールが売れると地元の小麦生産者の支援にもなる。
そんな経済の循環が地域内で生まれつつある。
また、神山の名産品すだちなどの季節の柑橘を使ったビールづくりも始まっている。
これこそ、小さなつくり手だからこそ可能な、土地に根ざしたやり方ではないだろうか。
更に、彼らのブルワリーは地元のキャンプ場に併設されており、その経営者(地元の名士、人生の大先輩!)と3人で合同会社を設立した点も興味深い。
人口5,500人、高齢化率50%を超える中山間地域の田舎で、オランダから移住してきた夫妻と地元の人が、ベンチャー企業、それもブルワリーを起業するなんて誰が想像しただろう。
彼らは着々とこの土地に根を張り、土着的な活動をしているように思う。
神山の日本酒をつくった。
「KAMIYAMA BEER」と時期をほぼ同じくして、私たちの日本酒への挑戦も始まった。
フードハブで育てたご飯用のお米「イクヒカリ」と神山の渓谷から湧き出る水で、徳島市内の酒蔵さんに協力いただき、麹造りから手伝って、地元のお酒を復活させた。
ワイン造りでは、土地や風土がつくり出す特性という意味合いで「テロワール」という言葉を使うそうだが、日本酒では、原料となる酒米を他の地域から仕入れることも多い。
米を極限まで削り、雑味がない大吟醸などのお酒が一般的には良いとされ、価格も高い。
しかし、それは「酵母が醸し出す味」で(それも大事だけど)その「土地の味わい」とは違うのではないだろうか。
お米を削りに削って、美味しいとされるある種の「均一化」した味に合わせていくのは、土地や風土などの多様性を置き去りにしているんじゃないか。
そこで、神山で一番馴染みのあるご飯用のお米「イクヒカリ」を原料にして、できるだけお米を削らずに(精米歩合80%)一般的には雑味とされる「お米の味がするお酒」を目指した。
お酒の名前は「神山の味 2017」。
その年ごとに味わいが変わることを楽しみながら、2018年、2019年とつないでいきたい。
そんな願いをこめた名前だ。
先日、地元で開催した「神山の味 2017 初しぼり 試飲会」では、普段、お店では見かけない地元の人たちが同窓会のように集まって酒坏を交わし、「また来年も来るね!」と満足気に帰って行った。(毎日呑みに来てほしい)
来年に向けた酒造りはもう始まっている。
米づくりは年に一回。
農業の会社をやっていると1年の周期があっという間である。
田植えを終え、小さなつくり手だからこそできる新たな挑戦に向けて、酒蔵さんとの話し合いを始めている。
「日本的な食」とはなにか。
日本は、国土が狭いながらも地理的には南北に細長く、ゆえに四季折々、その土地らしい独自の多様な食文化が発展してきた。
それは、その土地の暮らしの中で、非効率ながらも小さいものと、小さいものがつながる「食の循環システム」のようなものが各地に存在したからではないかと思う。(KAMIYAMA BEER や私たちの日本酒のように)
その小さく、かつ多様な食文化こそ、本来の「日本的な食」ではないか。
神山での活動を通じて思うようになった。
コンビニやファストフードの普及により、どこでも同じものが食べられるという「均一化」された食文化が普及し、その代償として、各地での多様な日常の食文化は失われつつある。
また同時に、育った地域への「愛着」が薄れ、更なる効率化を求め、人は都市に集中している。
なぜ私たちは、日本酒をつくったのか。
それは、地域への「愛着」を、自分たち自身が取り戻していくためなのかもしれない。
現代社会に生きる私たちは、均一化された食文化の中で、
それぞれの土地に愛着を持つ ≒ 根を張るきっかけを失ってしまっているように思う。
Chez Panisse のために長年、野菜を育て続けているボブ・カナードが、
「自然によりそって育てられた物を食べていたら戦争なんかなくなる。良い食事は、良い人を育て、良い社会をつくる。」というようなことを言っていた。
そのくらい日常の食って「オオゴト」じゃないかと。
食という毎日のことで、地域に対する「愛着」を持ち、その土地に根を張るという身体感覚を少しずつ取り戻していく。
それこそ、実は「どこでも」「誰でも」できる“小さな食料政策” Small Food Politics じゃないか。
そんなことをこの連載で綴っていけたらと思います。
現在、来年の日本酒づくりに向けてクラウドファンディング を実施中。残り5日!!(2018年7月11日まで!)
ご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします!
真鍋 太一(まなべ・たいち)
1977年生まれ。愛媛県出身。アメリカの大学でデザインを学び、日本の広告業界で8年働く。空間デザイン&イベント会社JTQを経て、WEB制作の株式会社モノサスに籍を置きつつ、グーグルやウェルカムのマーケティングに関わる。2014年、徳島県神山町に移住。モノサスのデザイン係とフードハブ・プロジェクトの支配人、神田のレストラン the Blind Donkey の支配人を兼務。
http://foodhub.co.jp/