リンゴと日本人の暮らしを結び直したい
シードル醸造家 入倉浩平(いりくら・こうへい)さん
2022.02.28
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リンゴの箱買いをする家庭がめっきり減ったそうだ。そういえばリンゴ箱を見かけなくなって久しい。お歳暮などの贈答需要も確実に減っている、と農家は口を揃える。
日本のリンゴは大きくて美しい。その分、人の手もかけられ、廃棄率も摘果率も少なくない。消費が落ち込む今、買い取り価格はその手間に見合わず、生産者は高齢化し、耕作放棄地は増加するばかり。リンゴ畑は年々減少の一途を辿っている。
将来に対する「漠然とした不安」
高齢者福祉事業で働いていた入倉浩平さんは、2011年の東日本大震災を機に、将来に対する「漠然とした不安」を抱くようになったという。「人口ピラミッドは確実に先細る。これから先は地に足を付け、農業を下支えする仕事をしたい」と、祖父の遺した畑がある長野県伊那市に帰郷。その折に目に飛び込んだのが、赤く色づくリンゴ畑に大量に放置された廃棄リンゴの山だった。
リンゴは中央アジア・コーカサス山脈と中国・天山山脈を中心とした山岳地帯が原産地とされ、遊牧民によって伝播し、ヨーロッパの暮らしの中に根付いていったと言われる。日本には、明治時代にアメリカ経由で入ってきた。「リンゴは、食べ切れない分は保存の一環として酒にするという文化が欧米にはありましたが、日本では切り捨てられてしまった。また合理的な流通にのせるためなのか、必要以上の摘果、廃果も否めません。その結果があの畑です」と入倉さん。これまでの「歪み」とでもいうものを、リンゴ畑の現状に見てしまったのだろうか。「僕はリンゴで酒を造るんだ」と、何かに追い立てられるように、入倉さんは動いた。
圃場(ほじょう)でのリンゴ栽培、醸造環境の整備の2本柱を大車輪のように回していく。まずは醸造学を学ぶため、専門学校へ。同時に、農地を借り圃場に植樹を開始する。信州大学の産学連携技術相談窓口に赴き、シードル造りに向く品種を相談。信州大学農学部果樹園芸学の伴野潔教授と知己を得たのもこの頃だ。
専門学校の卒業研究のテーマは「リンゴを原料とした果実酒の製造技術の開発」。各地で飲まれてきたシードルを、歴史背景の整理とともに、官能検査と化学分析を行ない、目標とするリンゴ酒のコンセプトを定めて試験醸造を行なうというもの。「おいしいシードルを探したくて」飲み歩いたが、フランスは製法に由来する酸化臭が「自分が造りたいイメージとは違った」。スペインは「リンゴ酢みたい」。英国は味が好みだったものの生産背景が工業的で個人で造るには参考にならず。「日本人に好まれるシードルを造りたいという欲求がより強くなり、その意味では参考になりました」
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長野県伊那市の中央アルプス山麓に土地を購入。直売所も兼ねた醸造所を建設し、2016年3月に「カモシカシードル醸造所」が完成した。多くの機材をアメリカやイタリアから輸入。
きめ細かな泡立ち、白い花の香り。入倉さんが造る「カモシカシードル」はエレガントだ。ふじやシナノスイートなどをメインに、グラニースミス、紅玉など酸味や渋味の強い加工用をブレンド。生を齧ったようなみずみずしさと、酒としての奥行きや柔らかさを備え、甘味、酸味、苦味、旨味などの要素が控えめだが緻密に構成される。メインに使う生食品種は、近隣の農家から市場価格の数倍の値段で買い取る。農家の廃果率を下げるのが目的だから、自社圃場で育てるのは、味づくりの上で必要だが他で入手できない品種のみ。今年(2017年)は伊那市横山地区の8軒の農家から10トン仕入れた。「味が整っていれば、小玉でも、形の変った規格外でも十分。農作業も、その分省力化できます」
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2016年秋より醸造を開始。リンゴの収穫時期に合わせ、3期に分けて甘口、辛口、低アルコール甘口と3種類ずつ仕込む。¥ 1,650〜¥3,300/750ml(税込)。photograph by Daisuke Nakajima
リンゴの収穫は8月から。収穫したその日のうちに破砕し、バスケットプレスで、雑味が出ぬよう優しく搾って仕込みへ。造り方は白ワインやスパークリングワインに近いが「醸造管理はワインに劣らず難しいかもしれません」。基本、酸が低くpHが高いので微生物汚染に弱い。リンゴの持つ酸味はリンゴ酸に由来するが、リンゴ酸は放っておくと乳酸菌によって好ましくない方向へ味わいが変質する。また、すりリンゴが茶色くなるように非常に酸化しやすい。甘口の場合は瓶内発酵の管理が命。入倉さんの場合、ガス圧計を睨み、日本酒蔵が使う瓶燗火入れ(びんかんひいれ)の技法を使ってピンポイントで発酵を止める。「発酵中はタンクの中で勢いよく踊って本当にエキサイティング。酵母はこちらの都合で待ってくれないので、24時間続けて働かされたことも」と嬉しそうだ。
原種に立ち戻る
今は果実の果皮から培養したとされるシャンパン用の乾燥酵母を使うが、いずれは野生酵母に挑戦したい。またリンゴも、明治時代の品種に遡って挑戦してみたいという。「シャルドネが原種に近いように、リンゴも原種に近い方が酒造りには向くんじゃないかと。人の手を尽くした改良品種もいいけれど、甘さ一辺倒で多様性が失われつつある。古い品種と最新品種の両輪で、リンゴの歴史を“やり直す”のが僕の野望」
穏やかに。秘めたる志は熱く、計画は緻密に。リンゴを巡る暮らしの環を、入倉さんは着々と結び直している。
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少人数でも扱いやすく、好ましい発酵環境が望める軽くて丈夫な卵型の強化ポリエチレン製タンクを採用。発酵中は勢いよくガスが発生し、対流している様子が透けて見える。
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隣接した果樹園は広さ約8,000㎡。東南が開けた、標高900mのゆるやかな斜面に広がる。酸味、苦味の強い加工用の20品種700本を植樹。
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果樹園で収穫した紅玉。「La 2e saison」の辛口と甘口に、シナノスイートとブレンドして使用している。
◎カモシカシードル醸造所
長野県伊那市横山 10955-14
☎0265-73-0580
https://kamoshikacidre.jp/
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