86歳の菓子職人。「元気の秘訣? 仕事を続けていることだね」
生涯現役|「オザワ洋菓子店」小澤 久
2023.05.08
text by Kasumi Matsuoka / photographs by Masashi Mitsui
連載:生涯現役シリーズ
世間では定年と言われる年齢をゆうに過ぎても元気に仕事を続けている食のプロたちを、全国に追うシリーズ「生涯現役」。超高齢化社会を豊かに生きるためのヒントを探ります。
(2021年4月に掲出した記事の再掲載です)
小澤 久(おざわ・ひさし)
御歳86歳 1933年(昭和8年)9月6日生まれ
「オザワ洋菓子店」
栃木県生まれ。学校を出て、「何か手に職を」と考え、姉が働いていたパン屋に就職。その後、友人と独立し、卸専門の店を営む。1960年に結婚。その後、妻の和子さんと二人で店を始める。台東区にあった和子さんの実家から湯島へ移り、現在の地で店を開いたのが50年前。80歳で免許を返納してからはあまり行けていないが、趣味はクレー射撃、猟。
(写真)仕込み中の小澤久さん。結婚記念日が間近と聞き、何かお祝いをするか尋ねると「ケーキを焼いて人のお祝いはするけど、自分たちのお祝いはしないね。まあ、そんなもんだよね」とにっこり。
家族経営のままで、小さい店を守ってきたから今があると思う。
「イチゴシャンデ」って語呂がいいでしょ。「イチゴのシャンデリア」が由来で、略してみたら呼びやすいから、商品名にしたんです。「よりイチゴをおいしく食べるには」と考えて、試行錯誤の結果生まれたのが、生クリームとチョコレート、クッキーを組み合わせた今の形。味わいのバランスをとるために、イチゴはあえて少し酸味があるものを選んでいます。生クリームは、ゆるいと形が崩れてしまうので、9分立てぐらいの固さに。チョコレートは香りを意識して3種類のチョコレートをブレンド。クッキーはバターと卵を多めに使って、メリケン粉は少なめに・・・と、小さな工夫を積み重ねて今の味にたどり着きました。
うちの創業は50年前。最初は妻の実家の一間を借りて、卸を専門にした小さなお店から始めました。材料が潤沢に手に入る時代じゃなかったから、洋菓子とパンの中間のようなものを作ってね。店らしい店を構えたのは、湯島に移ってきてから。この辺りもまだあんまり栄えてなくて、高台にあるから富士山も見えました。最初の頃、店はこの近くでやってたんだけど、今の店があるビルのオーナーに、「ケーキ屋をやらないか」と声を掛けられて、思い切って借金して、店を出したんです。最初は売れなくて大変で、とにかく必死。がむしゃらに頑張るうちに、徐々にお客さんがついてきました。
朝は毎日、5時半に起床。あったかいココアを一杯飲んで家を出て、6時頃には店に入ります。8時半頃まで仕込みをしたら、家に戻って朝ごはん。三食のうち、一番しっかり食べるのが朝食だね。朝は基本的に和食で、ご飯に味噌汁、焼き魚、納豆が定番。納豆には妻のこだわりがあって、刻んだ小松菜とオクラに、生卵、オリーブ油、塩麹を混ぜ込んで食べます。それから大さじ1杯の酢をくいっと飲む。
朝食を食べたら、また店に戻って昼頃まで仕込みの続き。昼になったら、1~2時間の休憩を取りに、また自宅へ戻ります。昼食はコンビニ弁当とか、簡単に済ませることが多いね。その後、店で夕方5時半頃まで仕事。夜は好きなものをいろいろ食べます。今も仕事が終わってから一杯やるのが楽しみだけど、昔ほどは飲めなくなった。今は焼酎を一杯飲んだら、ことっと寝てしまいます。
妻と二人で始めた店は、今は息子夫婦と4人で切り盛り。息子が継いでくれたのは嬉しかったですね。私と息子がお菓子を作って、妻と嫁が交代で店番をします。4人のうち、誰が欠けてもダメ。店を大きくしてパンクした人もたくさん見てきました。うちは家族経営のままで、小さい店を守ってきたから今があると思う。
元気の秘訣? 仕事を続けていることだね。ずっと店が中心の生活を送ってきたから、店で働くことが体に染み込んでる。仕事に追われると、追われた分やっちゃうし、自分の時間がぽっとできても、どこか店のことが気になって何だか中途半端でね。それに不思議なことに、体の調子が悪くても、仕事してるうちに忘れちゃう。「その歳まで仕事があって羨ましい」と言われるけど、その通りだと思う。だから今の生活が続けられたら、何も言うことはありません。
毎日続けているもの「イチゴシャンデ」
◎オザワ洋菓子店
東京都文京区本郷3-22-9
☎03-3815-9554
9:40~19:30(土曜~18:30)
日曜、祝日休
東京メトロ本郷三丁目駅より徒歩6分
instagram@:ozawayougashiten
(雑誌『料理通信』2020年9月・10月合併号 掲載)
※年齢等は取材時・掲載時点のものです
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