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PEOPLE / 生産者・伴走者

元新薬開発技術研究者が選んだ、ひとり酪農の道。「この子たちと、できるだけ長く一緒にいたい」

山梨・河口湖「Mt.Fuji Craft! Farm」金子さおり

2024.07.29

text by Kyoko Kita / photographs by Hide Urabe

土地や機材費などの初期費用が高く、新規参入の敷居が高いと言われる業界で、単身で酪農を始めた女性がいます。新薬開発の元技術研究者・金子さおりさんです。20年間、勤務する大学や製薬会社の研究室で結果を求められる動物実験を繰り返す中、じわじわ心に降り積もっていった人間中心の社会への憤りは、いつしか金子さんを”ひとり酪農”の道へと突き動かしました。

目次







朝が苦手でも、酪農はできます。

「酪農家は朝が早いんでしょ?」ってよく聞かれますが、実は私、早起きが苦手で。だから仕事を始めるのも7時とか8時。うちには集乳車が来ないから、好きなペースでやれるんです。搾乳、餌やり、掃除をしたら、3日に一度はチーズを作る日。あとは、牧草地に肥料を撒いたり、牛が入らないところの草刈りをしたり、納品に行ったり。お乳が張っている子は夕方にもう一度搾ります。私一人でやっているので、休みはありません。

東京に勤めていた頃は友達とお酒を飲みに行くのが大好きで、金曜の夜には何軒もハシゴしていました。でも今は牛の方が大事。牛との暮らしを投げ打ってまで飲み歩きたいとは思いません。楽な仕事ではないけど、牛とチーズの世話以外は自分でコントロールできる。今日は体調がいまいちだから家でのんびりしよう、なんて日もありますよ。

令和4年、山梨県が交付する全国初の「アニマルウェルフェア認証」を取得。ストレスフリーな環境で、よく歩き、牧草を食べて育つ牛たちは健康で病気にもなりにくい。

今うちにいるのは、ブラウンスイス1頭(名は「チャーリーブラウン」)と先週生まれたその子ども(「ジャイ子」)、ブラウンスイスとホルスタインの交雑が2頭(「ソックス」と「チャッピー」)の計4頭です。牛小屋は常に開けっ放し。好きな時に出て行って、目の前の放牧地で草を食べて、満足したら帰ってくる。以前、台風が来た時に、「さすがに今日は出ないだろう」と扉を閉めておいたら、すごい文句を言われたんです(牛たちが牛舎から「モーモー」騒いだ)。えぇ~、すごい雨だよ?出ないでしょう?なんていってね。
いつでも出られる状態じゃないと嫌みたい。あの子たちは雨でも雪でも出ていきますよ。真夏の暑い日はその辺の木陰で涼んでいます。

富士山の麓に位置する富士ケ嶺地区は高度が1000メートルほどあり、冬はマイナス20℃まで下がることも。霧が発生しやすく、夏でも日照時間が短いため野菜が育ちにくい。牧草しか育たないと、古くから酪農が行われてきた。
「菌様」のご機嫌を取りながらチーズ作りに励む金子さん。「知り合いの料理人からはバターを作ってくれと頼まれますが、一人ではなかなか手が回りません」

暮らしていくためのお金は、それほど必要ない。

動物が好きで大学の畜産科に進学し、卒業後は20年近く、実験技術者として働きました。新薬開発のための動物実験をする仕事です。はじめはやりがいを感じて、経験を重ねるうちに自信もついてきたけれど、意図する結果を求めるあまりに動物への配慮に欠ける実験ばかり指示されるようになり、次第に疑問や不満が膨らんでいきました。

「もう続けられない」と思ったのは39歳の時。1カ月半の休みをとり、フランスのノルマンディー地方に飛び、牧場で住み込みで働かせてもらいました。そこには働いてお金を稼いではどこかに行き、お金がなくなるとまた戻ってくるという気ままな暮らしをしている人たちが、何人も出入りしていた。私がフラフラになりながら仕事をこなしていると、「そんなにがんばらなくていい。君ができなければ他の人が引き継ぐから」と声をかけてもらえたんです。なんて自由で楽な生き方なんだろうと、目から鱗が落ちました。

自分ひとりが暮らしていくためのお金は、そんなに必要ない。もっと自由に好きなことをして生きていきたい、そう思ったんです。

帰国後、一度は研究員として復帰したものの、すぐに退職。次の仕事の当てもないまま知人の誘いで河口湖に移住しました。ほどなくして、この近く(富士ケ嶺地区)で酪農の仕事に求人が出ていることを聞きました。家から車で30分。それなりの距離でしたが、ノルマンディーでの暮らしを思い出し、迷わず応募したのです。

住居として使っているトレーラーハウス(左)は、土地の契約がまとまる前に購入。同居人の人懐こいダックスフントが来客の気を引こうと窓越しに話しかけてくる。少し小さいサイズを工房として追加購入した(右)。

牛が、牛らしく暮らすために

就農先では日本の7割以上が採用している「つなぎ飼い」というスタイルで牛の飼育をしていました。ほとんど身動きが取れないストールと呼ばれる狭い柵に牛をつなぎ、食事も排泄も搾乳も休息も、すべてその中でさせます。
運動しないので、どの牛も足腰が弱く、蹄も伸びきってしょっちゅう病気になる。床はゴムマットにおが屑を敷いた程度なので滑りやすく、ストールに足をぶつけて腫れてしまうのも日常茶飯事でした。掃除が追いつかないので、体もすぐに汚れてしまいます。

牛は本来、草だけを食べる生き物です。でも、日本の酪農の多くは、グレインフェッド(穀物飼育)。加えて、乳量を高めることが最優先なので、病気になるかならないかギリギリまでハイカロリーな食事を与えています。大量の乳を出すべく品種改良もされているので体も丈夫ではありません。

牛がまるで搾乳のための機械のように扱われる。栄養価の高い牛乳を安く広く提供するためには必要なことなのだと頭では理解していても、とにかく目の前の牛たちがかわいそうで・・・。牛乳パックに描かれているようなのどかな風景とはかけ離れた現実に、打ちのめされました。

「自分は違うスタイルの酪農をしよう」と、心に決めました。かわいそうな牛たちがこれ以上増えないように。牛が牛らしく生きられる酪農を志す人が増えるように。ただ、今辞めてしまったら、コミュニティからの信頼が得られません。ここは耐え時だと自分に言い聞かせて、就農に向けて農地を探しながら日々の仕事に向き合いました。

目指したのは、ノルマンディーのような完全放牧の酪農です。牛1頭飼うのに必要な牧草地は約1ヘクタールと言われます。私一人で飼うなら3~4頭。このエリアなら土地も安い。広い放牧地さえあれば、高いお金を出して飼料を買う必要もありません。グラスフェッドにすると、乳量はぐっと減ります。でも、それでいいじゃないか、何より牛を健康に育てたいと思ったのです。その代わり、牛乳を売っていたのでは利益が出ないので、チーズに加工して販売しようと考えました。

青草を食べている春~秋の牛の乳はほんのり黄色く、香りも余韻が長く続く。冬は、夏の間に採草地で刈り取った草を干し草にして保管し与えている。
気温や湿度だけでなく、ミルクの質も季節によって変わるため、チーズの仕上がりも日々変化する。(右)モッツァレッラはミルクの甘味が口いっぱいに広がる。(左)カマンベールは季節による熟成の味の違いを楽しめる。(左奥・下)ハードタイプのチーズは1年以上熟成させ、ナッツのようなコクと凝縮した旨味。(左奥上)「ゴーダチーズのつもりで作ったんだど、味が全然違うの」というセミハードはコク深く癖になる香りが特徴。

壁を壊した、固いキャリアと研修実績

農地を手に入れるのは、そう簡単ではありませんでした。不動産屋に反対され、役所をたらい回しにされた末、勤め先のお母さんの口利きでようやく見つかったのが今の土地です。持ち主は以前ここで酪農をしていた方で、牛舎もそのまま使えそうでした。しかも早く手放したいからと、6ヘクタールの牧草地を600万円という破格の値段で売ってくれることに。

ただ、新規就農者は農業委員会の許可を得ないと農地を購入することができません。そのハードルがとんでもなく高いのだと周囲から聞かされました。30年間、この地域での新規就農者が一人もいなかったという事実がそれを証明しています。それでもここで折れるわけにはいかないと、営農計画など必要書類を揃えて提出。最後は「もう家(トレーラーハウス)買っちゃったからね、もう後には引けないんだからね!」と、担当者に詰め寄って(笑)。

結果、何とか承認が下りました。大卒で前職も堅い仕事で、この地域で3年間まじめに研修していたことが決め手になったようです。周りの酪農家からは「奇跡だ」と言われました。日本金融政策公庫の「青年等就農資金」という無利子で借りられる融資を利用し、土地や牛、資材を購入。ついに自分の牧場をスタートさせることができました。

初代の牛たち(ホルスタイン)は、引き取ったばかりの頃は病気がちで、お腹もだらしなくたるんでいました。グラスフェッドにも馴染めず、よく消化不良を起こしていましたね。でも1~2年すると、体がきゅっと引き締まって、草も消化できるようになってきて。獣医さん曰く、食べているもので胃の構造や消化の仕方も変わるみたいです。

夏は青草を食べるので、βカロテンの影響でお乳が黄色くなります。搾りたては、むわっと独特の香りもするんですよ。冬は干し草がメインだから、真っ白で香りもおだやか。チーズにすると違いがよくわかります。

チーズの作り方は、ノルマンディーで習ったやり方を基本に、YouTubeやオンラインレッスンなど独学で勉強しました。環境が違うし、何よりミルクの質も全然違うので、習った通りにやってもうまくいかない。味も全然違う。チーズの状態を見ながら、毎日、試行錯誤しています。知り合いのチーズ職人にうちの牛乳でチーズを作ってもらったこともありますが、やはり生乳の質自体が一般的なものとはずいぶん違うみたいです。特にカマンベールは、牛乳の味だけでなく、気温や湿度で発酵や熟成の仕方も変わります。そういう違いも楽しんでもらえたらいいなと思っています。

できるだけ長く、一緒にいたい。

チャッピーとソックスは去年の8月に出産をしました。ホルスタインの場合、お乳が搾れるのは出産から1年くらいなので、そろそろ止まるんじゃないかな。
一般的には、搾れない期間をできるだけ短くするため、出産後は1~2か月で種付けをします。つまり、お乳を出し続けながら妊娠もしている。肉牛が8回くらい出産できるのに対し、乳牛は平均2、3回しか出産できず廃牛になることを考えると、それがどれほど過酷なことかわかりますよね。

1週間前に生まれたばかりのジャイ子をせっせと舐める母牛のチャーリーブラウン。通常は感染予防のため、出産後すぐ引き離されてしまうが、ここでは親子の愛情を確かめ合うことができる。「一緒にいられて幸せだと思います」と金子さん。
食欲旺盛で、生後まもなく母牛の乳首を激しく傷つけてしまったジャイ子。あまりにも痛そうだったので、仕方なく部屋を分け、搾乳したミルクを金子さんが与えている。

この子たちとできるだけ長く一緒にいたい。だからうちでは、休みをゆっくり取らせるつもりです。チャッピーもつい先日、種付けをしたばかり。ソックスはどうも妊娠体質じゃないみたいなので、治療が必要かな。今は3頭搾っていますが、お乳の量を見ていると1~2頭で十分。そんなにたくさんチーズを作ってもしょうがないので。

そうは言っても、いつかお別れの時は来ます。搾れなくなったら、肉にしないといけない。今いる子たちとは子牛の頃から一緒なので、最後に踏ん切りがつけられるか、正直自信がありません。経済動物というより、一緒に暮らしている感覚に近いので。幸い、うちには草がたくさんあるし、チーズがちゃんと売れてくれれば、それほどあくせくしなくても暮らしていける。ひょっとしたらペットとして飼い続けちゃうかもしれません。ダメな酪農家ですよね。

私は、牛の世話をして生きていきたい。ただそれだけなんです。牧場名の「Craft!」は、昔、観た映画のセリフ「Craft Life!=人生を創ろう」からとりました。一度きりの人生を自分の手で豊かにするために、牧場を作り、チーズを作っている。

今は一人ですが、同じように酪農を通じて人生を切り開きたい人がいるなら、ぜひ一緒にやりたいと思っています。牛乳はたくさんある。チーズが作りたければ任せるし、ケーキをやりたければクリームチーズも生クリームもバターも作れる。人が増えたら牛も増やして、規模を大きくすればいい。そうしたら仕事の幅が広がるし、お休みだって取りやすくなりますよね。
最低限必要なことができれば、好きなことをして稼いでいけばいい。あとのことはたいてい、どうにでもなりますから。

「動物の世話をするのが好きなんです。どんなに大変でも、喜んでくれれば苦にならない」と金子さん。牛たちの幸せは、金子さんの幸せとつながっている。
牧場では、猫ファミリーも事務所の中と外を自由気ままに行き来する。

◎金子さおり
北里大学の獣医学科を卒業後、新薬開発のための動物実験を行う技術者として20年程勤務。退職後、山梨県河口湖村に移住。3年程、富士ケ嶺地区の酪農家で研修を積んだ後、2018年、45歳で「Mt.Fuji Craft! Farm」を立ち上げる。生乳の販売はせず、近隣の道の駅やオンラインショップでチーズを販売。
https://www.mtfujicraftfarm.com/

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