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SDGs

サバイバルレシピ11 静岡・浜松【雑穀料理】

おいしくてヘルシーな救荒食! 山間に息づく「つぶ食」文化

2022.08.22

text and photographs by Mie Tsuyukubo

連載:サバイバルレシピ

人口爆発による食糧難や自然災害で、これまで当たり前にあった食物が手に入らなくなったとき、求められるのは限られた資源でサバイブする「生きる力」です。日本各地に残る保存食、発酵食、郷土食に、自然の恵みを無駄なく食べつなぐためのサバイバル・テクニックを探ります。

目次






度重なる飢饉を救った「つぶ食」の知恵

日本人は古より、米・麦・豆・粟(あわ)・黍(きび)、または稗(ひえ)の五穀豊穣を祈り続けてきた。米は主食、麦や豆は加工品の原料として重宝される一方で、粟や黍、稗は雑穀扱い。しかし、庶民の間で米は贅沢品であり、雑穀を主食とする慎ましい食生活が連綿と続けられてきた。静岡県浜松市の最北部に位置する天竜区水窪(みさくぼ)町では、今も雑穀を食べる「つぶ食」文化が受け継がれている。

深い森林に囲まれた水窪の町。麦の収穫を祝う「祇園」や夜通しの「西浦田楽」など独自の祭祀や芸能を今に残している。


水窪町は静岡県・愛知県・長野県の県境の町で、山々を縫うように流れる水窪川によって開けた谷筋の町。平地が少ない上、土地も痩せていて稲作が困難なため、荒地でもたくましく育つ雑穀が育てられてきた。また、雑穀は保存性に優れていることから、各家庭で備蓄され、人々を飢饉から救ってきた歴史を持つ。

日頃は黍飯や稗飯を食べ、彼岸には小黍でぼた餅を作り、正月の餅も自宅用には雑穀を混ぜてかさ増しするなど、水窪の食生活にしっかり根ざしてきたつぶ食文化。しかし、戦後の高度経済成長期を経て、山の最深部まで米が届くようになると、食生活が一変。雑穀を育てる人も食べる人も減ってしまったのだ。1960年代になるとその傾向が著しくなり、農村の生活やつぶ食文化を見直そうと、地域の有志が立ち上がって活動を始めた。その中のひとりが石本静子さんである。

「愛おしいねぇ」と小黍を手にする石本静子さん。黄色に色づき、穂が広がり始めたら収穫の合図。

静子さんの畑に無造作に生えていたもち稗の原種。肥料や農薬などに頼ることなく、たくましく育っている。

左上から時計回りに、黍、高黍(別名:コウリャン)、もち粟、稗。自家栽培したものを使用するほか、近隣の農家から分けてもらっている。

水窪町の隣町で生まれた静子さんは幼い頃からつぶ食で育ち、白米を食べるのは特別な日だけだったという。「うちのおばあさんは、年がら年中雑穀ご飯と一汁一菜。それなのに病気ひとつせず、たくさんの子を産み育て、畑を裸足で駆け回っていたよ。94歳で亡くなるまで薬を飲んだところなんか見たことない。つぶ食が身体にいいことを証明してくれた一人だったね」と誇らしげに語る。水窪町で18代続く石本家へ嫁いでからも、この土地を何度も飢饉から救った雑穀の大切さを舅や姑から教わり、先人たちから受け継いだ雑穀の種とつぶ食文化を途絶えさせてはもったいないと、後世に残す覚悟を決めたそうだ。

若い世代に伝えるためには、時代に合ったプレゼンテーションが必要だと行動を起こした静子さん。マクロビオティックやインドの雑穀文化など、さまざまな知識を習得するために奔走した。雑穀のポテンシャルを引き出す新たな手法をマスターし、築130年を誇る自宅を改装して農家レストラン「つぶ食いしもと」を開業。2003年のことである。


雑穀のテクスチャーを生かして作る「もどき料理」

小黍とジャガイモのコロッケ(左)、高黍の春巻き(中央)、稗の白身魚風フライ(右)。雑穀の食感が面白い。

雑穀のフライや天ぷらと共に、2000円のコースに含まれる御前。左上から時計回りに、こんにゃくの山胡桃和え、もち粟ドレッシングのサラダ、野菜のすまし汁、小黍ご飯と香の物。

「つぶ食いしもと」で提供する料理は、周辺で採れる雑穀や山菜、野菜など、植物性の食材がメイン。稗と板麩を白身魚に見立てた「稗の白身魚風フライ」、雑穀のツブツブ感を挽き肉に見立てた「小黍とジャガイモのコロッケ」や「高黍の春巻き」、もち粟のとろみを生かしてノンオイルで仕上げた「もち粟ドレッシング」には、「もどき料理」の手法が取り入れられている。

雑穀にマイナスイメージを抱く世代には固定概念の払拭を、雑穀を知らない世代には素材としての可能性を十分にアピールする内容だ。肉や魚がなくても腹持ちが良く、心も豊かに満たされる。また、雑穀は食物繊維やミネラルが豊富で、カルシウムは米の1.8〜2倍、鉄分は3.4〜4倍も含まれる。アレルギー対応食品としても期待され、今後ますます注目を浴びそうだ。

2000円のコース。動物性の食材は使っていないが、驚くほど腹持ちが良い。つぶ食が急斜面での過酷な農作業にも耐えうる体を作り上げたのだろう。

50年前に救荒食として備蓄した稗。数粒を籾のままかじったところ、カビ臭も酸化臭もなく、変質していないことに驚く。

嘉永7(1854)年に書かれたという石本家に伝わる料理の古文書(写し)にも、雑穀料理の記述がある。静子さんはここに書かれた料理を全てマスターし、行事ごとにふるまっているという。

食事をしていると、静子さんが雑穀にまつわる話をしてくれた。昔は、手洗いの前に脱穀用の石と雑穀を置き、手洗いを使った人がその都度少しずつ脱穀していたそうだ。労力を分散させて面倒な作業を効率よく行う先人たちの知恵である。また、藁で編んだ叺(かます)に籾付きの雑穀を入れておけば、湿気がこもらず虫もつかないので、石本家の蔵には50年前に備蓄した稗が現存し、食べても遜色ないとか。こうした話の一つひとつから、雑穀と歩んだ水窪の長い歴史をうかがうことができる。

つぶ食を後世につなげたいという静子さんの思いは孫の駿輔さんに受け継がれ、少しずつ成就しようとしている。厳しい時代を生き抜いたつぶ食の知恵は、これからの時代を照らす、ひと筋の灯りとなるかもしれない。

静子さん(右)と孫の駿輔さん(左)。駿輔さんは信州大学の農学部を卒業後、水窪で雑穀栽培をしながら、静子さんの頼もしい右腕として「つぶ食いしもと」を盛り立てている。


油を使わず野菜にしっかり絡む「もち粟ドレッシング」の作り方

煮たもち粟の食感と粘度を生かしたドレッシング。油を使わずとも野菜にしっかり絡み、ヘルシーでクセがないため、和洋中さまざまな料理に応用できる。塩で調味したものは、ホワイトソースの代わりに使え、小麦アレルギーにも対応できる。

【作り方】

1.もち粟を洗う
もち粟1カップをボウルに入れ、水が濁らなくなるまで洗って水を切る。
POINT:もち粟が流れ出ないよう、目の細かいザルや裏漉し器を使う。

2.火にかける
厚手の鍋に3カップの水と1のもち粟を入れ、強火にかける。沸騰したら小さじ1/4の塩を加え、焦げ付かないよう木べらで手早くかき混ぜる。とろみが出てきたら火を弱める。
POINT:程よいつぶ感を残すため、浸水せずに強火で調理するのがコツ。

3.ごく弱火で15分煮る
蓋をして鍋とコンロの間に焦付き防止用のヒートディフューザー(なければ古いフライパンなどで代用)を置いてごく弱火にし、15分煮る。

4.蒸らす
火から下ろして10分蒸らす。とろみが出てもったりした状態になっている。

5.味を調える
梅酢や甘酢など好みの調味料を加えて混ぜて味を調え、サラダにかける。


◎つぶ食いしもと
静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方389
☎053-987-0411
12:00〜14:00(2名〜20名・完全予約制)
不定休
コース:2200円、3300円(税込)の2種
Facebook:@tsubushoku14


露久保瑞恵(つゆくぼ・みえ)
愛知県出身、在住のフリーライター、酒・料理探求人。日本全国の農産物の生産者や醸造家へのインタビューを重ね、様々な媒体へ寄稿。季刊誌「そう」では食にまつわる記事だけでなく、風俗や歴史、地場産業などについても執筆。同誌内にて、路傍の草を摘んで料理する「野草料理」を連載中。

◎三遠南信応援誌 そう
毎号キーワード1文字を決め、東三河・西三河・西遠州・南信地方にまつわる郷土の話題を紹介。年4回発行。

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