JOURNAL / 世界の食トレンド

収益はすべてチャリティに。“生き甲斐”とは何かを体現する会席料理店

America [New York]

2025.02.03

text by Akiko Katayama
会席料理店「イキガイ」の彩りも美しいウニの一品。ウニは北海道直送の最上級品。

「イキガイ（Ikigai）」は、2024年7月にオープンした、米国人経営の会席料理店。
なんだかキャッチーな名前だが、オーナーはその意味をちゃんとわかっているのだろうか？　そんな疑問を覆し、ダン・ソーハ氏はその精髄を知るばかりか、生き方にも表れている。

「この店は15年間温め続けてきた夢でした」
そう語る氏は、シリコンバレーでITビジネスをいくつも起業し成功を収めた人物。しかし１日16時間の休みない労働を重ねるうち、強い空虚感を覚えるようになったという。

心を満たすための情熱を感じる「何か」を模索する中で浮かんだのが和食だった。
「旬の素材をどう生かすかがベイエリアの食文化。その理念を共有する和食に親しみを感じると同時に、日本の文化の独自性にも心を惹かれ、会席料理店を通じて自分なりにそのすばらしさを紹介したいと思うようになりました」と氏。

店内奥のガーデンにて、ダン・ソーハ氏と妻のペイジ氏。photo by Evan Sung

驚いたことに、イキガイは非営利団体としての経営だ。
「ITの会社を売ったので、収益を求める必要はありません。ビルも所有しているので家賃の支払いも不要。スタッフには十分満足を感じてもらえる給与を支払い、残った利益は全てチャリティに寄付しています」

寄付先のチャリティは、余剰の食料を回収し必要な人々に届ける活動を展開する「Rescuing Leftover Cuisine」。　　
「もともと自分でフードバンクを始めようとしたところ、あまりにも膨大な準備が必要と知り考えあぐねていたら、知人から2023年に2000トンの食料を届けたというこのチャリティのことを聞き、寄付先に決めました」と氏は話す。同店は開店から80日で、すでに63トンの食料供給に価する12,500ドルを寄付している。

ソーハ氏はなぜフードバンクのチャリティを選んだのだろう？
「モロッコとイスラエル移民の両親から、たっぷりと愛情を受けて育った自分ですが、我が家で日々の食卓に十分な食べ物を用意するには、実は多大な苦労があったようです。それを知って以来、１人でも多くの人を飢えの苦しみから救いたいという、強い思いがあります」

多大な寄付を可能にしているのは、連日客を集めるおいしい料理だ。ソーハ氏が白羽の矢を立てた料理長は、すし店「マサ」、米国料理店「イレブン・マディソン・パーク」他、ニューヨークの星付き各店で修業したポーランド人シェフ、ラファル・ミシャキビッチ氏である。

ラファル・ミシャキビッチ料理長は2014年にポーランドからニューヨークへ移住。市内屈指の和洋レストランで実績を上げてきた。photo by Evan Sung

12品185ドルのおまかせメニューは、ダイニングルームの奥にあるガーデンで始まる。屋内だが野外庭園のような趣のある静寂な空間で、まずは寛いだ気持ちを得ながら、そばの実を散りばめた味噌バターと共に味わう和風食パン「ミルクブレッド」など、前菜を数品いただく。

続くカウンター席でのディナーは、和の伝統への敬意を感じさせながら、自由な創意を織り込んだ各品が次々登場する。たとえば北海道産ウニは、ウズラの卵とホオズキと共にブリオッシュの台に美しく盛り、ウニの食感と甘味をバランスよく高める。また沖縄産紫イモには、赤キャベツの酢漬けと黒ニンニクを添えてカリッと炒ったキヌアを散らし、その深い風味とホクホク感を引き立てる。

きめ細かくふんわりとした食感が海外でも人気の和風食パン「ミルクブレッド」。オリジナルの味噌バターを添えて。

意外な組み合わせで納得のゆく味わいを生み出す技は、ポーランドと米国のバックグラウンドを持つミシャキビッチ氏ならでは。地の食材を地の料理人が調理して生まれる地方料理さながらに、米国という土地で、新たな和食の姿が生まれていることを感じさせる。

ソーハ氏に尋ねてみる。「生き甲斐」とは何か？
「近年“Ikigai”という言葉は世界的に知られるようになっていますが、科学的になんでも分析したがる欧米社会でよく説明に使われる、“ベン図”のようなものではないと思うのです」
氏が言っているのは「好きなこと」「得意なこと」「お金になること」といった複数の要素を考慮した上で、すべてに合致したものが生き甲斐、とする図表（日本では生きがいチャートと呼ばれる）のことだ。

「生き甲斐はそうして選び取るものではない。もっと心の底から湧き上がるような、強いものです」と氏は言う。「店の開店を準備する中で、予想を超えた苦労があって妻に聞きました。“間違いだったかな”。すると妻は“これをやらなかったら絶対後悔するでしょう？” と即座に答えてくれた。彼女が言うとおり、損得も眼中になく、とにかくやらずにはいられないことが、自分にとっての生き甲斐だと思います」

ソーハ氏にはまもなく女の子が生まれる。「この店を巡る自分の仕事を通じて、誰もが食に困らない社会の大切さを娘が学んでくれたら嬉しい。娘にとって誇れる存在になることも、自分の生き甲斐ですね」と、氏は微笑みながら話す。