パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
vol.37 トレンティーノ自治県のワイン生産者
2019.05.30
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)
年々、注目度が高まる「長命で山育ちのスプマンテ」
僕の心に最も深く刻み込まれた地域の一つにトレンティーノがある。この地を訪れる時はいつも駆け足になってしまうが、それでも険しい山々の頂き、荒々しい自然、花咲く牧草地の中で僕は自分の時間を取り戻し、周囲をぼんやり眺めながら思考を巡らせる。
トレント自体も、古城、教会、広場や館が点在し、豊かで魅力に溢れ、これまた珠玉の町だ。トレントの商工会議所がその中の一つ、ルネッサンス期に建てられたロッカブルーナ邸(Palazzo Roccabruna)を地域活性化と特産品普及の活動拠点として選んだが、トレンティーノ県立エノテカの本部としての役割も同時に果たしている。僕にとって、この館に足を踏み入れることは、プロとしてお待ちかねのリフレイン作業、つまりテイスティングの始まりを意味する。
このエノテカは、トレンティーノ産ワインを網羅しており、トレンティーノのワインたちにとって実家のような場所だ。筆頭の「トレントDOC」は長命で山育ちのスプマンテとして強い特徴を備え、シャルドネ、ピノ・ノワールをベースに場合によってはピノ・ブランやムニエでアクセントをつけ、シャンパーニュ製法を用いてトレンティーノ地域で生産される。
世に知られているトレンティーノの大手ワインメーカーとしてフェラーリ社があまりにも有名だが、メッツォコロナ社(Mezzocorona)やカヴィット社(Cavit)なども、ワイン生産の難しいこの土地で、ブドウ栽培を続けていくには生産者が力を合わせ、生産組合組織の結成が必要不可欠であることを体現する優良メーカーだ。
トレントDOCは、現在40軒ほどの生産者により生産されており、中には自転車競技の世界チャンピオンだったフランチェスコ・モゼール(Francecsco Moser)のような人も含まれるし、毎年誰かしら新顔があるが、これはイタリアで最も重要なスプマンテの生産地として知名度が高まってきているお陰と言えるだろう。
今回、ロッカブルーナ邸ではドザージュ・ゼロ(補糖を行わない製法によるもの)、ブリュット(蔗糖液の添加により製品内の残糖分が6~15g/L)、エクストラ・ブリュット(残留糖度0~6 g/L)などタイプも様々に14種類ものトレントDOCをテイスティングした。そこで前述の大規模生産者らに交じって、新顔生産者としての彼らを発見したんだ。
僕は特に彼らのワインに衝撃を受け、このワイナリーのスティル・ワインもテイスティングしてみたくなった。それでイタリアでミュラー・トゥルガウの選ばれし故郷、美しいチェンブラ渓谷にあるワイナリーへ車を走らせたわけだ。
友情を信じ、土地を託した小さな生産者組合
今月はWeb料理通信の読者諸君にこの青年たちの話をしてみたくなった。彼らのワインが格別においしかったからだけではない、イタリア人にとっての友情の重みと執念について触れてみたいからだ。彼らのワイナリーは名を「コルベェ(Corvée)」という。
「『コルヴェ』は、中世の時代にこの地域の領主、つまりトレント司教公のために農民たちが無報酬で働かされる日を指します。厳しい奴隷制度ですが、お陰でチェンブラ渓谷の山の斜面には述べ700㎞に及ぶ石垣が縦横無尽に走り、今日でも素晴らしいブドウ畑が残っているのです。古の民の苦労があって僕たちの土地が生まれたのだからその苦労に報いたいと、2016年、僕たちのこの小さなワイナリーを生み出した際、その名を『コルヴェ(Corvée)』と名付けました」
そう話すのは、このワイナリーの醸造担当モレノ・ナルディン(Moreno Nardin)だ。彼は31歳、ドイツのゲイセンハイムにある大学で醸造学を学んだが、そこは正に19世紀末にスイス人ヘルマン・ミュラー(Hermann Müller)がリースリング種とマドレーヌ・ロイヤル種を交配し、ミュラー・トゥルガウという新品種を生み出した場所だった。
モレノがこの小さな生産者組合誕生の立役者。他にミケーレ(Michele)とマウロ・ナルディン(Mauro Nardin)という二兄弟がいて、兄が31歳、弟24歳(モレノと苗字は同じだが兄弟じゃない)。そしてディエゴ・セラフィン(Diego Serafin) 44歳とマッテオ・トニオッリ(Matteo Toniolli)37歳。持続可能な農業でブドウ栽培を行うことにより優れた自然派ワイン造りを目指し、一家所有の土地とブドウを組合に提供することを決めた。
4人とも小さなブドウ畑を持つ農家の出身で、畑で幼い頃からの友達だったモレノを信じ、それぞれの知識と土地をリスクを承知で彼に託し、絶対的なクオリティーの追求に乗り出したのだ。今日、このワイナリーは有機農法への転換申請中で2020年からはボトルに有機農法認証マークの表示が可能になる。アルプス地域のブドウ栽培の限界とされる標高500~700 mにある畑で栽培されるブドウを、畑ごとにクリュとして区別し醸造。全10種類、6万本のワインを生産する。
言葉が次々と湧き出るワイン
彼らが誇るチェンブラ産ミュラー・トゥルガウ「ヴィアシュ(Viàch)」は、標高が最も高く、ほぼ700mに達する畑で栽培し9500本を生産している。ステンレス・タンクのみで熟成をさせたもので、2016収穫年をテイスティングしたが、香りが高く、スズランやジャスミンといった白花のように儚く、守ってやりたくなる小天国のようだった。ここ数年で試飲したミュラー・トゥルガウの中で最高だ。
「僕たちは山の人間です。手も靴も、いっつも泥だらけにしてやってます!」
この優雅なワインをちびちびやっている僕に若い生産者からこんなことを言われたら微笑まずにはいられないじゃないか。
「コル(Còr)」はトレンティーノ地域の方言で心(cuore)を意味するという。実際、僕は心底このピノ・ブランに惚れ込んだ。そもそも、ピノ・ブランは僕の大好きな品種の一つ(ああ、ボー・ペイサージュの岡本のピノ・ブランは今でも忘れられない。ノスタルジーすら感じる!)だが、標高500メートル級の畑で栽培醸造されるこのワインはたったの3400本。洋ナシやフローラル、最後にカカオ、ナッツメグやコーヒーを思わせ、その畑が与えてくれる幸福感と包容力を大いに語っている。正真正銘 山育ちのピノ・ブランだ。
一方「コルヴァイア(Corvàia)」は、ピノ・グリとしてはイタリアで最も標高の高い畑で育ち、栽培密度は1ヘクタールあたり9000本、機械作業が全くできない先祖代々の畑で栽培されている。ドライで新鮮さと香りについてはチャンピオン級のワインだ。
そして自慢の「トレントDOC」。100%シャルドネによるブランは黄金色。シュールリー24カ月(近いうちに36カ月、48カ月から60カ月までがリリースされる予定らしい)。
さらにロゼはピノ・ノワール60%を含み香りが素晴らしい。
テイスティングの締めくくり、ピノ・ノワール「アゴレ(Àgole)2016」のテイスティングは忘れがたいものとなった。
「僕たちは醸造の手順をしっかり記憶し、収穫作業は20キロ入りの箱に布を敷いてブドウの漿果が割れないように房を一房ずつ慎重に摘んでいきました。全ての作業を完璧にこなしたつもりでいたんです。小樽への澱引きを終え、11月に入ってから試飲をしました。ところがまずかったんです。ボトリングは諦めるしかないなとがっかりして、それでも9カ月間はそのままにしておくことしにしました。6月に入ってからダメもとで試飲してみると、それが完全に別物になっていて、それがこれです。ピノ・ノワールという品種がいかに繊細で複雑か、そして自然と向き合うことには、常に驚きが伴うものだと思い知らされました」
しっかりしたボディーに、ブルーベリー、ラズベリーやアマレーネ(酸味の強いサクランボ)の香しさがあり、スミレ、カカオを思わせ……適当な言葉を探しいていけば表現はどんどん浮かんでキリがないほどだった。だが、何よりもブドウ!絹のような滑らかなタンニンが気高いブドウを感じさせる。
この熱意溢れる青年を見つめながら、僕は既に次の旅、次のテイスティングのための立ち寄り先を脳裏で考え始めていた。そして、「僕たちの国イタリアとは何という国だ!」と思った。僕は職業として常にこの国の最も優れた部分を堪能させてもらっているのだ。
僕はなんて恵まれているんだ!?
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it
WINERY DATA
CORVÉE SRL
Località Bedin, 1
38034 Cembra Lisignago (TN)
Tel. +39 3440260170
info@corvee.wine
www.corvee.wine
『イル・ゴロザリオ』とは?
photograph by Masahiro Goda
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。