「食の力」発見プロジェクト-1
東京メトロが野菜を育てる理由。
2018.11.08
photographs by Tsunenori Yamashita
「食の力」に着目する企業が増えています。
すべての人にとって不可欠で、身の回りから地球規模までの広がりを持ち、1日3度という営みの中でじわじわ浸透していくのが「食の力」です。
食を通してメッセージを伝えよう、社会に働きかけようと考えるのは、必然なのかもしれません。
このシリーズでは、そんな企業の取り組みをクローズアップ。
第1回は、東京メトロの野菜ブランド「とうきょうサラダ」に迫ります。
異ジャンルのプレイヤーのパフォーマンスに目を見張る。
陸上男子100mと200mの世界記録保持者ウサイン・ボルトの最近のフィールドは、サッカーのピッチだ。オーストラリアAリーグ・セントラルコーストの練習生としてゴールを決めた映像が世界に流れたが、人類最速男が躍動する姿はピッチでも力強く美しい。
その道一筋の練達の技にはいつだって惚れ惚れさせられるけれど、異ジャンルのプレイヤーのパフォーマンスもまた、はっとする鮮烈さがあって心ときめく。
食の世界でも同様のことは起きている。
異ジャンルから飛び込んでくるからこそ、新しい視点で捉えられて、新鮮な感覚で表現される。そこから切り拓かれていくものは必ずやたくさんあるに違いない。
「東京メトロがレタスを栽培している」と聞いた時、鉄道と野菜という組み合わせに「へぇ~」と思いつつも、妙に納得した。なぜって、どちらも地中の活用法だからだ。でも、よく話を聞いてみると、東京メトロの野菜栽培は植物工場によるもので、地面は使わないのだった。
場所は東西線西葛西駅近くの高架下。以前は倉庫として使われていた小さな建物を、栽培面積167㎡の人工光閉鎖型植物工場に改装したという。
スタートは2014年12月。4年間の実績を重ねて、いまやレタスやベビーリーフなど400~500パックを日産し、東京・品川のストリングスホテル東京インターコンチネンタルやヒルトン東京お台場などに卸す。
卸し先がホテルであるという事実は何より「とうきょうサラダ」の信用を物語る。
思い浮かべてみてほしい。ことホテルに対して、人はなぜか期待値が高い。「行き届いたサービスで当然」「上質で当然」「ミスがなくて当然」……。
それはそのまま仕入先への要求に反映される。クオリティのみならず、粒揃いであること、安全性、安定した供給など、均質性や一貫性も必須条件となるため、納入業者の多くが、ホテルに納める製品づくりにはどれほど神経を使うことか。
そんなホテルという存在から、東京メトロの野菜は信頼を得ているのだ。
「お客様の生命を預かっているから」
「きっかけは遊休地の活用でした」と語るのは、事業開発本部の柴崎遼太さん。
東西線西葛西駅近くの高架下の活用法として“植物工場で野菜を育てる”という提案が社員からあがり、新規事業として立ち上げることになったのだという。
「そして、もうひとつ。“安全・安心”を追求するという鉄道会社としての強みが、野菜作りにおいても活かせるのではないか。そんな狙いもありました」
柴崎さんの話を聞いて、頭にあるフレーズが浮かんだ。
「お客様の生命を預かっているから」
バスやタクシーの運転手、鉄道関係者、飛行機のパイロットや客室乗務員など、交通機関に携わる人々がよく口にする言葉である。
このフレーズを、実はレストランのシェフたちもしばしば発する。「お客様の口に入る料理を作ることは、お客様の生命を預かっているも同然。間違いを起こせば生命に関わる事態を引き起こしかねないのだから」、シェフたちはそう言う。
東京メトロの駅や車内で見かける「安全。安心。メトロの目」というコピー。都市機能の根幹を支える交通機関としてのモットー「安全・安心」を、食でも実践していこう。東京メトロの野菜にそんな思いが込められていたと知ると、俄然興味が湧いてくる。
「植物工場で育てるからこそ“安全・安心”を実現できる」と柴崎さんは言う。
そもそも、植物工場とはどんなものなのか。柴崎さんにご案内いただいた。
異物をシャットアウトする閉鎖型農場。
東京メトロの植物工場は、宮沢賢治の「注文の多い料理店」さながらだった。
扉をひとつ開けようとする度に“注文”があるのである。
そして、エアシャワー。両手を上げて3回まわり、全身にくまなく風が当たるように浴びる。
こうして、外界からの虫や好ましくない菌の侵入を徹底して防ぐ。
「閉鎖型だから、農薬を一切使用することなく栽培できる」と柴崎さん。「近隣の小学校から社会科見学の希望が寄せられることもあるけれど、不測の事態を回避するため、泣く泣くお断りしているんです」。
一歩足を踏み入れた栽培空間には、水耕栽培用のプラントが7基、並んでいた。畑が7枚並んでいるイメージだが、プラントは栽培プレートが縦に重ねられるため、1プラント当たり4~5枚の畑を収容していることになる。
栽培方法は、土壌での栽培と大きくは変わらない。
専用のウレタンスポンジに1粒1粒、種を蒔く。芽が出たら、液肥の流れる棚に移す。葉の成長に合わせて、さらに間隔の広い場所へ定植。適切な大きさに育ったら、収穫する。
種蒔きから収穫までの日数は、ベビーリーフで3週間、レタスが5週間だそうだ。
植物工場と言っても、作業はすべて手作業で、どう見ても立派な“農業”である。
ただ、1)栽培空間は温度、湿度、CO2濃度が一定に管理されており、2)液肥も野菜にとって最適な状態が保たれるようにコントロールされ、3)波長を最適な照度に調整したLED照明で光合成させる、という点において植物工場という名称が使われるのだろう。
「気候や自然の影響を受けない環境下で栽培するメリットは、思いのほか高いと思います」と柴崎さんが説明してくれた。
1.農薬を使う必要がない。
2.台風などの悪天候に左右されないため、常に安定して栽培できる。
3.味や大きさなどのばらつきやブレが少ない。
4.調理の際に虫や土を取り除く必要がなく、外側の葉まできれいで柔らかいのでロスが少ない。
5.エグミやアクが少ないので食べやすい。等々。
ホテルからのニーズが高いのもよくわかる。
同じく事業開発本部の田中麻衣子さんが「持ちがいいんですよ。野菜って、冷蔵庫にストックしておいても、仕事で帰りが遅くなって、使うタイミングを逃しがちだったりする。でも、東京メトロの野菜はいつまでもシャッキッとしているんです。菌が少ないから、傷みにくいんでしょうね」と語る。
鉄道のプロから野菜のプロへ。
栽培を手掛けるのは、正真正銘、東京メトロの人たちである。元車掌さんだったり、運転士さんだったり。毎日約400パックを収穫して出荷するところはパートさんたちの力を借りながらも、栽培管理を担うのは鉄道のプロたちだ。
「畑違いの仕事に取り組むご苦労があったんじゃないですか?」と尋ねると、「今も苦労が絶えませんねぇ」と柴崎さんが笑った。
「成電工業というプラントメーカーの指導を受けて取り組み始めたのですが、実際に栽培し始めると、なぜか芽が出ないとか、育ちが悪いとか、うまくいかないことも多かった。日々悩みながら、経験を重ねるうちにいろいろわかってきて」
柴崎さんは今、取り扱い品目を増やすべく、品種の開拓に取り組む。
「商品ラインナップが緑色の野菜ばかりなので、色のバリエーションを増やしたいと考えています。納品先のシェフからも『色味のある野菜が欲しい』と言われていて。LEDでは赤系の野菜が栽培しにくいんですね。そこをなんとかしたい」
鉄道のプロたちにとってのもうひとつの難関は営業だったという。
「鉄道会社って、そもそも営業機能がないんです。営業って、どう動けばいいのか、できた野菜をどうやって売ればいいのか、最初は途方に暮れていました。地元のレストランを調べて電話をかけたり、ホテルにアプローチしたりしながら、取引先を増やしていったんです」
いまや、品川のストリングスホテル東京インターコンチネンタルでは、「ザ・ダイニング・ルーム」で「とうきょうサラダ」を使ったランチ・ディナーコースが毎日提供されるまでになっている。
「東京メトロは元々、新規事業の開発に積極的なんですよ」と田中さんは語る。少子高齢化に伴う運賃収入の減少を見越して、新しい事業の芽を探し続けているのだそうだ。
様々な試みがなされてきた中で、この植物工場はしっかり根付きつつあるという。
植物工場を増設する予定の有無を尋ねると、植物工場向きの遊休地がそうはないらしい。
「基本的に地下を走っているので、高架下もそんなになくて、地下は地下で用途に制限があって自由に使えない。西葛西のこの場所はちょうどよかったんですね」
畑の気配も土のかけらもない場所で、質の高い野菜が栽培されているという事実は、環境を選ばない野菜栽培の可能性を示す。土を拠り所とする農業の一方で、土を使わない農業の価値を、「安全・安心」という東京メトロのモットーが照らし出しているわけだ。世界中には風土的あるいは災害の影響などで野菜の栽培がむずかしい土地もある。その対策のひとつになり得たり、食糧危機に対抗する手段のひとつとして考えられたり、示唆するものは多い。
鉄道が都市のインフラなら、野菜は現代人の食のインフラだ。東京メトロさん、街中で野菜を栽培するこの仕組みをもっともっと張り巡らせていってください。
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