エルメさんのための日本の小麦講座 エルメさん、美瑛の小麦畑へ。
1970.01.01
FEATURE / WORLD GASTRONOMY
photographs by Masahiro Goda
素材の探求に余念がないエルメさん。目下のテーマは「粉」です。
日本の小麦について知るべく、日本有数の小麦産地、北海道・美瑛町を訪れました。
目下のテーマは「粉」
ピエール・エルメさんは、目下、粉を探求中だ。「パンの味と粉との関係は随分研究されてきたけれど、お菓子の味わいに粉がどう影響するのかはまだまだ」とエルメさん。
お菓子作りに粉は欠かせない。が、味を左右するのは、どちらかと言えば、バター、砂糖、卵、ショコラ、フルーツといった素材のほうだ。これらがもたらす甘味や酸味、コクや旨味、焦がした時の香ばしさ、炊いた時、煮詰めた時の凝縮感がお菓子の印象を決める。
対して、粉はお菓子を形作る土台であり骨格。ボリュームを出したり、ふわふわ、どっしりさせることは得意だけれど、味はひっそり。縁の下の力持ちなのである。
「私たちパティシエは、粉を機能として捉えてきました。でも、ふと、粉を味の面から捉えられないかなと思い始めたんです」。
ならば、日本の小麦粉についても知っておこう。今、日本では国産小麦にぞっこんのブーランジェやパティシエが増えている。日本独自のキャラクターを持つ小麦品種が開発され、クオリティの向上も著しい。ぜひ、日本の小麦作りの現場を見ておこう。エルメさんは、北海道の美瑛へと向かったのだった。
パッチワークの丘で
「日本にこんな所があるとは思わなかった」。「パッチワークの丘」の名で知られる美瑛の風景を見たエルメさん、しばし感動である。
この景色は厳しい開拓史と共にできあがった農村の姿。農家の営みが生み出した尊い景観だ。
実は、美瑛町は「日本で最も美しい村」連合のメンバーである。「日本で最も美しい村」連合とは、失ったら二度と取り戻せない農山漁村の景観・文化を守りながら自立を目指す活動体。そもそも、この連合の設立を呼びかけたのが、美瑛町の浜田哲町長だった。浜田町長は「フランスで最も美しい村」連合の総会に出席して感銘を受け、日本での設立に尽力。2005年に7町村からスタートし、現在53町村で構成される。2010年に「世界で最も美しい村」連合に加盟し、来年6月にはここ美瑛で世界大会が開かれる。
この美しい景観の担い手の一人、小麦農家の浦島規生さんがエルメさんを小麦畑へと案内する。「エルメさんのための日本の小麦講座」第1部のスタートである。
「この畑は、秋蒔きのゆめちからです」と説明する浦島さんに、エルメさん「秋蒔き?」。「北海道の小麦は9月に蒔いて7〜8月に収穫する秋蒔き、4〜5月に蒔いて8月に収穫する春蒔きがあります。秋蒔きは、6月上旬に花が咲いて、実が入り始めるんですよ」と、花弁がこぼれ始めた穂をエルメさんに見せる。
エルメさんを小麦畑へ案内した浦島規生さん。JAびえいの理事も務める。 |
「この品種は日本独自のもの?」という質問に、「日本の気候風土の中で健全に育ち、日本の食嗜好に合うよう品種改良を重ねてきた品種です」と浦島さん。「美瑛では、きたほなみ、春よ恋、ゆめちからの3品種を栽培しています」。
エルメさんが「風になびく麦の波が美しい」と畑を見渡すと、「秋蒔きと春蒔きでは畑の色が違い、品種が違うとまた色が違う。きたほなみより、ゆめちからのほうが濃かったり。そんなこともあって、美瑛の丘はパッチワークのように見えるんですよ」と浦島さん。
地域と品種別にテイスティング
美瑛の景観と味覚を体感できるスポットとして、今春オープンしたのが、「北瑛小麦の丘」だ。札幌の三ツ星レストラン「モリエール」の中道博シェフ率いるラパンフーヅ、美瑛町、JAびえいの3者が手を携えて営む。美瑛をはじめ道産食材を使ったフランス料理を供する「レストラン bi.blé」、美瑛の小麦と薪でパンを焼くパン工房、宿泊施設、食のプロを育成する研修施設も併設する。
この「北瑛小麦の丘」が、「エルメさんのための日本の小麦講座」第2部の舞台。ここからは、日本の小麦の歴史と日本各地の様々な小麦の特徴を伝えていく。
まずは、道産小麦の普及に貢献してきた江別製粉の佐久間良博さんが、日本の小麦の由来を語る。日本における小麦食の歴史は少なくとも奈良時代まで遡ること。もっぱら麺として食してきたため、日本の小麦は麺に適したもっちりタイプであること。戦後、アメリカの影響と給食の浸透によってパン食が普及したこと・・・。
以降、外麦主導で進展してきた日本のパンの世界で、今、国産小麦に熱い眼差しが向けられているという話にエルメさんも頷く。
続けて、美瑛産の小麦粉3種を皮切りとして、全17種類の粉の解説と共に、ドンクの仁瓶利夫さんが同一条件下で焼き上げたパンをテイスティング。
「北海道産の小麦は概してグルテンの強い品種が多く食パン向き。九州の粉は昔ながらの麺用粉だったりするため、グルテンが弱い分、意外にフランスパン向きなんですね」と仁瓶さん。
テイスティング用に用意されたパンは、ゆめちからブレンド(美瑛産)、春よ恋ブレンド(美瑛産)、きたほなみブレンド(美瑛産)、きたほなみ(北海道産)、きたほなみブレンド(北海道産)、ミナミノカオリ(九州産)、ニシノカオリ(九州産)、シロガネコムギ(九州産)、農林61号(本州産)、さとのそら(本州産)、ハナマンテン(本州産)、群馬県産小麦ブレンド(さとのそら、つるぴかり、きぬの波、W8号)。以上を仁瓶さんが焼いた。アグリシステムの有機キタノカオリ(十勝産)はカタネベーカリーの片根大輔さんが、江別製粉による10P09(道産小麦ブレンド)、E65( 道産小麦ブレンド)をダンディゾンの木村昌之さんがパンとして用意した。 |
自分専用の粉が必要になる!?
最近、日本ではブーランジェが小麦畑を訪ね、生産者と交流するケースが増えてきた。その原動力となっているのが、食材卸のアグリシステム、伊藤英拓さんだ。「生産者指定で粉を求めるブーランジェも増えていますね」という説明に、エルメさん、「よくわかります。自分の作りたいお菓子を追い求めていくと、そのための素材が必要になる。私は、農園指定のカカオで自分用のクーベルチュールをメーカーに依頼しているのですが、粉も同じようにするかもしれません」。
今、エルメさんは、個性的な小麦粉で作るパート・サブレを挟んだマカロンを試作中という。パート・サブレのアイスクリームも考えているらしい。
「今日は日本の小麦の成り立ちと特性がよくわかって興味深かったです。フランスの小麦についても、もっと深く知らなければいけませんね。10日後には、フランスのビオの小麦畑を訪ねるつもりです」。
帰りがけ、エルメさんが言った、「朝、bi.bléのダイニングで食べたクロワッサン、おいしかったです。あれも北海道の小麦粉ですよね?」。
もちろん。「フィユテがよく出ていました」。何よりうれしい言葉だった。