コンクールの勝者のルーツを探る! 世界一への道は、ル・コルドン・ブルーから始まった。 | The Cuisine Press WEB料理通信
1970.01.01
FEATURE / MOVEMENT
| 英語(English) |
text by Rieko Seto / photograph by Sai Santo
昨年10月、イタリア・ミラノで開催されたパティシエの世界大会 「The World Trophy of Pastry Ice Cream Chocolate」で日本チームが優勝しました。そのメンバーの一人が「ダロワイヨジャポン」のパティスリーシェフを務める中野賢太さんです。中野さんのパティシエへの道は、ル・コルドン・ブルー東京校で開かれました。「当時教わったことが、今も自分の中で生きています」と力強く語ります。
7時間半闘い抜いて、13カ国の頂点に。
数々の国際的なコンクールで優勝するなど輝かしい成績を納め、高い技術力と創造性で世界から注目を集める日本の若きパティシエたち。2015年10月、イタリアのミラノで開催された「ワールドトロフィー オブ ペストリー アイスクリーム チョコレート」では、日本チームが見事優勝し、参加13か国の頂点に立った。「The Evolution of Technology」というテーマのもと、日本チームは自然からのインスピレーションを表現。飴、チョコレート、パスティヤージュで作られた3つのピエスで空、陸、海を描き出し、高い評価を得た。
元「グラッシェル」の江森宏之さん、「グラン・ヴァニーユ」の津田励祐さんと共に、日本チームとして闘ったのが、「ダロワイヨジャポン」でパティスリーシェフを務める中野賢太さんだ。担当したのは、飴細工とアントルメ。日本代表として世界で闘えるチャンスに魅力を感じ、多忙な中での出場を決めた。
「いざ、やり始めてみると、第1回目の大会ということもあって情報がほとんどなく、想像以上に大変でした。皆でアイデアを寄せ合い、ようやく作品の形が見えてきた時には、すでに本番2か月前。当日は多少のアクシデントもありましたが、それでも3人で力を合わせて7時間半戦い抜き、世界一の称号を取れたことはうれしく、大きな自信になりました」
共に闘った江森宏之さんの中野さん評。「パリの最高級ホテル、プラザ・アテネに在籍中、シャルル・プルースト杯という世界クラスのコンクールで準優勝しており、知識も経験も頼りがいがありました。本番でも常に冷静沈着で、作業が正確で美しく、安定感があった。それはコンクールの審査員も言っていましたね。事前の準備やオーガナイズにも優れていて、パティシエのお手本のような人だと思います」
ル・コルドン・ブルー東京校で、パティシエの深みにはまる。
中野さんが菓子の世界への扉を開いたのは、ル・コルドン・ブルー東京校での授業だった。大学で英語学を学ぶ傍ら料理人を志し、その前段階として軽い気持ちで菓子講座へ。「テンパリングという言葉すら知らなかった」中野さんには、聞くことすべてが新鮮。シェフたちの高い技術、知識の豊富さ、できあがった菓子の美しさに魅せられ、学ぶ楽しさに引き込まれたという。「かっこいい!と思いましたね。これなら仕事にしても面白いかな、と」
東京校で受講したのは、基礎と中級。授業では、もはやフランスでも見かけることが少なくなった古典菓子を学ぶことも多かった。「フランス菓子の歴史におけるクラシックな菓子の存在を知り、作る機会を持てたことは貴重だったと思います。現代の菓子を見ても、実はクラシックな生地がそのままの配合で使われていたり、古典菓子のバランスを変えた菓子だったりと、基盤になっていますから」
実習では、各生徒が最初から最後まで、自分1人で1台のガトーを作り上げる。「分業でないので、すべての工程を経験できてよかったと思います。機械ではなく、手で行なう作業も多くて、ムラングやパータ・ボンブも手で泡立てていましたから、大変。でも、意外にこれが大事なんです。手で作った経験があるからこそ、機械を使っても感覚が掴める。見極めのタイミングがわかる。人に教える時、よくそれを思い出します」
現場経験豊かなシェフ講師による、個性を大切にした教え方。
もうひとつ中野さんの心に残っているのは、経験に基づいた豊富な知識で生徒と向き合うシェフ講師たちの型にはまらない教え方。フランス人のシェフも日本人のシェフも、それぞれが複数の店で働いた経験を持ち、同じ生地でも様々な作り方、それに対する考え方を知っている。「『正解は一つじゃない』と教えられたのがよかったですね。現場に出ればそういうものですから。そして、熱意があり、どんな質問をしても答えが返ってくる。教える技術で言えば、東京校は世界でも上位に入ってくるだろうと思います」
翌年、パリ校で上級を受講し、ディプロムを授与された中野さん。「東京校のベースがあったので、授業にもフランス的な感覚にも特に戸惑いはなく、本場の空気を存分に体感しました。飴やチョコレートのピエス作りが多くて、面白かった」
ル・コルドン・ブルーの紹介で、M.O.F.パティシエのもとへ。
研修先は学校から紹介を受け、希望通りの「ラ・グラン・デピスリー・ド・パリ」へ。当時シェフであった、M.O.F.パティシエのニコラ・ブッサンさんから直々に指導を受け、初めてのコンクール出場も果たした。その後、いったん帰国して大学を卒業し、「ジュヴォー」を経て再渡仏。「ホテル・プラザ・アテネ」では、大胆さと遊び心に満ちたクリストフ・ミシャラクさんの薫陶を受け、2008年にはシャルル・プルースト杯で総合準優勝。フランスのエスプリを体に染み込ませながら、着実にキャリアを重ねていった。
2012年、中野さんはフランス ダロワイヨのM.O.F.パティシエであるヤン・ブリスさんの誘いを受け、「ダロワイヨジャポン」のパティスリーシェフに就任する。「ダロワイヨ」といえば、200年以上の歴史を持つパリの老舗パティスリーだ。日本に開店してからもすでに33年が経ち、多くの日本人に親しまれ、愛される存在となっている。その重みを、中野さんも日々、ひしひしと感じずにはいられないという。
photograph by Sai Santo
「ダロワイヨジャポン」のパティスリーシェフとしての仕事
まず求められるのは、パリ本店と直接やりとりし、そのルセットに基づいて、できる限り同じ味を日本で提供すること。「ダロワイヨらしさは何よりも大切。日本では同じ素材が使えなかったり、市場に見合うよう手を加えなければならなかったりしますが、配合を極力変えず、ダロワイヨとしてのエスプリを残すようにしています」。
なかには、中野さんが開発を手掛けた日本独自の商品も。「桜のシューには桜餡を入れるなど、日本的な素材も必要とあれば使います。型にはまったこだわりは、あまりありません」それでも自然にフランスの香り漂う菓子に仕上がるのは、常にフランス菓子の世界に身を置いてきた、中野さんだからこそ。日本の洋菓子は、フランスだけでなくドイツやオーストリア、イタリアなど、様々な潮流が混じり合って形を成している。が、ル・コルドン・ブルーに始まり、フランスのパティスリーやホテルでのみ経験を積んできた中野さんに貫かれているのは、純粋なフランス菓子のエスプリ。
ル・コルドン・ブルーの教えが生きている。
「いい意味で日本に染まっていないのは、僕の強みだと思います。こうでなくてはいけない、と考えないのは、ル・コルドン・ブルーの教えが生きているのでしょう」時には責任ある立場として、決断に勇気を要することもあるというが、背中を押してくれるのはコンクールで得た自信だ。
「コンクールでは順位というわかりやすい形で、客観的に自分の実力を評価されます。結果が得られれば、自分のこれまでの歩みや仕事が認められたということ。自信になります」同時にコンクールを経験したことでプレゼンテーション力が磨かれ、一歩進んだ意味のある表現ができるようになったのも、うれしいところ。ル・コルドン・ブルーでの経験をはじめとして歩んできた道のりに裏付けされた中野さんならではの個性を生かし、自由に、しなやかに、フランス菓子の喜びを人々に届けている。
◎株式会社ダロワイヨジャポン
パティスリーシェフ兼製品開発室長
中野賢太 Kenta Nakano
1980年生まれ。1999~2001年、大学在学中にル・コルドン・ブルー東京校(基礎、中級)、パリ校(上級)で菓子講座を修了し、パリ「ラ・グラン・デピスリー・ド・パリ」で研修。大学卒業後、広尾「ジュヴォー」に勤め、07年再渡仏。オリヴィエ・バジャール国際製菓学校を卒業し、パリ「ホテル・プラザ・アテネ」、ペルピニャン「オリヴィエ・バジャール」、オピオ「ショコラトリー6c」で研鑽を積む。2011年帰国し、ル・コルドン・ブルー東京校アシスタントを経て、2012年「ダロワイヨジャポン」のパティスリーシェフに就任。2008年、シャルル・プルースト杯にて総合準優勝、2015年ワールド トロフィー オブ ペストリー アイスクリーム チョコレートにて日本代表チームとして優勝。
第一線で活躍中のシェフから学ぶスキルアップ講座「マスタークラス」に中野賢太シェフを招致します。東京校5/22(日)14:00-17:00 6/11(土)10:00-13:00 実習3時間
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