未来のレストランへ 16
未来はよくなると思い込み、 そのときに必要な人を育てていく
東京・麻布十番「老四川 飄香」井桁良樹さん
2021.05.17
text by Noriko Horikoshi / photographs by Hemi Cho
連載:未来のレストランへ
飲食店に営業時間の短縮要請が出されるようになって、1年以上が過ぎました。3度目の緊急事態宣言では酒類の提供店には休業が要請され、厳しい状況が長期化しています。終わりが見えない苦境のなかでも果敢に挑戦を続ける店に、レストランの未来の形を探します。
目次
雇用を止めない覚悟
未知のウイルスが猛威を振るい、政府から営業自粛や休業を要請される。予測不可能な危機に見舞われたとき、人を最初に襲うのは無力感だ。「老四川・飄香(らおしせん・ぴゃおしゃん)」のシェフであり、経営者でもある井桁良樹さんにとっても、それは例外ではなかった。2020年4月、緊急事態宣言の発令に先駆け、まず麻布十番本店が2週間のクローズを決定。六本木ヒルズ、銀座三越の直営2店舗も、テナントとして1カ月の完全休業を余儀なくされた。
「浮かんでくるのは『どうなるのか』『大丈夫なのか』というネガティブなフレーズばかり。最悪のケースも覚悟しなければ、と思ったり。15年店をやってきて、経験したことのない苦しい時間でした」
不安に揺さぶられながらも、当初からぶれない軸が1本あった。「雇用し続ける」覚悟である。「飄香」の従業員数は当時26人。直営3店舗に加え、秋にはメニュー監修とオペレーションを請け負う新店のオープンも控えていた。グループの規模に見合う要員ではあるが、休業が長引けば負担は計り知れない。人員整理まではいかずとも、休業手当の6割支給で当座をしのぐ選択肢もあったはず。しかし、そうはしなかった。
「そのうち終わるだろうと、高をくくっていたせいでもあるのですが(笑)」
そう言いながら、スマートフォンを取り出す井桁シェフ。開かれたLINEの画面には、従業員の一人から届いたという長文のメッセージが残されていた。日付は、まさに翌日からの休業を決めた2020年4月5日。そこには、自分たちの給料をカットしてはどうか、ぜひ、そうしてほしいという申し出が切々と綴られている。「シェフの料理のファンとして、1日も長くこの店が続いてほしいから」という結びの言葉とともに。
「泣けちゃいますよね。そこからです。『どうなるのか』から、『どうにかする』に気持ちが切り替わったのは。スタッフを不安にさせて、自分が落ち込んでいる場合じゃない。長く続けることを前提に、やれることはすべてやろう!と、前を向くきっかけをもらいました」
ピンチは成長のチャンスになる
“やれること”の第一弾として始めたのが、テイクアウトである。メニュー案を練るにあたり、2週間の自粛期間中に考え続けた。お客様は今、何を求めているか。何を出したら、喜んでくれるだろうか。
「自分もそうでしたが、家にこもっていると気が滅入るから発散したくなる。体が強烈にスパイスを求めていることに気づきました。免疫力も上げられれば、もっといい。けれど、漢方に寄りすぎず、食べておいしく、元気が出るものを、と」
思いついたのが“薬膳スープ”だ。烏骨鶏からとっただしにゴボウ、マイタケを惜しみなく、たっぷり。原価度外視の贅沢なスープを、麻婆豆腐や鶏のスパイス炒め等の定番惣菜にサービスで付けて提供することに。当然、利益が上々とはいかない。しかし、店としても初めてのテイクアウトへの取り組みは、数字にならない成果をもたらしてもいる。
「手探りの中、社員が率先してビラを配り、パッケージを工夫し、と積極的に動いてくれた。グループの2店が再開すると、各店のスタッフがアイデアを出し合ってメニューを考え、SNSで発信する動きも生まれました。休業後も従業員の志気は衰えず、むしろポジティブな意味での競争意識と結束力が高まった。思いがけない変化でした」
5月末からは休業要請が緩和ステップに入り、全店で営業も再開。しかし、資金繰りでは綱渡りが続いた。いずれも都心の一等地にある店舗のテナント料は高額なうえ、違約金の縛りがあり、撤退もままならない。賃料の減額交渉も難航し、月額1000万円近くの固定費が右から左へ消えていく。全額支給の給料分として銀行から借り入れた資金はすぐに底をつき、セーフティネット保証(4号・5号)の融資も頼った。もちろん、持続化給付金をはじめ、家賃支援給付金、時短営業に伴う感染拡大防止協力金など、対象となる補助金や助成金は、すべて利用している。
「借り入れの総額は、新しい店を2軒出せるほど。やはり気持ちはざわつきます。銀行の担当者にも『従業員を守るのか。会社を残すのか。よくよく考えたほうがいい』と言われたり。まあ、きつくなかったと言えばウソになりますね(笑)」
一時は戻るかに見えた客足も、感染拡大の第二波、第三波で遠のき、低空飛行の日々が続くことも。一晩に来客が1~2組の日も珍しくなかったが、「1組のゲストに対して、どれだけ丁寧に、心を砕けるか。サービスを磨くチャンスだぞ、と。夜が明けたときをイメージして、今はお客様との絆を深めることに徹しようと、従業員には言い聞かせていました」と井桁シェフ。以前から、本店での仕事を終えた後は六本木、銀座の各店に出向き、努めて現場スタッフと話す時間を作ってきたという。信頼のバトンは、苦境の中でも取りこぼしなく、着実につながれていた。
人のつながりから生まれる力
コロナ禍をきっかけに注力するようになった、もうひとつの事業が通信販売である。それまでは自家製オイルのセットのみだったアイテムを、惣菜や点心、麺のセットも加えて拡充。昨年デザインを一新したウェブサイトでも、デリバリーやテイクアウトと並んで通販の存在感がぐっと増しているのが見て取れる。
「遠方の方にも『飄香』の味を知っていただくための、前向きな機会と捉えて。家で過ごす時間が長くなるので、少しでも食卓の楽しみが増すような“ごちそう感”も意識しています」
一番人気は、8種類の人気惣菜や食品を詰め合わせた「飄香デラックスBOX」。品目ごとに詳細な説明書を添付するほか、前もって用意が必要な具材についてはウェブサイトにも明記。セットメニューの選定では、常連のゲストに通販で食べたいと思う料理について意見を乞い、ヒヤリングに生かした。できたものは自宅に送り、「お客様の気持ちになって食べながら、味付けや辛味の調整」も。通販という対面ではない業態を取り込みながらも、井桁シェフの視点は常に人に向いている。相手が顧客であれ、従業員であれ。それは、「飲食業という仕事の意義は、人との触れ合いにある」という思いに基づくものであり、コロナの体験を通して不動の信念となった。
人のつながりは、確実なリターンも生む。通販では1万円の食事券の取り扱いを始めるや、1週間で100枚以上が売れた。その後、数十枚を長年の顧客が一人でポンと買い、せっせと通ってくれているという。「なくなったら困るから」というのが、その理由。レストラン冥利に尽きる話ではないだろうか。
「お客様に、どれだけ笑顔になっていただけるか。営業でも通販でも、そこは変わらない」とシェフは言う。1年が過ぎ、いまだ感染拡大の収束が見えない状況下で、通販を含む新事業への取り組みを成功させるために、よりチームの力を結集させる必要が出てくるかもしれない。となれば、鍵を握るのは「人。やっぱり人に尽きるんです」
難局は続くものの、今年も3人の新規採用が決まっている。「必ずよくなると思い込まないと。そのときに、人材が育っていないと動けないから。未来への布石です」。強い確信の源にあるのは、自身が育ってきた環境だ。中国料理では個の技を磨くことでチームワークを高め、つくり上げていく仕事観がある。
「私の師匠も『中国料理は“申し送り”の世界。飼い殺しには絶対しない』というのが口癖でした。迎え入れるかぎりは、自分を超える技術を身につけてほしいし、そんなプロフェッショナルが集まる集団でありたい。徳を高め、四川料理という個性をチーム一体で強めていく。そうすることが、コロナがいつ終わるかにかかわらず、生き残りの道につながるのだと信じています」
◎老四川 飄香 麻布十番本店
東京都港区麻布十番1-3-8
Fプラザ B1F
☎050-3134-5664
https://www.piao-xiang.com/
Instagram:
@_piaoxiang_
◎老四川 飄香小院(六本木ヒルズ店)
東京都港区六本木6-10-1
六本木ヒルズ森タワーウェストウォーク5F
☎050-3177-4848
Instagram:
@piaoxiangxiaoyuan.roppongi
◎老四川 飄香 銀座三越店
東京都中央区銀座4-6-16
銀座三越 12F
☎050-3171-7024
Instagram:
@ginza_piaoxiang