GRAND VINTAGE 2006 × LE&(ル・アンド)Vol.2 料理とワインのFine Craftmanship | 料理通信
1970.01.01
| 英語(English) | |
シャンパーニュ地方・エペルネの「モエ・エ・シャンドン」を訪ねた米田肇シェフを、今度はブノワ・ゴエズ氏が訪問。「グラン ヴィンテージ 2006 」と米田シェフの料理のマリアージュを楽しみました。(写真左から米田肇氏、ブノワ・ゴエズ氏)
米田肇(以下米田):エペルネを訪ねて、改めて感じたのがシャンパーニュにおける「時間」の意味でした。私たち料理人は、常に料理の改革を試み、日々改善を図ることで高みを目指します。しかし、ワインはそうはいかない。与えられるチャンスは年に一度、得られる結果は早くとも数年先です。長期的な視点と根気が必要ですよね。
ブノワ・ゴエズ(以下ブノワ):ええ、結果を手にするには何年も待たなければならない。そこに美しさや面白さがあるのがワインですね。
米田:そう思います。
ブノワ:とにかく受け容れる。自然と時間には抗えない。受け容れた上で、つくり出す。それが私たちの仕事です。その顕著な例が2003年でした。猛烈な酷暑の年で、シャンパーニュの伝統に対抗するようなブドウの出来だったんですね。多くのメゾンがヴィンテージを造るのを諦めた。でも、私は受け容れようと思ったのです。ブドウに合わせて醸造の仕方も変えて取り組んだところ、非常に手応えのある結果が得られました。これが転換点となって、ヴィンテージに対する姿勢が変わりましたね。年の特徴を表現するに留まらず、その時々の変化した要素に対応していく柔軟性を持ながら、新しい物語を紡いでいこうと。変化を受け容れられる柔軟性をもって精緻な職人技を発揮することがfine craftmanship ではないか。それは、米田シェフも同じだろうと思います。食材も毎回同じということはあり得ないのですから。
米田:人間の進化には食が大きく関わっていて、必須アミノ酸などの栄養素や、人の味覚、調理法や加工法といったものが人類を進化させてきた側面がある。これからもまだ、なんらかの進化の可能性があるのではないかと私は見ています。とすれば、我々はよく考えてつくらなければいけない……。料理とは、平たく言えば、素材の加工です。加工の方法は何千通り、何万通りとある。でも、脳の感じ方としては、突き詰めれば「快」と「不快」の2通りしかないらしい。そこで気をつけなければならないのが、実験的な調理法を試みた時、しばしば「不快」に陥ってしまう危険がある、という点です。
ブノワ:ああ、以前、経験があります。
米田:それでは創造とは呼べないと思うのですね。提供すべきはあくまでも「快」でなければならない。新しい「快」の度合いが既存の「快」と遥かに開きがある時、それを「創造」と呼ぶのではないでしょうか。
ブノワ:おっしゃる通りですね。我々も「快」を大切にしています。みんなが飲みたいと思うようなaccessibility(接しやすさ)、触れた瞬間に出てくるspontaneity(自然さ、自由さ)、多様なものに対応できるgenerosity(寛容さ、懐の深さ)、この3つが「快」につながると考えています。だから、私が造るのは、テイスティングのためのシャンパーニュではなくて、飲んで楽しんで「快」を感じてもらうためのシャンパーニュなんですね。
米田:エペルネではいくつかのヴィンテージをテイスティングして、その複雑性に魅了されました。
ブノワ:complexity ですね。この仕事を続けてきて、最近思うのです、complexity の究極はsimplicity ではないか? これ以上削ぎ落とせない完璧なバランスを持った姿なのではないか?
米田:同感です。完全なる球体ですね。多様な要素で構成されているのだけれども、飛び出たところが何ひとつないがゆえにシンプルに見えてしまう。完璧なる「均衡と調和」ともいうべき、神様が創ったようなバランスになった時、人はそれを凄いと思う。ワインもそうですね。
ブノワ:今日、米田シェフの料理をいただいて、非常に深く考えられていると感じました。一つひとつのお皿に宇宙を描いている。私の場合、素材として、ブドウの品種があり、村があり、ヴィンテージがあり、それらを咀嚼して、再構築して、ユニバース(宇宙)をつくるわけですけれど、米田シェフの場合、様々な食材や調理法にそれぞれ存在理由があり、役割があり、全部あいまった形でひとつの宇宙を描き出している……。また、抑制のきいた、何をも突出することのない、互いにきれいな形でまとまりあったシャンパーニュとのマリアージュは、まさにすばらしいバランスだったと思います。
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