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FEATURE / MOVEMENT

東京・新宿「モアザン」は、いかにしてヴィーガンベーカリーになったのか?

2023.11.13

東京・新宿「モアザン」は、いかにしてヴィーガンベーカリーになったのか?

photographs by AKANE

連載:本気のヴィーガンベーカリー

「MORETHAN BAKERY(モアザンベーカリー)」がオープンしたのは2018年。
ライフスタイルホテル、東京・新宿「THE KNOT(ザ・ノット)」1階。国籍問わず、外国人に好まれるわかりやすいパンのラインナップとブルックリンスタイルの空気感で人気となったが、2020年には新型コロナウイルスの影響で売上は激減する。
窮地を救ったのが、「ヴィーガンパン」という思い切った舵の切り方だった。日本中の飲食店が混乱する中で行った決断が、のちに店を救う英断となった理由を、探っていく。

目次







コロナウイルス禍の決断

コロナウイルス禍の決断

都営「都庁前」の駅から緑豊かな新宿中央公園を抜けて5分ほど。東京・新宿「THE KNOT(ザ・ノット)」は老舗ホテル「新宿ニューシティホテル」をリニューアルして誕生した。従来のようなクローズドの場でラグジュアリーな非日常を味わうのではなく、近所の人が普段着でふらりと立ち寄れる日常生活の延長の場。ソファ、ウッディな長テーブル、モダンなインテリアに重心の低いリラックスしたレイアウト、居心地のよいカフェのような空間は人々の第三の居場所として賑わいを見せている。

“ヴィーガンパン × ホテル”と聞くと、多文化のインバウンドを見込んだ対応かとつい納得してしまうが、発想はそこからではない。「その考えは、半分正解で、半分ハズレ。だってうちのお客はほとんど地元の方だし、ヴィーガンパンを始めたのは、外国人が実質ゼロだった頃だからね」とは「モアザン」運営会社であり、「マザーズ」ベーカリー部門を統括する神林慎吾シェフである。

気候変動、環境意識の高まりから、植物性への移行は料理だけでなく菓子、パン、飲食業界全体にも及んでいる。乳製品のアレルギー人口の増加も背景にはあるが、日本の現場の動きは未だ鈍い。理由はやはり当事者の絶対数の少なさだろう。モアザンの場合も、ヴィーガンのスタッフがいたわけではない。

「マザーズ」ベーカリー部門統括シェフ、神林慎吾さん。18歳からパンの道に入り、2013年入社。東京・吉祥寺「Boulangerie Bistro EPEE 」ほか、全国の新店舗の立ち上げに関わる。

「マザーズ」ベーカリー部門統括シェフ、神林慎吾さん。18歳からパンの道に入り、2013年入社。東京・吉祥寺「Boulangerie Bistro EPEE 」ほか、全国の新店舗の立ち上げに関わる。

神林シェフは、1店舗に常勤はしていないが、若手の教育目的やイベント時には現場で腕を振るう。

神林シェフは、1店舗に常勤はしていないが、若手の教育目的やイベント時には現場で腕を振るう。

「まずは僕がヴィーガンパンを焼き始めたきっかけから話しましょう」と神林さん。そもそもは東京・中目黒のヴィーガンカフェ「アラスカ・ツヴァイ」のオーナー兼プロデューサーである大皿彩子(おおさら・さいこ)さんからの依頼だった。「パンのイベントのお題をもらってね。バゲットだけで、前菜からデザートまでヴィーガンのフルコースで作ってくれ、というもの」。野菜のカナッペやタルティーヌ、バゲットに野菜や果実の味を染み込ませてデザートやステーキにした。そこで気づいたのが「パンの味が、料理の主役になる」という感覚だった。

「考えりゃ当たり前だよね。そもそもパンは植物性の穀物の旨味を味わうものだから、動物性よりも植物性を寄り添わせた方が食べ手には伝わりやすい。これまでパンは、メインの料理を引き立てるものって認識が強かったけど、その逆もあるんだって。あぁそうか、と」

2度目のイベントのお題が決定的だったという。「甘いパンをヴィーガンで表現する」というもの。「ストレートに今のヴィーガンパンのラインナップを考える試金石になったと思う」。ドーナッツ、メロンパン、チョココロネ・・・ヴィーガン料理のアイデアを借りながらいくつかやった。「意外とやれるなぁ、という印象はあったけれど、その時もまだ半信半疑。まさかこれが商売になるなんて、思いもしなかった」

基本のヴィーガン菓子パン生地を揚げて作るヴィーガンドーナッツ。程よいヒキが適度なボリュームを感じさせる。(左奥から時計回り)レモン、コーヒーオールドファッション、シナモン、ココナッツ。

基本のヴィーガン菓子パン生地を揚げて作るヴィーガンドーナッツ。程よいヒキが適度なボリュームを感じさせる。(左奥から時計回り)レモン、コーヒーオールドファッション、シナモン、ココナッツ。

日曜限定から、平日にも定番として提供するようになったヴィーガンプレッツェル。ベース生地はヴィーガンで仕込み、トッピングだけでノンヴィーガンにも対応する。(左から)プレーン、シナモン、チーズ。

日曜限定から、平日にも定番として提供するようになったヴィーガンプレッツェル。ベース生地はヴィーガンで仕込み、トッピングだけでノンヴィーガンにも対応する。(左から)プレーン、シナモン、チーズ。

大皿さんたちはその後、神林さんのサポートを得ながら、東京・碑文谷のベーカリー「サンチノ」(現在閉店)の元シェフ、丸山雄三さんと共に東京・世田谷代田「ユニバーサルベイクス」の立ち上げに至るのだが(詳しくは連載第1回へ)、ほどなくしてモアザンのスタッフの中から、うちでもヴィーガンパンをやってみるのはどうかという案が出た。

「でも、僕はまだ確信がもてなくてね。だって絶対、お客さん、減るでしょう(笑)。だからみんなで相談して、じゃ週に1回だけヴィーガンの日を作るのはどうだろうって提案したの。週に1回、地球にやさしいってスタンスもいいじゃない。それで日曜日にだけ全商品ヴィーガンパンを販売する『SUNDAY VEGAN』をはじめました」。2020年9月、1回目の緊急事態宣言が解除されて間もない頃である。

日曜限定から、平日にも定番として提供するようになったヴィーガンプレッツェル。ベース生地はヴィーガンで仕込み、トッピングだけでノンヴィーガンにも対応する。(左から)プレーン、シナモン、チーズ。

ここで裏話をすると、当時モアザンの客足は芳しくなかった。「実際、売上は落ちるところまで落ちてました」と神林シェフ。コロナの影響でホテルに宿泊する外国人だけでなく、新宿の街ゆく地元の人々も姿を消した。急遽ラインナップをあんぱんやクリームパン、昔ながらの日本のパンに変えてみたりもしたが、どれも決定打にはならなった。

「このタイミングでヴィーガンに挑戦することが、果たして正解か否か。影響はまったく未知でした。じゃあ浮上できる別の手だてがあるかと言われれば、なかったのも事実。恐怖はありましたが、3カ月は続けてみようと」。売上が極端に下がるようなら潔くやめよう、という合意のもと、「SUNDAY VEGAN」はスタートする。だが、3カ月経過し、蓋をあけてみると、日曜日の売り上げは下がるどころか、平日と比べてコンスタントに3~4割増し。しかも予想外にも、来るのはヴィーガンだからと遠方から来る客ではなく、大半が平日にも通う常連のリピーターだった。

SUNDAY VEGAN

“らしきもの” を作ったって、本物にはかなわない

売上増加の理由は、神林さんたちの焼く「SUNDAY VEAGAN」のパンに評価がついたからであるのは言うまでもない。コンセプトに賛同しても、味がもの足りなければ客足は遠のく。モアザンの店長であり、サンドイッチディレクターでもある山口友希さんは、「実際植物性食材のみで作ったパンだと気づかないお客様も多いんです。植物性かどうかより、『おいしい』が前に出てくる」という。

ヴィーガンパンのレシピづくりで大切なのは、ノンヴィーガンパンと同じおいしさを追求しようとしないこと、と神林シェフ。「らしきもの、を作ったって本物にはかなわないでしょう。代替肉はどこまでいっても肉には勝てない。だから、ヴィーガンパンは、既存のパンとはまったく別のものと理解して組み立て直す方がいいと思う」

例えばクロワッサン。「あれはバターを味わうためのパン。だから本来、植物性油脂では作れない」。そこで、モアザンのヴィーガンクロワッサン「日曜日のクロワッサン」では、バターの風味を軽い食感で食べるという従来のクロワッサンのおいしさから、穀物の旨味をザクザク食べるというおいしさに狙いを変えた。求めたのは、穀物の濃い香りと旨味で、軽快に食べ進められるクロワッサン。

粉は国産の準強力粉10P09に、きたのかおり全粒粉を加えて穀物の旨味を強め、軽快な食感を強調すべく薄力粉も配合。小麦の香ばしさがしっかり伝わるように、焼き色は強めにして、カジュアルかつデイリーなクロワッサンに仕上げた。

ヴィーガンヴィエノワズリー。(奥から)ダブルショコラ、日曜日のクロワッサン

ヴィーガンヴィエノワズリー。(奥から)ダブルショコラ、日曜日のクロワッサン

人気のメロンパンもアプローチは同じである。「甘いクッキー生地でパンを食べさせる、というコンセプトは同じだけど、おいしさのポイントは変えてある」

通常のメロンパンは、表面を覆う卵とバターのクッキー生地の味わいで、サクッと軽くドライなパンを食べさせるのが一般的。だが、モアザンのヴィーガンメロンパンでは、クッキー生地にココナッツをたっぷり香らせて、懐かしいサブレのような素朴な味わいに仕立て、受け止めるパンは程よく水分を湛えた、控えめながら存在感のあるしっとりした生地を合わせている。クッキー生地とパン生地との強弱、バランス感もまったく違うのだ。

「従来のパンをネタに、“おいしい”のポイントを変えた新しいパンを作るイメージです。本来、別のパンだから名前も違うはずなんだけど、買い手にとっては、入口がないとどうしてもね」

ココナッツが鮮烈に香る。選ばれる「メロンパン」には理由がある。ヴィーガンパン・レシピ02 東京・新宿「モアザンベーカリー」

ヴィーガンメロンパン。あまりの人気ぶりから通常のメロンパンの販売を終了し、平日にも提供するようになったアイテムの一つ。

業界を見渡しても、バターに代わる植物性油脂、牛乳に代わる植物性ミルクはあるものの、植物性の卵といえるアイテムにはまだないという。「泡立ちを作る卵白の機能を果たせるものは出てきているけれど、肝心の結着力をつける卵黄の方はまだ、ね」。ヴィーガンパンを作り始めて最初に気づいたのは、卵の偉大さだ。

コクが足りないからと、代替品の乱用や雑なコク増しもご法度。「植物性だからといって、必要以上に油脂や糖分に寛容になってはいけない」。健康的なイメージも煽ることもしない。バターの代替油脂には、酸化に強い有機ショートニングか大豆バターを使うが、無味無臭のショートニングを主体に、大豆バターで旨味のバランスをとる。発酵種は、生イーストにルヴァン・リキッドを加えるなど、複数を合わせつつ味の奥行きを探る。

「パンにおける発酵種の役割ってごく数%。菓子パンに至っては、ほぼ気づかれないニュアンスなんだけど、僕らはそこでしのぎを削る」。乳製品に頼らないヴィーガンの場合は、このせめぎ合いが味の到達点や印象を決めることもある。

シェフの植物性の味づくりはファンを呼び、「SUNDAY VEAGAN」のパンは着々と売上の実績が評価され、いつしか日曜だけでなく平日にも定番商品として並ぶようになった。現在は全体の6割を占めている。今年(2023年)5月にはイベント名を冠した新店舗を東京・吉祥寺にオープンさせた。

平日にもヴィーガンパンを並べられるようになり、日曜だけの生地の仕込みが減り、厨房のオペレーションはスムーズになった。

社会に開かれたベーカリーになる

「ヴィーガンのパンを作る理由ってね、後付けでいくらでも考えられるの。地球のため、みんなで食を囲むため、とかね。でも僕ら職人はそんなことより、『おいしい』を追求する立場にあって、それが存在する意義」

ヴィーガンパンのレシピは、まだ業界にない新しいパンの創出。チャレンジの繰り返しでようやく納得いくレシピに辿り着く。制約を言い訳にして妥協するか、ノンヴィーガンのパンと並べて、選ばれるレベルまで追求できるか。
「卵使っておいしくなるのがわかっているレシピを、なぜ卵なしで作らなきゃならないんだよって思う職人は、きっとまだいっぱいいると思う(笑)」

実はヴィーガンパンの展開を、熱意をもって最後まで運営会社に掛け合った人物がもう一人いる。店長を務める山口友希さんだ。「ヴィーガンだけでなく、アレルギーの観点からも植物性のパンの販売を進めたいと思っていました。親が子どもに、『好きなものを自由に選んでいいよ』って言ってあげられるパン屋になりたかったんです」

ポップアップのイベントを企画し、調理や接客も行う山口友希さん(右)。駒沢大学のカフェ「バワリーキッチン」や 、千駄ヶ谷「ロンハーマンカフェ」では、料理長を務めた。

ポップアップのイベントを企画し、調理や接客も行う山口友希さん(右)。駒沢大学のカフェ「バワリーキッチン」や 、千駄ヶ谷「ロンハーマンカフェ」では、料理長を務めた。

飲食店で調理経験もある山口さんは、鮮度のいい産直野菜や自家製調味料、発酵調味料などを駆使した、エッジの効いた進化系サンドイッチで店に新しい風を起こしつつある。

モアザンのスタッフは8割が女性だ。国籍の違う人材も採用し、週末は若いスタッフの士気を高めるべく、神林さんの発案で技術を競い合うイベントも頻繁に開催する。
「女性の力は本当に強いと思う。あの状況下で、僕だけではヴィーガンパンなんて思い切った決断はできなかったし、そんな勇気もなかった」

サンドイッチディレクターでもある山口さんのサンドイッチは季節の定番のほか、ポップアップイベントではスパイス、ハーブ、自家製で作るセミドライフルーツや自家製調味料を駆使して展開。

サンドイッチディレクターでもある山口さんのサンドイッチは季節の定番のほか、ポップアップイベントではスパイス、ハーブ、自家製で作るセミドライフルーツや自家製調味料を駆使して展開。

ヴィーガンパンを焼くようになってもう一つ、うれしいことがあった。モアザンの仕事の幅が一挙に広がったことである。「ヴィーガン」という新しい社会的存在意義を身につけたことで、アパレルブランド「GAP」や、セレクトショップ「ジャーナルスタンダード」「トゥモローランド」など企業のコラボレーションの誘いが次々と舞い込んだ。

店内の一角にはコラボレーションするヴィーガン焼き菓子店や紅茶ブランド、植物性の携帯食品などのアイテムも並べる。

店内の一角にはコラボレーションするヴィーガン焼き菓子店や紅茶ブランド、植物性の携帯食品などのアイテムも並べる。

主食として、おやつとして、日々の糧としての役割をもつパンに、社会が求めることは多い。古くは粉を発酵させて焼くというプリミティブな作業は、現代では多様に進化し、スイーツのような美しいクリエイティビティに昇華されたり、畑を巡り、品種を探究し、原始的な発酵へ回帰する。そして植物性、グルテンフリー、低糖質、低脂質・・・、モアザンのように、社会が求める新しいパンの創出に、価値を見出されることもある。

「共通していることは、素材の力がすべてのはじまりだということです。創作のあらゆる発想の根源は素材の力。これは揺るがない」。神林シェフ曰く、新開発の植物性の製パン素材もたくさん試しているものの、まだこれぞというものには出会えていない。「『らしき』ものには近くなるけどね。『おいしい』を求める時 、一番に求めるべきはそこじゃない」

ただ、今のスピード感なら、違う角度で今後もっと面白いものが出てくるという希望がある。
「例えば、今僕が関わる京都の店舗「CICON BAKERY (シコンベーカリー)by NOHGA HOTEL」ではグルテンフリーの需要が高い。これまで小麦と比べて、おいしいと感じられる米粉に出会えていなかったんだけど、福岡県の「兵史郎ファーム」の有機米粉に出会って、俄然やる気がでた。ものすごくミルキーなんです」

社会の需要に対して、素材の力と職人の技術、そこに未来を拓く若い熱意が重なった時、ベーカリーはこれまでより大きく社会に開かれた場所になる。その土壌が耕されているモアザンには、これから先も新たな景色が広がり続ける。

奥で作業するのは、インドネシアから来日した研修生。モアザンでは、今年同国から4名の就業を受け入れ、入国前の段階から、接客、パン製造に関するオンラインによるレクチャーを実施した。

奥で作業するのは、インドネシアから来日した研修生。モアザンでは、今年同国から4名の就業を受け入れ、入国前の段階から、接客、パン製造に関するオンラインによるレクチャーを実施した。

2023年10月には「技能五輪国際大会 日本代表選考会」でモアザン内の若手女性スタッフが優勝。来年はフランス・リヨンでの世界大会に出場する予定だ。

2023年10月には「技能五輪国際大会 日本代表選考会」でモアザン内の若手女性スタッフが優勝。来年はフランス・リヨンでの世界大会に出場する予定だ。



◎MORETHAN BAKERY モアザンベーカリー
東京都新宿区西新宿4-31−1
☎03-6276-7635
8:00~18:00
無休
Instagram:@MORETHAN BAKERY

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