新麦コレクションの全粒粉「61 SIXTY-ONE」で考える、80年前の品種「農林61号」が注目される理由。
2025.01.14
text by Sawako Kimijima / photographs by Hide Urabe
在来種や固定種といった、土地に根付いた品種が珍重されるのは、手放してはいけない時代や地域の記憶、失ってはいけない特質がそこに刻み込まれているからだ。
小麦の世界では、ここ数年、「農林61号」が静かに注目を集めている。
外麦に負けない製パン適性を持つ新しい品種が次々と誕生する中で、麺用粉とされてきた農林61号をあえて使うパン職人がいる。国産小麦によるパン作りが浸透した今、街場の職人たちが次のステップとして見据えるのは、自分たちの足元の麦で焼くパン――そんな動向の表れだろうか。
目次
- ■農林61号の麺を生産者と共に食べるイベント
- ■地元の小麦でパンを焼く職人たち
- ■「ローカルミル」「フレッシュミル」を実践する「61 SIXTY-ONE」
- ■農林61号の可能性に世界は気付いている !?
農林61号の麺を生産者と共に食べるイベント
2024年11月26日、「有機の里」として知られる埼玉県小川町で、小川町産の「農林61号」を使って、食べログ ラーメン・つけ麺ランキング全国1位の人気店「らぁ麺 飯田商店」飯田将太さんが作る料理を食べる会が開かれた。大塚食品「シンビーノ ジャワティストレート」主催のこの会は、同商品に含まれるポリフェノールが口の中をすっきりさせて味の感覚をリセットする効果にフォーカスし、小麦をはじめとした素材の繊細な味をより深く味わおう、という趣旨だ。
地元の小麦でパンを焼く職人たち
農林61号は、1944年に品種登録された、80年の歴史を持つ小麦品種だ。北関東から九州まで広域に適応し、安定して多収のため、長年、関東以西の主力品種として君臨した。だが、ここ数十年は、品種の開発が収量性の向上や諸障害に対する抵抗性といった品質育種にシフトした影響もあり、後継品種「さとのそら」などへの転換が進み、全国の小麦収穫量の1%に満たない(2021年産の場合)。ちなみに、「さとのそら」は農林61号よりも早熟で、倒伏しにくく、病気にも強く、収量に優れる。と聞くと、「勝ち目なし」と思わざるを得ないのが正直なところ。
国産小麦を使ったパン需要の高まりに伴い、グルテンやでんぷんの組成などパンの膨らみや食感に関わる特性に着目した育種が活発化。近頃は、きたほなみ、キタノカオリ、ゆめちから、はるきらり、せときらら、ゆめかおり、ゆめあかりといった品種が愛用されている。だが、そんな現状に飲み込まれず、品種改良が活発化する以前の品種を守りたいと考える職人もいる。
群馬県前橋市「クロフトベーカリー」の久保田英史さんは、懇意にする農家の栽培した農林61号を使い続けている。「地のものを使っていきたい」との思いからだ。
「伝統的に小麦文化圏である関東の人々にとって、農林61号は馴染み深い小麦です。タンパク値が低く、農林61号だけでパンを焼くのはむずかしいけれど、配合することで、パンに個性を持たせたり、地域性を表現できる」と語る。
パン職人が「自分の足元の麦でパンを焼こう」と思った時、そこに農林61号があり、試行錯誤しながら自身のパン作りに取り入れていった先達として、2000年代前半、国産小麦によるパン作りの道を切り拓いた亡き「ブノワトン」の高橋幸夫さんを忘れてはならない。その遺志は弟子の「ムール・ア・ラ・ムール」「ミルパワージャパン」本杉正和さんに受け継がれ、高橋さんが世に送り出した「湘南小麦」には今も農林61号が配合されている。
「ローカルミル」「フレッシュミル」を実践する「61 SIXTY-ONE」
昨年、NPO法人新麦コレクションは、前述の埼玉県小川町と隣のときがわ町で栽培された農林61号を「61 SIXTY-ONE」として商品化した。小麦農家-製粉所-流通-パン職人-消費者が近い距離で緊密に結ばれる「ローカルミル」や、小麦の鮮度すなわち味と栄養を損なわずにパンに生かす「フレッシュミル」を提唱する新麦コレクションならではの取り組みである。小川町の農事組合法人「下里ゆうき」とときがわ町の「TOFU」(ときがわ町有機農業者組合)による農薬・化学肥料不使用の農林61号を、埼玉県では幸手市の前田食品が、東京では世田谷区の島田製粉所が全粒粉にして挽きたてを届ける。
下里ゆうきの河村岳志さんは、農林61号を栽培する理由として「農薬や化学肥料を使わずに育てるには、昔の品種のほうが相性が良い」と語る。確かに現代の育種は慣行栽培下で生育しやすいような開発が為されているとはしばしば耳にする指摘だ。また、「農林61号の味と香りを懐しみ、その風味を求める声は少なくない」とも言う。なんでも「農林61号は、不飽和脂肪酸酸化酵素であるリポキシゲナーゼの活性が高いため、風味が強い。味が濃く、奥行きがある」そうだ。
農林61号の可能性に世界は気付いている !?
今では生産量が少ないものの、農林61号が生産農家にも製粉業界の実需者にも長く受け入れられてきたのは、総合的に気象変動にも安定した特性を発揮していたから――との専門家の見方がある。
そう言えば、4年ほど前、世界のパンコムギ15品種の高精度ゲノム解読を試みる国際共同プロジェクトに、日本から農林61号が採用されたとの報道があった。解読の結果、農林61号は、欧米の品種群とは大きく異なる遺伝的背景を持つことが明らかになったという。
ゲノム編集的な操作を予感させるこのニュースの是非はわからない。ただ、プロジェクトの背景には、近年の地球規模での気候変動があり、世界のコムギ生産が影響を受けていて、食料危機に対応できる新品種開発が急務とされる。環境変動に対する頑健性の研究材料として、アジアコムギ品種を代表して農林61号の貢献に期待がかかっていると言えるのかもしれない。
ちなみに、農林61号より10年近く早く世に送り出された「農林10号」という小麦品種が、世界で多大な役割を果たしたことはご存じだろうか? 戦後、GHQを通じて「NORIN TEN」としてアメリカへ渡り、小麦の育種親として活用された。この品種改良と多肥栽培技術によって、20世紀後半、小麦の面積あたりの生産量は世界平均で約3倍に増加。開発途上国で懸念されていた食料危機が回避されるという、いわゆる「緑の革命」を起こしたのだった。高収量に改良された品種、収量を上げる化学肥料、収穫を確実にする農薬、作業を効率化する農機具によって、各国の農業生産性は向上し、食糧難は解消へと向かった反面、化学肥料や農薬に頼る農業が一般化したという意味で、「緑の革命」の評価は近年激しく分かれるのだが・・・。
品種とは、過去を宿し、未来を手繰り寄せるもの、と言える。今、農林61号の生産量は1%に満たないかもしれないけれど、取り巻く状況を知れば知るほど、目の前の実用性だけ見ていては真価はわからない、と教えてくれている気がする。
◎新麦コレクション
http://mugikore.net/
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