紺野真さん×野村友里さんの共通項とは?chillな2人のルーツを辿るアメリカン・フードカルチャー
2024.04.08
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text by Kei Sasaki / photographs by Masahiro Goda
肩の力は抜けているけど心は熱く、レストランの仕事が大好きと語る「eatrip」野村友里さんと「organ」紺野真さん。店づくりも料理人としての生き方も、独自路線を歩む2人のルーツには、アメリカで体験したフードカルチャーがありました。
目次
紺野真(こんの・まこと)
高校卒業後、1987年に米国・ロサンゼルスに移住。南カリフォルニア大学に通いながらロックミュージシャンを目指すも、現地のレストランで働いた経験から食の世界に転向。97年に帰国し、カフェやフレンチレストランでサービスをしながらワインを学ぶ。05年、自然派ワインブームの先駆けとなる三軒茶屋「uguisu」をオープン。11年、西荻窪に「organ」を開く。現在は23年末、麻布台ヒルズにオープンしたコンランショップ併設のレストラン「Orby」で陣頭指揮をとる。
野村友里(のむら・ゆり)
フードクリエイティブチーム「eatrip」主宰。大学卒業後、会社勤めを経てイギリスに料理留学。帰国後、「IDEE」に入社しカフェのディレクション等を手掛ける。09年、初の監督作品『eatrip』を公開。11年、カリフォルニアへ渡り、アリス・ウォータース率いる「シェ・パニース」の厨房で働く。帰国後、日本のシェフたちとともに「nomadic kitchen」プロジェクトをスタート。12年、東京・原宿に「restaurant eatrip(23年末に閉店)」、19年表参道に食のセレクトショップ「eatrip soil」をオープン。
食は「文化を体験する入口」
――お2人がアメリカの「食」を意識されたのはいつ頃ですか?
紺野真(以下、紺野) 僕はロサンゼルスに移住した18歳のとき。ちょうどバイトなり何なり自分で稼いだお金で“外食デビュー”する年頃ですよね。当然、カジュアルな店になるわけで、英語も通じないようなメキシカンやベトナム、タイ料理の店、韓国料理店など移民の店ばかりに行っていました。今振り返ると、アメリカの食のダイバーシティを肌で感じる体験だったな。
野村友里(以下、野村) 私は高校時代、家でアメリカ人のホームステイを受け入れていて、彼らにソウルフードを尋ねると必ずルーツの話になりましたね。3代か4代遡れば、誰もがルーツに辿り着くのが移民の国アメリカで、18歳の紺野さんの食体験は、リアルな食の一側面ですよね。
紺野 ロスに居ながら、それぞれの国を旅しているようで刺激的でした。夜にタケリア(タコス専門店)に行くと必ずジュークボックスがあって、サルサに合わせて誰もが自然に踊り出すんだけど、みんなすごく踊りが上手い(笑)。食は「文化を体験する入口」だという認識が強烈に刻まれた気がします。
あと、アメリカ人は一番大事なゲストと会うときは必ず家でもてなすんですよね。日本だったら、とびきりのレストランを予約するような場面で。で、お母さんなり、お父さんなりが張り切って得意料理を作り、子供たちも同席する。アメリカのドラマなんかを見ると、ホームパーティのシーンが多いでしょう。あれはすごくリアル。
野村 10代の頃の自分にとって、アメリカは映画や音楽などカルチャーの国で、食のイメージは薄かったんです。でも35歳のとき、もう一度、一から料理をやりたいと思ったときに門を叩いたのが「シェ・パニース」でした。
紺野 「シェ・パニース」でどのくらい働いていたんでしたっけ?
野村 2週間の研修を月1で3カ月間と短い期間でしたが、今、振り返れば、本当に得難い日々でした。初日、知り合いのいない厨房で一人ぽつんと立っていたら、バケツいっぱいのアーティチョークをドンッと渡されて。大きさも形もバラバラ、無農薬だから当然、虫がついていたりもして、ああ、これがこの店の当たり前なんだなと感動しましたね。日本のレストランの厨房は窓がないところも多いけれど、大きな窓から陽の光がたっぷり入って、ステンレスが一切使われていない木や石でできた作業台が心地よくて。自分の居場所はここだ、という気持ちになりました。
ゲストを満足させられれば、スタイルは自由
――アメリカのレストランで働いて印象に残っていることは?
紺野 アメリカではウェイターしか経験していませんが、固定給は最低賃金、その分チップで生活しているから、それぞれがチップを稼げるように必死で考えて仕事をするんです。店が繁盛さえしていれば接客スタイルはある程度、いや、かなり自由。料理に関しても、おいしければ何でもあり。僕は自分の店を開いてから、休暇になるとフランスのレストランでスタジエ(研修)をしてきましたが、2010年代でも料理人、サービスとも「こうあるべき」というスタイルが重要で軍隊的なところがある。対照的ですね。
野村 今では有名なエピソードですが、「シェ・パニース」ではレストランスタッフ全員で、その日のコース料理を賄いとして食べるんですね。大きな丸テーブルを囲んで「今日のサラダは誰が作ったの?」とか、野菜の味付けを褒め合ったりして。まるで家族のように。アリス(・ウォータース)がやりたかったのはレストランではなく、家族のために料理を作るような店だった。アメリカの家庭料理を変えたかったのだと実感として思います。
紺野 僕は食事に行ったことしかないけれど、「シェ・パニース」は料理も家庭的ですよね。もちろん世界的に有名なレストランだから、経験豊かな料理人も修業や研修に来るだろうけれど、技術を学びにいくのとは違うというか。
野村 まさにそうなんです。だから合わなくて辞めていく人もたくさんいました。でも、働いている人たちはみんなすごく楽しそうだった。お給料がすごくいいわけではなかったし、労働時間は長く、仕事も忙しいにもかかわらず。私自身もそうで、店に届く食材は触れているだけで元気をもらえるようなものばかりだし、毎日の食事で体もどんどん健康になって、人と人とのコミュニケーションも豊かで。形の不揃いな有機野菜を愛するように、人も長所も短所も含め受け入れる空気があった。仲間たちに「なぜここで働いているの?」と訊いたことがあるんですが、皆「proud!(誇り)」と答える。とても納得しました。
紺野 お客さんが3世代でテーブルを囲んでいたりして、1971年から続く店の年月の厚みも感じますよね。毎年お母さんの、あるいはおじいちゃんの誕生日会はここ、みたいなゲストの確かな信頼感がある。
店を構成するのは皿の上だけではない
――お2人とも唯一無二の店づくりに定評がありますが、共通する点があるとすれば、どんなところ?
野村 たくさんあると思います。最初に「uguisu(紺野さんが三軒茶屋で最初に開いた店)」に行ったとき、あの小さな店にソファがあるのを見て、ゲストの居心地をすごく大事にされているんだなと思ったんです。飲食店は、料理だけでは完成しない。それは「organ(紺野さんの2軒目)」も一緒で。考えたら、紺野さんも私もカフェから飲食業に入っている。
紺野 すごく嬉しいですね。店を構成するものを皿の上と、それ以外のものの2つに分けたら、僕はむしろ後者に比重を置く料理人であり、経営者です。決して皿の上をおろそかにしているわけでなく、そこには可能な限りの力を注いでいるつもりですが、それだけで店は完成しない。客で行くとしても、リラックスした空気が流れるレストランが好きで、そういう店でありたいんですよね。ゲストだけでなく、スタッフもいい意味でリラックスしているような。
アメリカは、きっちり仕事をしさえすればスタイルは自由でいい。サービスならテーブル脇にちょっと腰かけたりして、「で、今日は何する?」みたいな接客もあり。そうしたサービスが空気を回すグルーヴ感が、日本で、自分の店で作れたら最高なんだけれど。
野村 紺野さん自身は、その空気を十分まとっていると思いますよ。色んな国を旅して、一つの“お手本”やルールに縛られない店づくりと、お客さんと接することを心底楽しんでいる感じが伝わってきて。
紺野 それ、似たようなことを最近も言われたな。料理人の友達が、カリフォルニアからの友人を連れて食事に来てくれたんだけれど、「ロスにいた」と話したら妙に納得されて。理由は「chillな(リラックスした)印象を受けた」って(笑)。
野村 わかる、よくわかります(笑)。
紺野 悪いけど、僕も友里さんには同じ空気を感じてますからね。
野村 私は11年間、レストラン(原宿にあった「restaurant eatrip」)をやってみて、やはり自分の料理やもてなしの原点には家庭料理があると思いました。素材をこねくり回さず、切り方や、組み合わせを工夫する。見え方は目新しくとも、根幹には味作りの基本、理(ことわり)が貫かれているような。アリスの影響も大きいですね。紺野さんがさっき話していたような家族3世代の集まりや、同じ会社で働く20代と60代のお客さんが同席するようなテーブルがあると嬉しかった。料理が家庭料理という普遍の延長線上にある中で、どの世代もがリラックスしながら、「外食してよかった」と感じていただける空間になっているのかな、と思える瞬間だったので。
多様なルーツを持つ国民のソウルフードとは?
――最後に難しい質問ですが、アメリカ料理とは?
野村 以前、カリフォルニアで「あなたのソウルフードは?」とインタビューして回ったことがあるのですが、9割近くの人が「メキシカン」と答えたんですね。
紺野 メキシカンはアメリカ、特に西海岸では多くの人が共有する食体験であることは間違いないですね。中でもタコス屋は大衆すし屋みたいだなと。壁にずらりと貼られた品書きから好きな具を選んで注文すると、トルティーヤに具材を乗せてサルサをかけ、仕上げにシラントロ(パクチー)をぱっと載せて、ライムを添えて手渡してくれる。チリやラディッシュはテーブルに置いてあって、みんな好きなように食べる。テックスメックスじゃないからチーズはなし、すごくさっぱりしていて。何個か食べながら、合間合間にラディッシュやチリをガリのようにつまむんです。まさに、すしのよう。
野村 それは確かに、おすし屋さんみたい。メキシカンの他には、ベーコンとメープルシロップを添えたパンケーキもソウルフードに挙げる人が多かったです。「アイホップ(1958 年創業の朝食メニューに特化したレストランチェーン)」や「デニーズ」で誰もが食べて育ったと。
紺野 アメリカにもミシュランのようなグルメガイドがあって、そこに必ず「コンチネンタル料理」というジャンルがあるんです。マッシュポテトとグレイビーソースを添えたプライムステーキを出すような高級料理店。呼び名が漠然としていますが、あの雰囲気もアメリカにしかないかな。
野村 どれもアメリカ料理に間違いないけれど、ずばりとは言い得ない感じですね。
紺野 僕はね、実はサンドイッチってかなりいい線を突いていると思うんです。日本ではランチや軽食のイメージだけれど、アメリカでは間違いなくポピュラーな料理で、現地のレストランやダイナーではディナーメニューにもサンドイッチがあり、よくオーダーされている。具材はなんでもありと自由度が高く、いろんなルーツを持つ国民の食嗜好を満たせるからなのかな、と。
野村 結局、最終的にはやはりルーツに辿り着くんですよね。
アメリカン・フードカルチャーを体験する
<TASTE OF AMERICA 2024>
開催期間:2024年4月15日(月)~28日(日)
参加店舗:都内のレストランやカフェ、ビアバーなど30店舗以上でアメリカ食材や食文化に出合えるスペシャルメニューを提供します。
主催:アメリカ大使館農産物貿易事務所
https://tasteofamerica.jp/