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JOURNAL / イタリア20州旨いもの案内

革新的な美味を追求するチーズ界の世界的スター

Vol.64 エミリア・ロマーニャ州のチーズ洗練士

Dec 22, 2022

text by Paolo Massobrio
translation by Motoko Iwasaki
photographs by Marina Della Pasqua

連載:パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

目の前の食材を「焼く」「煮る」「熟成する」「発酵させる」・・・誰が考えついたのかは、わからない。どんな食品加工方法もその第一目的は保存にあるが、肉汁滴る美味なローストや、とろりとしたゴルゴンゾーラを目にすれば胃袋は大いに刺激され、その旨さは、例えば「原始人がたまたま焚き火の中に肉のひと切れを落としてしまったから」とか、「どこかのうっかり者の牛飼いが誤って温度の異なる凝乳(ぎょうにゅう:牛や山羊の乳に酸や酵素を加えてできる凝固物)を混ぜてしまい、ゴルゴンゾーラ特有の筋状の青カビができる発端となった」とか、偶発的に生まれたものだとはどうしても思えない。

人間とは機能的に体を動かし、発達した内臓構造をもつ生物学的存在だが、それ以上に感覚的で美観を好み、食欲や渇きを土台に常に新たな快楽を求めて料理という宇宙を築くことができる生き物なのだ。

今回は、Web料理通信の読者諸君をチーズのアッフィナトーレ(affinatore:洗練士)であるレナート・ブランカレオー二(Renato Brancaleoni)に引き合わせるとしよう。そして「アッフィナーレ(affinare:洗練させるの意)」というイタリア語の動詞がもつ、「チーズの本質を歪めることなく何かを足し、変化を加え、新たなチーズとして考案する」ことの意味を語ってみるとしよう。アッフィナーレ、つまりチーズを「よりおいしくする」とは、どういうことか? 料理にもかなり造詣の深かったオスカー・ワイルドの言葉「伝統とは成功にたどり着けた革新である」ことを裏づけてくれるはずだ。


チーズの味を進化させる“洗練士”という仕事

ここはエミリア・ロマーニャ州フォルリ=チェゼーナ県の丘陵地帯にあるロンコフレッド(Roncofreddo)村。中心部の時計塔の下に1300年代の古い穀物貯蔵用の穴蔵がある。「フォッサ・デッラッボンダンツァ(Fossa dell’Abbondanza:たっぷり詰まった穴蔵の意)」という名の一風変わった貯蔵庫で、レナート・ブランカレオーニの一族が250年以上に渡り管理してきて、彼もそれを受け継いだ。

「チーズを“アッフィナーレする”とは、素材の味を進化させるという意味です。アッフィナトーレは、チーズをアッフィナメント(affinamento:洗練)とスタジョナトゥーラ(stagionatura:熟成)を経て、より良い形で消費者に提供しようとする職業ですが、この二つの工程は人間の創造力を付加するか否かという点に違いがあるんです。
市場に提供する“新しい価値”を見極め、熟成をかける前にひと手間を加えるのがアッフィナトーレの仕事。一方、スタジョナトーレ(stagionatore:熟成士)は、チーズを洗い、裏返し、時間の流れに従って熟成の効果を確認していく。ただし、アッフィナトーレの仕事には多くの場合、スタジョナトーレの行う熟成作業も含まれます。

アッフィナメントは、古くからある伝統ですが昔はその技術もあまり知られておらず、現在のグルメたちが求めるようなニーズもありませんでした。よって、今日ほどの創造性を働かす必要もなかった。ですが、例えば古代ローマ時代にサムニウム人という部族が作り始めた“コンチャート・ロマーノ(Conciato Romano)”というチーズは、アッフィナメントとしてオリーブオイルと酢をチーズに絡め、持ち運びに便利なようアンフォラの壺に入れて保存していました」

レナートの父親ルイジ(Luigi)、通称ジーノ(Gino)は、戦後、あらゆる必需品を物々交換して生計を立てる田舎のよろずやを営んでいた。農家の人たちはチーズを持ち込み、洗剤から工具、長靴まで様々な必要物資と交換していた。そうして得たチーズの中からジーノは質の良いものを選び、一部はジーノの父親がすぐにクルミの葉や灰、トマトペーストなどでアッフィナメントを施し、さらに質が良いものを村の領主マラテスタ(Malatesta)家が所有する穴蔵「フォッサ・デッラッボンダンツァ」で熟成させていた。

「私の父は、私をのびのびさせて適性を養わせるタイプではなく、口うるさく指図する強面な人でした。私は少年時代、ヴェスパに跨って丘を走ることが大好きでしたが、父は私にヴェスパを貸す代わりに『チーズの選別をしろ』と言い、しかも貸してくれるのは数分だけという、そんな人でした。楽しみも少ない人で、人生で一番の喜びは毎年11月25日にソリャーノ(Sogliano)村に出掛けていって特産チーズ「ペコリーノ・ディ・フォッサ」の穴蔵開きを見学することくらいでした。そんな父だったから、私は独り立ちしてすぐに反抗心から父とは違う道、衣料品とスポーツ用品の店を開きました。


密閉された穴蔵で、急速に熟成するチーズたち

『おじいちゃんの仕事を復活させようよ』と言い出したのは、私の次女アンナ(Anna)だったのですよ。あれは92年のことで、娘は19歳で大学に通うことになっていました。言われてすぐにピンと来たんです、私が若気の至りで拒否し続けたその仕事を、私は心の底ではずっとやりたかったのだとね。こうして私とアンナの冒険が始まってから30年、情熱を傾け、親子喧嘩を重ねながらここまで来ることができました。思えば、あの時の娘の言葉は、フォッサ・デッラッボンダンツァという穴蔵が僕を呼ぶ声だったのかも知れない。

僕たち家族は、この穴蔵で数世紀に渡って最高のチーズが熟成していく様を見守ってきました。7月半ばにはペコリーノ(羊乳製チーズ)、牛乳製チーズ、混合乳チーズなどを6個ずつ新品の木綿袋に入れ、刈り取ったばかりの藁をあらかじめ敷いておいた穴蔵へ下ろします。穴蔵が満杯になるようにチーズを詰め込んだら木製の蓋をし、小麦粉を酢で練った糊を塗り密閉します。チーズたちはここで100日間眠り続け、嫌気性発酵を経てラクトースが抜けた、消化しやすいチーズとなるはずです。他の方法でここまでの熟成を得るには24カ月はかかるでしょう。

11月半ば、いよいよ穴蔵を開けますが、その際はまず蝋燭の火を穴蔵に下ろし、火が消えるかどうかを見て、思うような嫌気性空間が出来ているか確かめます。上手く熟成していればチーズは穴蔵内の気温の上昇と上に向かって積載されていた圧力のために原形は崩れ、ナイフを入れれば冬のキノコや森の下草のような香りがし、口に入れればまるでバターのようなまろやかさがあります」

風味がよりシャープなものは、同じくロマーニャ地域産のクリーミーなチーズ「スクヮクローネ(squacquerone)」と一緒にブレンダーにかけてクリーム状にすれば、生牡蠣や生の甲殻類にばっちり合う、とレナートは付け加えた。僕は彼の言うことは全面的に信じる。熟練のアッフィナトーレは言わば、生産者とシェフのハイブリッド種のような存在なのだから。

工房隣接の個人客向けショップは土曜日のみオープンしており、よりどり30種のチーズを購入できるほか、イタリア全土から集められたチーズを用いた試作品にもお目にかかれる。研究に次ぐ研究、試作に次ぐ試作に息つく暇もないレナートだが、彼がアッフィナトーレとして手を加えるのはチーズの表面だけで(因みにレナートは乳にレンネットと塩を加えて作られた純正チーズだけを扱っている)、味と香りが頭に思い描いたものにたどり着くまで何度も試行錯誤をするところは料理人と同じだ。逆に料理人の仕事と違うのは時間のかけ方。料理は作ったら直ちに客席に出す。一方アッフィナトーレが新しいチーズを考案してから市場にリリースするまで、1年から2年はかかる。


人間の創造力と洗練への飽くなき欲求

前述の信じられない穴蔵熟成のチーズ以外にも、一度食べたら忘れられないチーズたちを挙げてみよう。

まず「ブルー・デル・モンテフェルトロ(Blu del Montefeltro)」。牛乳製ブルーチーズでアルバーナ・パッシータ(Albana Passita)というデザートワインのブドウ粕に漬け込まれている。口に含むと全く心地良い舌触りで、ざらつきを感じない。うっすらとしたブルーチーズ特有の辛味とブドウ粕由来の幸せな甘味が舌の上で手を取り合ってダンスする。

「フォルマッジョ・デイ・セッテ・ナーニ(Formaggio dei Sette Nani:七人の小人チーズ)」は、森の中の環境と香りを探求して作り出した牛乳製チーズで、まるでポルチーニ茸に軽いトリュフの香りを添えてパクリと噛んだ時のような洗練された野性味を感じ、遠吠えしたくなるから恐ろしい。

「フォルマッジョ・デル・シレンツィオ(Formaggio del Silenzio:静寂のチーズ)」は100%山羊乳製で、少量生産のかなりレアなチーズ。このチーズの熟成には他とは完全に隔離された静かな環境で1年をかける。ミツバチが巣穴を塞いでいた蜜蝋で全体をコーティングすることで、アロマを閉じ込めるだけでなく表皮が形成されない。蜜蝋が乾燥からチーズを守り、チーズの湿度も均一に保たれる。蜜蝋で覆われたチーズはゆっくり呼吸しながら熟成し、バターのような柔らかな質感を生む。デリケートで味わい深く、僕はラム肉とよく合うのじゃないかと思う。

レナートは、グアルティエロ・マルケージ(Gualtiero Marchesi)が創設したALMA(International School of Italian Cuisine)で教鞭も執るチーズ界の世界的スターだ。授与された賞も数多く、特に2007年にはリヨンで開かれたボキューズ・ドール世界大会のチーズ部門「International Caseus Award」で銅賞を獲得した。

「最も重要な競技種目がブラインドテイスティングでした。欧州内のPDO(原産地呼称保護)をもつ150種類のチーズの中から6種類を選び、皮を取り除いて2センチ角にカットされたチーズをテイスティング。使用されたレンネットの種類、牛乳の種類、熟成期間、生産された場所、チーズ名を答えるというものです。
その一つにブルーチーズがあって、私にはゴルゴンゾーラに思えました。でも、そんなはずはないと疑ったのがいけなかった。ゴルゴンゾーラは、その前のテイスティングにも出されていたからです。同じチーズを2度も出すわけはないと思い込んでいた。

娘にゴルゴンゾーラに思えるのだが、と漏らすと、彼女は『自分の舌に自信をもって、思う通りに答えたらいいのだ』と言いました。だが、私はその言葉に従う勇気がなかった。代わりにスペインのチーズ、カブラル・デッレ・アストゥリー(Cabrales delle Asturie)と答えました。当然ながらゴルゴンゾーラでした。これが優勝した者と三位に甘んじた者の違いです。
私と娘は仕事の腕は互角と思っていますが、彼女から一つ学びました。どちらを選ぶか決めかねる時は、女性の言葉に耳を貸すのが身のためだと」



◎Fossa dell’Abbondanza
piazza Allende, 13 RONCOFREDDO (FC)
tel.0541 949200
https://www.fossadellabbondanza.it/

パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio

イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。

『イル・ゴロザリオ』とは?

イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。

(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)


私たちの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べよう」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

そして、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、2016年にそれぞれのWEBメディアで記事交換をスタートしました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。

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