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JOURNAL / イタリア20州旨いもの案内

バジルの海の若葉が香るジェノヴェーゼソース

Vol.80 リグーリア州ジェノヴァのペストジェノヴェーゼ生産者

2025.08.28

バジルの海の若葉が香るジェノヴェーゼソース

text by Paolo Massobrio / translation by Motoko Iwasaki

連載:イタリア20州旨いもの案内

僕にとって夏の香りといえば、バジリコだ。味も香りも僕の意識に直接うったえかけてきて、その爽やかな香りを鼻にしただけで、食欲が沸いてたまらなくなる。

しかも、僕たちピエモンテの人間は変化を疎み、慎重さを尊ぶ気風だから、バカンスは海外が当たり前になる以前は、バカンスといえば大抵は近場のリグーリアだった。だからバジリコの香りは旅情のシンボルだった。

旅を満喫するなら僕の故郷モンフェッラートから高速を使わず幾重の丘を越えて、様々な人種が右往左往する港を抱くジェノヴァの街で、赤エビやペストジェノヴェーゼに舌鼓を打ったものだ。けど、たぶん、そんなことをいまさら諸君に説明する必要はないかもしれないな。

今やペストジェノヴェーゼは、世界中で最も親しまれているソースの一つで、健康志向からも、短時間で料理できる食品が好まれる昨今の傾向からも、他のソースが霞んでしまうほどの存在になっている。

ペストジェノヴェーゼ
photograph by Cinzia Gillono & Edoardo Valsania

アロマ成分が最大のタイミングで優しく摘み取る

バジリコとニンニクをベースとした非加熱ソース(ニンニクは必須だ。ニンニクなしのペストジェノヴェーゼなんてあり得ない)は、時を経てジェノヴァのシンボルとされるまでになったが、リグーリア州の、いや、特にプラ地区(Frazione di Prà)の高台にある温室で労わるように栽培されたバジリコを、まだ若葉のうちに摘み取って作られたソースなら、それは忘れがたい逸品となるはずだ。なぜなら、この地区の土壌や気候のおかげでバジリコ独特の香りを生成するエッセンシャルオイル成分(エストラゴール、リナロールそしてオイゲノール)が、絶妙の配分で含まれているからだ。

プラ地区(Frazione di Prà)の高台にある温室

播種から30日以降、成長具合を見極めながら若めギリギリのタイミングで摘み取る必要があり、例えば60日が経過した(つまり葉が大きく成長しすぎた)ものでは、アロマ成分の量が減少する上に、鼻をつく刺激臭が生まれ、味にも苦みが出てしまう。

収穫の様子

ペストジェノヴェーゼは本来、乳鉢(モルタイオ)で材料を突いて作る。これは、ニンニクを粉砕するのに乳鉢を使えば作業中に温度が上がらないからで、おまけにバジリコは、他の材料が突き棒の半球形の先端で突かれて細かくなっていく間、一緒に加えた塩の吸湿効果から酸化の速度が緩まる。

ペストジェノヴェーゼを電動ミキサーで作ると、よりクリームに似た質感になるが、同時に高速回転が熱を生み、酸化が早まってニンニクも辛みが増す。
では、時間をかけてバジリコを突いている時間はないが、ジェノヴァ特産のショートバスタ「トロフィエ」にペストジェノヴェーゼを和えて食べたい時はどうしたらいいんだ?
ありがたいことに、瓶詰めペストのブランド「ペスト・ピュー・ディ・プラ(Pesto Più di Prà)」がこれを解決してくれた。


手作りを凌駕する手作りの味を再現

バスの運転手をしていたフランコ・ファッソーネ(Franco Fassone)は、コゴレート(Cogoleto:ジェノヴァ郊外の一地区)で生パスタの店も営んでいた。夏になると多くのミラネーゼがやってきて、パスタと一緒にペストジェノヴェーゼを求めるので、1980年代の終わり頃、ペスト生産工房を建てようと思い立った。そんな彼を人は笑った。ジェノヴァ人にとって、ペストは家庭で乳鉢で突いて作るもの。それでも諦めきれなかった彼は、少なめの量を趣味の範囲で生産し始めた。作ったら無償で店の客に提供し、そして「うちで作るのみたいにおいしいよ!」と言ってもらうのが何よりの楽しみになった。

フランコ・ファッソーネ(Franco Fassone)

彼のストーリーはこんな風に始まったのだが、その後、時代の変化とともに思いもよらない展開を見ることになる。クオリティの研究を重ねて質を高め、7種の素材をペストジェノヴェーゼとして完璧なバランスで一つにできるまでになった。素材は、プラ産のバジリコ、ヴェッサリコ産のニンニク、松の実、グラナパダーノD.O.P、ペコリーノサルドD.O.Pにリグーリア海岸一帯で生産されるエキストラバージンオリーブオイルだ。フランコのペストジェノヴェーゼは、家庭消費用としてだけでなく、有名レストランでも使われるようになり、彼の名前もあちらこちらで耳にするようになった。

フランコのペストジェノヴェーゼ

彼のパイオニアとしての功績は地元で認められるようになった。ジェノヴァの西にある小さな村フィナルボルゴ(Finalborgo)を会場に毎年開かれるリグーリア産食品サロンでは、最も優れたリグーリア産農産加工品に賞が贈られるが、その賞に「フランコ・ファッソーネ賞」とタイトルがつけられているほどだ。

今日では、フランコの下で従業員として働いていたアンドレア(Andrea)、マイコル(Maikol)、アレッサンドロ(Alessandro)という3人の青年が、彼の仕事を引き継ぎ「ペスト・ピュー・ディ・プラ」ブランドを企業組織にしてペストジェノヴェーゼ生産に取り組んでいる。

マイコル(Maikol)

「プラ地区の限られた4、5軒の契約農家から、毎朝、摘みたてのバジリコが届きます」と、説明してくれるのはマイコル。
「届けられた葉を、まず二つのシンクに通します。一つ目で水洗いし、二つ目のシンクでは食品用消毒液で殺菌します。次に洗濯機のような原理の機械ですすぎ、脱水して余分な水分を取ったあと、作業台にバジリコを広げて葉を茎から外します。これらの作業を経てようやく塩とオリーブオイルを加えてミキサーで粉砕し、1.5キロ入りの瓶に入れて24時間休ませます。この時点で第一段階が完了。

ミキサーで粉砕
ニンニクの皮剥き

翌日、一級品の松の実を刻んだものとニンニクをミキサーにかけて粉砕します。(毎週土曜はニンニクの皮剥きの日。翌週に使う分を全員で手作業で剥くのが大変です)。これにオリーブオイル適量の3分の1を入れてよく混ぜ、次にグラナパダーノ、ペコリーノサルドと残りのオリーブオイルを加えて混ぜ合わせます。最後に1日休ませたバジリコペーストを加えてよく混ぜたら完成です」

一級品の松の実を刻んだものとニンニクをミキサーにかけて粉砕
オリーブオイル適量の3分の1を入れてよく混ぜ
最後に1日休ませたバジリコペーストを加えてよく混ぜたら完成

「僕たちの製品は、常に同じではあり得ません。季節ごとに少しずつ違ってくる。当然ながら夏が一番おいしいですよ。現実問題として乳鉢を使って突いて生産することはできませんが、僕たちの製品からバジリコの本来のエッセンシャルオイルや香りを失わないための秘訣は、すべての作業を低温環境で行っていること。作業前にすべての素材を冷蔵庫で冷やしておくんです。そしてもう一つの僕たちの強みは、フランコ・ファッソーネから受け継いだレシピの配合を的確に計量しペストにすること。どの素材も他の素材の味を損なう量であってはいけないし、リグーリア産オリーブオイルだってオイルそのものに辛みのあるものではダメで吟味が必要です」

ペストジェノヴェーゼには、合成保存料などは一切使用されていない

このペストジェノヴェーゼには、合成保存料などは一切使用されていないため、賞味期限は製造日から冷蔵でわずか30日。ガストロノミアやレストランからの発注をうけてから生産し、イタリア全国に向けてクール便でのみ発送されている。大量の発注は受けないし、個人客へは工房内のショップのみで販売している。お客の方も心得ていてクーラーバック持参で買いに来るそうだ。

「常連と呼べるカテゴリーのお客様ですか。まず一番にこのペストジェノヴェーゼを愛してくれるのは子どもたちですね。ショップにおいてあるゲストブックには、僕たちのペストジェノヴェーゼを食べた小さな友人たちが喜びの声を数多く残してくれています。

次に保安警備隊、自治警察、国家警察、国税官の人たち。たぶん宿舎で自炊をしながら任務にあたっているので、消化がよく、おいしく、手早く食べられるものとして重宝するからだと思います。イタリア共和国マッタレッラ大統領がジェノヴァを訪問された際、護衛にあたった国家警察官が大統領にも僕たちのペストをお裾分けしたそうです。その後、大統領府からも注文がくるようになりました。

最後はお年寄りたち。昔は日曜日になるとバジリコを乳鉢で突いて家族にペストジェノヴェーゼを用意していた人たちも、体力的にそれが難しくなってしまった。そんな彼らが僕たちのペストを買いに来て、自分が作ったと嘘をついて食卓に出すのだそうです。みんなショップに来て、『騙された家族は喜んで食べてくれる』と言っていました」

そしてもう一人、僕は、ジェノヴァにあるオステリア「ラ・ヌオヴァ・クチニエラ・ジェノヴェーゼ(La Nuova Cuciniera Genovese)」の店主にして詩人、偉大なるファウスト・カヴァンナ(Fausto Cavanna)も長年、このペスト・ピュー・ディ・プラのペストジェノヴェーゼを、彼の場合は偽ることなく、出所を明かして客に出しているのを知っている。彼は、これ以上に旨いペストジェノヴェーゼを常に提供することは難しいからだと言い切る。

「短いがペストジェノヴェーゼの讃歌を書いたけど興味ある?」とファウスト。
「もちろん!」と僕。

ペストジェノヴェーゼ

「ペストジェノヴェーゼは、限られた食材で作るシンプルなソース、それ以外の何ものでもない。だからこそ複雑極まりない。

『茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむばかりなる事と知るべし』と千利休は和歌に記した。

期せずして、ペストジェノヴェーゼは茶の心と紙一重」


Pesto Più di Prà
Via Branega, 23 Genova – Prà
Tel. +39 010 6671774
www.pestopiudipra.it

パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio

イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
https://www.ilgolosario.it/it

『イル・ゴロザリオ』とは?

『イル・ゴロザリオ』とは?

イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。

(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)

『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーション

私たちの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べよう」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

そして、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、2016年にそれぞれのWEBメディアで記事交換をスタートしました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。

『イル・ゴロザリオ』で公開されている『料理通信』記事はコチラ

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