アナーキーな創造力が生んだ砂糖漬けの果物が主役のマスタード
Vol.63 ロンバルディア州クレモナのモスタルダ生産者
2022.10.27
text by Paolo Massobrio
translation by Motoko Iwasaki
連載:パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
古代ギリシャの時代からヨーロッパではカラシが消費されていたことは知られている。紀元前2世紀頃の書物には、保存食としてカラシの種子を潰したもの、塩、干しブドウを酢、白ブドウのマスト(ワインの醪。ブドウを圧搾したもの)と混ぜて、スライスしたカブを調味していたとある。カラシの種子は、潰されて初めてあの独特の辛味を生むが、古代ローマの人たちも既に、これが炎症を抑えたり、細菌の繁殖を抑える作用があることを知っていて、カラシを粉末状にして酢、ハチミツと混ぜたものを火を通した肉の保存に使用していた。
では今回のテーマ「モスタルダ(mostarda)」の語源はというと、「Mustum Ardens(ラテン語でMustumは「マスト」、ardensは「燃えるような」の意)」で、最初に使われたのは中世のフランス語による書物の中に「ワインを造るマストにカラシの粉を加えて辛い風味をつける」とある。
一方、イタリアではモスタルダは1600年代に北部で普及し、特にクリスマスの祝いの食卓に関連した記述が多く残されている。パダーナ平原に点在するヴィチェンツァ(Vicenza)、ヴォゲーラ(Voghera)、マントバ(Mantova)、そして特に今回の舞台クレモナ(Cremona)などの町には、伝統として地域に根づいたモスタルダのレシピがあって、当然ながら同じものは一つもない。
誤解を生みたくないのでここで一つ前置きをしておこう。それはフランス語のマスタードにあたる「Moutarde(ムタード)」との違いだ。フランスのムタードはカラシ、ヴィネガーと塩だけで作られたもので、今や世界中で市民権を得ている食品だが、僕が今回紹介したいのは、イタリアの「モスタルダ(mostarda)」、特にクレモナ産のモスタルダについてで、主原料は果物。その深い甘さと辛味を融合させるというアナーキーな創造力が生んだ驚くべき食品なのだ。
果物の砂糖漬けを粗めに切ってカラシ入りのシロップに漬けたこの保存食は、特に伝統的茹で肉料理「ボッリート・ミスト(訳注:牛、鶏肉、コテキーノという豚肉のサラミなど7種の異なる種類の肉を茹でたもの。これまた何種類かの伝統的なソースを添えて食べるが、特にモスタルダは必須)」やチーズに添えて食される。アルプスの山向こうにいる従兄弟分フランスのそれとは大きく違い、見た目も美しい! まるで生き生きした静物画を見るようで、あるイギリス人の女性旅行者が、ボッリート・ミストに添えて口にし、一言こう叫んだという。「The life is beautiful!」
クレモナ市郊外にある人口900人の村、チコニョロ(Cicognolo)に、最高のモスタルダを生産するルッチーニ(Luccini)家率いるラ・チコーニャ社(La Cicogna:コウノトリの意。村名からひねって命名)がある。イタリアで優れたものを作る家族には必ずといっていいほど素敵なストーリーがあるだろう? 今回もルッチーニ家の当主で社長のディエゴ・ルッチーニに話を聞いた。現在は、妹のマリア・ルイザ(Maria Luisa)、ディエゴの娘のフランチェスカ(Francesca)と三人で精力的に経営にあたっている。
優れた味は家族の手から生まれる
「私の祖父ジュゼッペ(Giuseppe)は祖母アデーレ(Adele)と一緒に『ラ・ロカンダ・デッラ・ポスタ(La Locanda della Posta)』という名の飲食店を営んでいましたが、この店はイタリア版ミシュランガイドの初版に既に紹介されていました。祖父は、戦後間もない頃には、冬は農家を回り、豚をと殺してクレモナ伝統のサラミやコテキーノ(豚の皮も細かく刻んで混ぜた茹でサラミ。ボッリートにも欠かせない)を作る仕事をしていました。
春になって暖かくなると豚のと殺の仕事は減るので、今度はロバに荷馬車を引かせて農家を回り、主婦たちに帽子を販売したり、傘の修理をしていました。人柄が良く、家族以外の人たちにも良くしていたので周囲からとても愛された人で、祖父が亡くなった時に『ラ・ロカンダ・デッラ・ポスタ』とうレストランの名を彼にちなんで『オステリア・デッロンブレレール(Osteria dell’Umbreleèr:傘直しのオステリアの意)』に改名したんです」
「当時、店を引き継いだのは7人兄弟の長男だった私の父ミルコ(Mirco)、母のカテリーナ(Caterina)、僕と妹のマリア・ルイザでした。母が作る地域の伝統料理はとても評判が良かったのですが、80年代になってモスタルダを出すようになると、これが瞬く間に一番人気になりました。帰り際に瓶に詰めて持ち帰りたいと言わないお客はいなかったほどです。それなら小さな工房を作り、レストランの厨房とは別の場所で、モスタルダだけを準備しておいてはどうかということになりました。ちょうど2000年のことで、これがルッチーニのモスタルダの始まりです。
最初の頃は、果物を鍋で火にかけて作っており、洋ナシとリンゴの皮剥き要員として若い衆3人を雇いました。その当時は、リンゴと洋ナシ、柑橘系、そしてそれら全てを合わせたミックスフルーツの3種類のみで、後にチェリー、イチジク、カボチャとタマネギが加わりました。2006年には旧工房を閉じて、現在の工房に移ることにし、その際に栗バージョンやグリーントマトバージョン、そしてフルーツを大ぶりに切った伝統的なクラシックバージョンを加えました。現在は社員9人全員で作業にあたり、必ず新鮮な素材を自分たちの手で一から加工し、半加工品などは一切使用していません」
「技術投資は単純に、レストラン時代に手作業で行っていた難点を解消できるようなもの、例えば、直火での作業では砂糖がカラメル状になると焦げて苦味が出てしまうので、それを防ぐよう工夫した設備などだけです。私たちは企業として生産を始めた時点で既に有機農産物を利用した生産を目指していました。現在、全体の50%のモスタルダを有機の果物や野菜で生産しています。カラシアロマについても、カラシ由来のものだけを用い、化学的に合成されたアロマは一切加えていません」
「オステリア・デッロンブレレール」は現在も一家が切り盛りし、僕がクレモナに立ち寄る際の休息の場となっているし、工房では15種類のモスタルダを生産するまでになった。そして2007年には、モスタルダに加えてオステリアの野菜ベースのレシピから生まれた新商品ラインが加わった。野菜ソースにズッキーニの甘酢煮、パプリカをさっと煮るペペロナータ、ジャルディニエラ、さらにはクレモナ伝統のソースでサルサ・マーニャ・ブフェー(Salsa Magna Bufèt:クレモナの方言で『パニーニの大食らい』の意)。このソースは、季節の野菜の残り物をナイフで細かく刻み、たっぷりのイタリアンパセリにオリーブオイルのアロマ、塩と砂糖で味を調えたもので、文字通り一口食べたら止まらない旨さだ。これはメンズマガジン『GQ』のイタリアン・ベストソースにも選ばれている。
実際、ルッチーニ社の製品とその生産活動はこれまで数々の賞に輝いている。だが、彼らをいち早く見出し、最初に賞を与えて勇気を与えたのは誰あろうこの僕だ。彼らが新工房で本格生産を始めたのが2006年。食のガイドブック『イル・ゴロザリオ』の「Artigiano Radioso(輝ける職人)」として賞を贈ったのも2006年だから。
彼らの製品がどれほど優れているか。そして品質の高さの上に成り立つ僕たちの友情は、彼らが毎年「食の祭典ゴロザリア」に欠かさず参加し、イタリア中から集ってくるゴロザリア・ファンの中には必ずルッチーニのモスタルダを求めてから帰るという者が数多くいることからも裏づけられる。僕の目に間違いはなかったということさね。
僕のようなピエモンテ伝統のグリーンソース「バニェット・ヴェルデ」を食べて育った者でさえ、ボッリート・ミストの豪快な肉の盛り合わせを前にしたら、ルッチーニのモスタルダが欲しくなる。毎年、年中行事で最大のイベント「ゴロザリア・ミラノ」がその幕を閉じる月曜の夜(訳注:ゴロザリア・ミラノは、毎年土曜の午前に開幕し、月曜の夕刻に閉幕する)も、クレモナ県産のチーズ「サルヴァ・クレマスコ(Salva Cremasco)」にルッチーニのモスタルダを添えて食べると初めてほっと一息つける。
それにしても、このモスタルダってのは厄介者だ。あの甘味と辛味が食事の旨さを引き立てて、さあ、もっとワインも飲めと誘ってくる。そこにあの伝説のワイン、故マーガ・リーノ(僕は今でも故人の希望を尊重し、姓・名前の順で呼んでいる)のバルバカルロが登場したら、それは・・・。
◎LA CICOGNA MOSTARDA LUCCINI(工房)
Via Oglio 9 Cicognolo (CR)
tel. 0372 830624
https://www.mostardaluccini.com/
◎OSTERIA DELL’UMBRELEÈR(レストラン)
Via Mazzini 13 Cicognolo (CR)
tel. 0372 830509
https://umbreleer.it/it/
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
『イル・ゴロザリオ』とは?
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)
私たちの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べよう」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
そして、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、2016年にそれぞれのWEBメディアで記事交換をスタートしました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。
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