クリスマスに贈りたい 心に故郷がある人の夢を実現する物語
Vol.70 マルケ州の女性ワイン生産者
2023.12.25
text by Paolo Massobrio
translation by Motoko Iwasaki
「ここには何にもないけど、何でもある」
「ここ」とはマルケ州マチェラータ県ヴィッソ(Visso)という自治体を構成する一集落、クーピ(Cupi)。モンティ・シビッリーニ国立公園に含まれる領域で、海抜は1000メートルに達する。クーピの歴史は西暦1000年頃にまで遡るが、2016年に襲ったイタリア中部地震で100戸ほどあった家屋のほとんどが使用不可能となった。現在もクーピで暮らしているのはたった10人ほど。周囲の広大な自然にほとんど飲み込まれるように存在している。
冒頭の発言はジネヴラ・コッパッキヨリ(Ginevra Coppacchioli)27歳のもの。礼儀正しく身のこなしも洗練されているが、同時に強い意志をもち実践に長ける。彼女に会って、夢を実現しようとする者には無駄に過ごす時間などないと実感した。
クリスマスを間近に控え、諸君の心を開いてくれるようなストーリーを贈ろうと考えた時、このクーピの話は打ってつけだと思った。その顛末はジネヴラ自身の言葉に委ねるとしよう。
「私たち家族は、いつも心のどこかでクーピと結びついていました。実は一族の誰一人としてクーピ出身の者はいないのですが、毎年夏休みや祝日はクーピで過ごしていました。1800年代にノルチャの聖職者として重要な地位にあった大叔父が、聖職者人生最後の時期をクーピで終えるよう命を受けて赴任したところ一目でこの地を気に入り、家を購入したことが私たち一族とクーピの縁の始まりです。
その後、畜産業を営んでいた祖父がクーピに家畜の一部を移送し、家を建てました。彼の息子たちに1フロアずつ与えようと全5階建ての一軒家だったのですが、残念ながら震災被害に遭い、居住は出来なくなりました。
幸運なことに私たち一家の所有していた建物は、老朽化を理由に2013年に新たな耐震基準に従った改築をしていたので被害を免れました。それで私たちにはクーピでの活動拠点が残されました。
変に思えるかもしれませんが、私がここまでクーピに愛着をもつようになったのは、幼少期からでも流浪の青春期でもなく、その後です。私の父アンジェロ(Angelo)は化学技術者として海外で仕事をしているため、幼い頃からアルゼンチンを皮切りにべネズエラ、ブラジルなどを転々として暮らしましたし、大学はローマで国際関係学を学び、うち一年はアメリカに留学をしていました。その後修士に進み行政と公共政策学を専攻しました。ワインとは全く無縁の世界です。
私には大好きだった兄ルーチョ・アキッレ(Lucio Achille)がいましたが、不慮の事故で亡くしました。その兄こそが、私たちよりずっとクーピを愛していました。彼の夢がクーピにレストランを開いて村を復興することだったのです。
父と私はその兄の意志を継いで、何かしっかりしたプロジェクトを実現させようと決めました。そこにワイン生産というアイデアが浮かんだのです。ただ私たちの周りには、自家消費用に細々と造っていた叔父を除いては、ワイン造りを知る者は誰もいませんでした。しかも父は海外に出かけていることが多く、となると私がやるしかない。
その頃、私は右も左も分からない19歳でしたが、ちょっとあり得ないこの事業に命を吹き込むべく、自分名義で納税者登録番号を開設し起業しました。同時に大学での勉学も続けました。歩むべき人生は別の方向に進んでいると実感していましたが、学業だけはきちんと終えたかったのです。
クーピの1000メートルという海抜は、ブドウの栽培醸造には高すぎてほとんど神話レベルでした。この地域に家畜の季節移動(トランズマンツァ)で上って来る牧夫たちが自己消費用に白ワインを造る程度で、酸味もアルコール度数もかなり強い、つまりおいしくない代物でした。事実この地域ではこう言います。「クーピのワインを飲むなら3人で飲め。1人が飲んだら後の2人でそいつを背負ってやれ(訳注:すぐに酔い潰れてしまうから)」と。その後、近代化の波に押し流され、そんなワイン生産や家畜の季節移動の伝統は失われてしまったのです。
さらに、クーピはモンティ・シビッリーニ国立公園内にあるため、公園を管理する行政機関との間で問題もありました。彼らは、この標高でブドウを栽培していたという記述がどの文献にも記録されていないため、生態系を損なうのではなかという危惧からブドウの苗木を植えることの許可を出し渋りました。やり取りはどんどん長引き、過去にブドウ栽培の伝統が存在していたことを私たちが証明できればという条件が最終的に出されました。
ちょうどその頃、ブドウ栽培に適した土地を探していて、コブカエデの木に巻き付いた接ぎ木されていないブドウの木(訳注:1860年頃に害虫フィロキセラが大発生し、対策として耐性の高い北米系台木に接ぎ木する栽培法が普及。接ぎ木されていないということは、それ以前から存在していた)を何本か見つけました。これは古代のブドウ栽培技術で、エトルリア人も用いていた技法らしいと知りました。山林で野生のブドウの蔓が成長するのと同じように、ブドウの木の枝が別の樹木の幹に抱き着くかたちで成長していく。ブドウの蔓は光を求めてどんどん上に向かって成長しているようでした。私たちがカメリーノ大学に遺伝子分析をお願いしたところ、これはペコリーノ種の古代品種で、この地域の地名ヴィッソからヴィッサネッロ(Vissanello)と呼ばれ、完全に地域の自然環境に適したものであることがわかりました。
さらにルネッサンス芸術初期の建築物として知られるマチェレートの門に労働をモチーフにしたレリーフがいくつか施されており、その一つにブドウの房を手にした男のモチーフがあるのを見つけました。私たちの主張を裏付けるものとなり、今ではワイナリーのロゴとして用いています。
こうしてブドウ栽培の伝統は証明され、残された課題はワインを造ること。しかもおいしいワインでなければならい。私は叔父の協力でワイン醸造と農業の講習を受け、ソムリエの資格も取りました。その上でワイン醸造アドバイザーのフランチェスコ・ズバッフィ(Francesco Sbaffi)のコンサルティングを得ることにしました。
前述の偶然見つけたヴィッサネッロの芽を培養し、苗木として増やして畑に移植。グイヨ(垣根仕立ての一種)に仕立てて育てました。初収穫年は、自宅の小さな地下蔵の小型ステンレスタンクで、圧搾機も100年以上前の古いものを用いて醸造しました。
古代の白ブドウ品種ヴィッサネッロに加えて、シャルドネとピノ・ネーロも植えることにしました。いよいよ醸造所の建設が進んでいた2016年、あの震災が私たちを襲いました。まだ瓶内発酵させたワインが少量あっただけの時期でしたが、道路は閉鎖されクーピは孤立した状態で、冬にはかなりの大雪にも見舞われました。醸造所の建設工事は2020年まで続きました。
私たちは決して諦めなかった。私にとってイタリア中部地震にも、コロナにも屈せずゼロから立ち上げたこのワイナリーは誇りです。現在生産しているワインは6種類で、良い収穫年でも11000本程度。取るに足らない数です。ですが、栽培醸造家としての自分の道のりを振り返ってみれば、それは凄い数に思えるのです。ここで働いているうちに、今日も一つ、明日も一つと自分のワインに発見がある。一本一本を手作業で造ってきたから、ボトルそれぞれに魂がこもるようになった。
この土地で暮らすことは、情緒面ですばらしい価値があります。私たち家族は未だに住居の定まらない生活を続けていますし、ワインのプロモーションでも旅を余儀なくされますが、私の心はいつもクーピにあると思っています」
新生にして驚くほど成熟したワイナリー
ああ、そろそろ僕のワイン評論の時間になってしまったのが惜しいくらいだ。だが、彼女のワインは全てにおいて僕の想像を超えていた。
「プリモディクーピ(PrimodiCupi)」はヴィッサネッロ種のみを用いて4000本が生産されている。かなり高い酸味から長寿が約束されているし、しっかりしたストラクチャーの白ワインだ。深い味わいがあると同時にフレッシュ。香りは複雑で、フェンネル、セージ、メントゥッチャ(ミントよりも穏やかな香りのハーブ)などが入り混じった草の香りをかなり感じる。後味は極端なほど長く、しっかりとしている。チャンピオン級だ。
ヴィッサネッロ種のシャンパーニュ製法による発泡性ワイン「ペコラ・フオリグレッジェ(Pecora Fuorigregge:群れから逸れた羊の意)」も堪らない。たった800本しか存在しないうえ、ズボッカトゥーラ(=澱抜き)をしたものはそのうち100本足らず。7年間酵母に触れさせたまま熟成をさせるからだ。最後のズボッカトゥーラは2022年12月だという。ほぼ入手不可能なお宝というわけだ。
ピノ・ネーロのスティルワイン(1000本を生産)には、フレッシュでフルーティな表現スタイルを選んでいる。若めのうちにその特徴を楽しんでもらうためのもの・・・と言いながらもブドウの房を丁寧に選別して造っているから、かなり興味深い進化が期待できる。
ピノ・ネーロからは「スプマンテ・ロゼ(Spumante Rosé)」のエキストラ・ブリュット・ミレジマート(ミレジム)も造られているが、これは食べるワインとでも表現しようか、かなりガストロノミックだ。食事の初めから終わりまでをこれ一本で楽しめる、やはりシャンパーニュ製法による発泡性ワイン。
シャルドネのスティルワイン「アルチネスコ(Alcinesco、3000本を生産)」は上品かつエレガントにして説得力がある。イタリア製の大樽で2年間熟成しているにもかかわらずフレッシュだ。
シャルドネのスプマンテは、エニシダ、ヘーゼルナッツ、アザミのようなテロワールが育んだ香りをしっかりと湛えたワインだ。自信満々に見えて侮れないエレガンスを持つストラクチャーに驚かされた。正に真の山のワインと言える。
僕は「ゴロザリア・ミラノ2023」の開催を機に、この新生にして驚くほど成熟したワイナリーが造るマルケ・ビアンコ「プリモディクーピ2021」を、ワインTOP100の中でも「今年最高のワイン(Top dei Topトップ中のトップ)白ワイン部門」に選び表彰した。
ジネヴラのほとんど無垢なくらいの信念や果断に富んだ実行力を思う時、この先様々な力が彼女をクーピから引き離そうとするかもしれないが、そうならないことを祈り、信じている。
『故郷は必要だ、その地を離れることを喜ぶ者にとってさえも。故郷があるとは、一人ぼっちではないということ、その地の人々の、木々の、大地の間に君の何かは残っていて、君がいなくなっても故郷は君のことをずっと待っていてくれると心で理解していることなのだ』
70年以上も前にこう書いたのは、作家として円熟期に達していたチェーザレ・パヴェーゼ。1900年代におけるイタリア文学の代表作の一つとされ、彼の遺作ともなった『月と篝火』の一節だ。
◎Azienda Vinicola Coppacchioli Tattini
Via Piana 16 62039 Cupi di Visso (MC) Italy
☎+39 351 850 7557
https://www.coppacchiolitattini.it/
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
https://www.ilgolosario.it/it
『イル・ゴロザリオ』とは?
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)
私たちの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べよう」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
そして、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、2016年にそれぞれのWEBメディアで記事交換をスタートしました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。