パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
vol.3 ピエモンテ州アレッサンドリアの“縫い合わせた”生サラミ
2016.04.28
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)
豚を縫う技法
「おばあさんは豚肉を縫っていました・・・・」などと言えば、魔法使いのおとぎ話の冒頭かと思われるかもしれない。が、これはsalame cucito(サラメ・クチート=縫い合わせたサラミの意)と呼ばれる伝統あるサラミの話で、主役はピエモンテ州アレッサンドリアにあるTortona(トルトーナ)の町の背後に広がる渓谷の特産物だ。
イタリアでは、農民の世界に最も根差した教訓の一つに「豚には捨てるところがない」というのがあって、読んで字のごとく、豚はすべての部位を用いて耳から足先、果ては血液に至るまで、雑多な部分を用いたサラミが作られてきた。
それだけではない。脂肪を食品の保存に用いていたし、皮膚用軟膏なども製造していた。豚という動物と関係の深い聖人は聖アントニウスで、麦角菌中毒になった修道士のために、ラードをベースにした軟膏での皮膚治療研究を行ったことにある(麦角菌中毒は今でも「聖アントニウスの火」と言われる)。
ピエモンテの豚肉文化の中心はサラミにあり
ピエモンテはワイン文化に加え、豚肉文化の土地柄である。
が、それはポー川沿いに発達したプロシュート生産(つまりモモ肉を塩漬けにする)の文化とは大きく違い、そのほとんどが様々な部位の肉を刻んだものを捏ねて腸に詰めたものだ。そう、サラミだ!
ここにはイタリアの最もポピュラーな腸詰製品が、大きさも重さもバラエティー豊かに存在する。
では、この生サラミの特徴は何か?
肉だ。この場合、加熱はせず(モンフェッラートには加熱したsalame cotto(サラメ・コット)もあって美味で人気の特産物だが)、屠畜すると直ちにコショウ、そして時にはニンニクやワインも加えた特別配合のスパイスと混ぜて捏ねたあと、生のまま腸に詰められる。
用いるワインもその地域で生産されるワインによって変わってくる。ピエモンテでは長く熟成させたバルベーラ、ドルチェット、ネッビオーロ種を用いたワインを主に用いている。
スパイスの配合はそれぞれの食肉加工工房で、嫉妬と呼びたいまでに厳重な注意をもって扱われる。masaghen(マザゲン)と地域の方言で呼ばれる、農家を渡り歩いて豚の屠畜からサラミ作りまでを生業とする職人の間では、口頭でしか伝承されないほど大切な宝扱い。
彼らは屠畜とサラミ作りという困難な作業を数時間で正確にこなさなければならなかった。実際、サラミの腸詰加工がうまく仕上がっていないと、内部が黒ずんで肉は熟成するどころか腐敗する。せっかく作っても最終的には捨てる羽目になる。
これは1900年代の半ばまで、年間を通して豚肉と豚肉の保存食で命をつないできた農家の人たちにとって、まさに悲劇だった。
ピエモンテ州内で生サラミの生産が最も根付いている地域の中でも、特に独特なものを生産しているのは南部だ。中世の古城が多いことで知られるモンフェッラートの地域には、生サラミやサラミ・コットの文化が今でも広く息づいている。一般的なサイズのものもあるが、大きなものにはmuletta(ムレッタ)と呼ばれるタイプがあり、時に3㎏を超えることもある。
そして、中世の頃の巡礼街道Via Francigena(ヴィア・フランチジェナ)を南下しピエチェンツァ方面に向かえば、正にサラメ・クチートと呼ばれる独特のサラミが待つトルトーナの渓谷が見えてくる。
気が遠くなるような時間と
几帳面な仕事が育む、しなやかな熟成
ここで最高のサラミの作り手として知られる生産者はアレッサンドリア県にあるBrignano Frascata(ブリニャーノ・フラスカータ)の「Corte di Brignano (コルテ・ディ・ブリニャーノ)」だ。
この工房で僕が驚かされるのは、その作業に費やす時間と仕事の几帳面さ、つまり製法を重んじで惜しむことなく製造にかけるその時間の長さだ。
ここでは2種類のサラミが作られている。一つはNobile del Giarolo(ノービレ・デル・ジャローロ)、そしてもう一種がCucito(クチート)。
工程は、mondatura(モンダトゥーラ)と呼ばれ、肉から神経や腱の部分を除去する作業から始まる。その後、一晩寝かされ、ミンチにされスパイス、ニンニク、地域特産のワインで味付けをするが、この地域の場合は、Colli Tortonesi(コッリ・トリネーズィ)のバルベーラだろう。
こうして得られたサラミ用に捏ねた肉(イタリア語でpasta di salame(パスタ・ディ・サラメ))は本物の豚の大腸に詰め、ノービレ・デル・ジャローロにするべく手作業で縛っていく。
同じ捏ね肉をさらに先の豚の腸を二重にして縫い合わせたものに詰めたものが、ノービレ・クチートと呼ばれる。
ノービレ・クチートのおいしさの秘訣は、腸を二重にして縫い合わせることで、肉の湿度をより長く保ち続ける点だ。
潮風、正確にはリグーリア海から運ばれてくる軽やかなそよ風によって乾燥させられた後、この2種類のサラミは長期に熟成されるが、確かにクチートの方がより長い時間をかけて熟成していく。
その熟成期間は24カ月に及ぶこともあるが、このサラミ独特のしなやかさを約束できる温度および湿度条件を適えた環境を維持しているのは、前述の工房「コルテ・ディ・ブリニャーノ」のオーナー、ジャーニ家が所有する1600年代からの古い熟成庫だけだ。
様々な素材を完全に均一に混ぜ込むことで得られる中心部の柔らかさこそが、サラメ・クチートに他に例をみない卓越性をもたらし、熟成に気の遠くなるようなゆっくりとした時間をかける辛抱強さが、独特のニュアンスをもった味わいを作っていく。
このサラミを真剣に味わうなら合わせるパンはピエモンテの方言で「grissia(グリッシア)」というパスタ・ドゥーラ・タイプのパンが必須だ! が、この話はまたいつか・・・・。
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。http://www.ilgolosario.it
Shop Data:卓越した生サラミを買いにいくなら
Corte di Brignano (ピエモンテ州/アレッサンドリア県ブリニャーノ・フラスカータ)
via Roma, 19 15050 Brignano-frascata (AL)
Tel. 0131784944
http://www.cortedibrignano.it/
『イル・ゴロザリオ』とは?
photograph by Masahiro Goda
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、月1回の記事交換をそれぞれのWEBメディア、ilgolosario.itと、TheCuisinePressでスタートすることになりました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。