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JOURNAL / 世界の食トレンド

サワードウブレッド復活の兆し。元「ヴァーネル」宮脇夫妻が見た、北欧オスロのパンの現在

Norway [Oslo]

2023.10.02

元「ヴァーネル」宮脇夫妻が見た、北欧オスロのパンの現在

coordination & photographs by Asaki Abumi
(写真トップ)東京・谷中のベーカリー「ヴァーネル」(現在閉店)を経てノルウェーに渡ったベイカー、宮脇司さんとのぞみさん。ノルウェーの労働ビザ申請はとても厳しく、今回は飲食店での経験があるのぞみさんが労働ビザを取得し、司さんは家族ビザでの滞在だ。

工業化されたパン作りから伝統への回帰

2017年、オスロにオープンしたサワードウブレッド専門店「イレブロ(ille brød)」。ノルウェー語で“すげえパン”という意味を持つこの店の厨房に、真剣な目で生地をこねる日本人がいる。宮脇司さんとのぞみさん夫妻だ。2人は2023年3月にノルウェーに移住したばかりだ。

生地のみずみずしい質感と酸味が特徴的なサワードウブレッドは、近年SNSを通して世界的なブームとなっている。司さんもサワードウブレッドの魅力に憑かれた1人だ。2017年、ワーキングホリデーで滞在していたオスロで3カ月間、イレブロで働いたことを機に、世界8カ国15軒のベーカリーで研修。帰国後、オスロのカフェ「フグレン」の日本店代表・小島賢治さんと共同で、東京・谷中にベーカリー「ヴァーネル」をオープンすると、国内外から客が訪れるサワードウブレッドの発信地になった。

次第に「パン文化が根付いた国で、地域に根差したパン屋さんをもっと知りたい」という思いが強くなり、同店でベイカーとして働いていたのぞみさんと2人で、再びオスロに渡ることを決意した。

ノルウェーでのサワードウブレッドは、「昔、家族の誰かが焼いていたけれど、私のおばあちゃんはもう焼いていない」というノスタルジックなパンだ。流行がゆっくりと広がる国なので、世界的ブームとなっていても、首都オスロでもイレブロが唯一ではないかと思うくらい、サワードウブレッド専門店は少ない。

ノルウェーで最もポピュラーなのは、クナイプブロート(kneippbrød)と呼ばれるイーストで発酵させた全粒粉パン。「70年代、健康のため全粒粉を多く食べるよう政府が推奨し、以来多くの人が全粒粉パンを求めるようになったようです」と司さんは話す。
「ドイツのパン屋さんが言っていましたが、パン作りの工業化が進んだ時代に、伝統的なパンの在り方は一度書き換えられてしまった。今では全粒粉パンと謳っていても、全粒粉の比率が低かったり、添加物で生地を無理やり繋げてフワフワに仕上げたパンも少なくありません」     

(写真)スウェーデン・オーランド島原産の在来種、オーランド小麦を20~30%配した「20% オーランド(Øland)」。イレブロで一番全粒粉の割合が少ないパンだ。「味がしっかりしたオーランド小麦を長時間発酵させて焼いているので、クラストは食べると繊細にはじけながら香ばしさと甘味を感じ、クラムからは乳酸菌発酵による長い余韻と小麦が持つ旨味が感じられます。1.3kgの重さがありますが、スライスすると食べやすく、サワードウが持つ奥行きを感じやすい。どんな食べ方にも料理にも合うので、初めて来た方にはまずはこのパンをお勧めしています」

(写真)スウェーデン・オーランド島原産の在来種、オーランド小麦を20~30%配した「20% オーランド(Øland)」。イレブロで一番全粒粉の割合が少ないパンだ。「味がしっかりしたオーランド小麦を長時間発酵させて焼いているので、クラストは食べると繊細にはじけながら香ばしさと甘味を感じ、クラムからは乳酸菌発酵による長い余韻と小麦が持つ旨味が感じられます。1.3kgの重さがありますが、スライスすると食べやすく、サワードウが持つ奥行きを感じやすい。どんな食べ方にも料理にも合うので、初めて来た方にはまずはこのパンをお勧めしています」

サワードウブレッドの魅力は「素材」「土地」、そして「人」

そもそもサワードウ(サワー種)とは、粉と水を合わせたところに複数の微生物を培養して作る伝統的な発酵種。作る地域によって微生物の種類が変わり、さらに穫れる麦の種類や成分、気候が変わるため、その土地その土地でユニークなパンが生まれるのがサワードウブレッドの魅力、と司さんは考える。

「たとえばカリフォルニアで見たサワードウは、水分量が少なく小麦全粒粉を使っていましたが、北欧ではライ麦と小麦を合わせて水分量を多く管理しているところが多い。これは平均的に気温が低いことが関係していて、乳酸発酵がしっかり進んだヨーグルト香やイチゴのような甘酸っぱさが酵母から生まれます」

また、国際色豊かなチームであることがパンの味にも影響するという。
「小麦と気候の違いに加え、サワードウブレッドはパンの個性が作り手の人柄につながっているのが面白い。イレブロは、オーナーのマーティン以外はノルウェー出身ではなく、イギリス人、ギリシャ人、チェコ人、ブルガリア人、ポーランド人など多彩。それぞれの個性を生かしたら、さらに良いベーカリーにできると話している。今はそんな国際色豊かなチームで働くことに魅力を感じています」

(写真)ベイカー兼ペストリーシェフの宮脇のぞみさんは、「ヴァーネル」で司さんと出会い、今回初めての海外暮らし。働き方がゆったりしていることと、同僚同士が上下関係を気にせず、率直に意見を言い合えることにカルチャーショックを受けたそうだ。

(写真)ベイカー兼ペストリーシェフの宮脇のぞみさんは、「ヴァーネル」で司さんと出会い、今回初めての海外暮らし。働き方がゆったりしていることと、同僚同士が上下関係を気にせず、率直に意見を言い合えることにカルチャーショックを受けたそうだ。


地元のベーカリーを支えることは、食文化を守ること

マーティンの哲学は、丁寧に製粉された地元の小麦を、しっかりと発酵させることによって最大限に風味を引き出し、栄養価が高く消化が早い、“体にやさしい日々のパン”のあるべき姿を目指すこと。
「2023年の建国記念日(5月18日)は、オープン以来、過去最高のパンの製造販売数になりました。自宅に人を呼んで食事をする特別な日に、イレブロのパンを選んでくれる人が年々増えているということは、伝統的なパンが、少しずつ人々の食文化に受け入れられていっているのかなと思う」

「パンを焼きたい人はみんな友達」という雰囲気があるノルウェーのパン業界。コロナ禍に家でパンを焼く人が増えたこともあり、イレブロでは地元客にサワードウを無料で分けているという。こうして「自分でも家で作ってみたい」「週末に家族に焼いてあげたい」というパン作りの輪は、じわじわと広がっている。

小規模なパン屋の経営を支えようと、イレブロの活動を応援する個人投資家も増えている。クラウドファウンディングに近い形の市民の投資現象は珍しく、地元の新聞でも取り上げられた。最近ではカフェやレストランでも、サワードウブレッドが出てくることが増えている。イレブロの在り方は、ゆっくりと、しかし確実にオスロの食文化に変化をもたらしているのだ。

(写真)労働時間は7.5時間。たくさんのパンを作り、みんなでお昼を食べ、家ではゆったり過ごす。「頭の中を整理し、休める時間があることは全ての人にとって必要なのだと思います」とのぞみさん。ライフワークバランスとはこのことか、と肌で感じているそうだ。

(写真)労働時間は7.5時間。たくさんのパンを作り、みんなでお昼を食べ、家ではゆったり過ごす。「頭の中を整理し、休める時間があることは全ての人にとって必要なのだと思います」とのぞみさん。ライフワークバランスとはこのことか、と肌で感じているそうだ。

(写真)北欧ではポピュラーなカルダモン入りシナモンロールもサワードウで作る。イレブロで使う麦は全て、石臼挽きノルウェー産オーガニック(北欧由来の在来種がメイン)で、オスロ近郊の製粉会社「ホリモレ(Holli mølle)」から仕入れている。

(写真)北欧ではポピュラーなカルダモン入りシナモンロールもサワードウで作る。イレブロで使う麦は全て、石臼挽きノルウェー産オーガニック(北欧由来の在来種がメイン)で、オスロ近郊の製粉会社「ホリモレ(Holli mølle)」から仕入れている。

ille brød

◎ille brød
Lakkegata 53, 0187 Oslo
10:00~17:00(土曜9:00~16:00)

月曜、日曜休(その他イースター休暇1週間、クリスマス休暇1週間、夏季休暇3週間)
20%オーランド 135ノルウェークローネ
シナモンロール 45ノルウェークローネ
https://illebrod.no/

*1ノルウェークローネ=13.7円(2023年9月時点)

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