北海道と本州・九州の小麦は、なぜ違う?ゲノムが語る、国産小麦の“設計図”
「パンの道の駅」メイキングオブ 第6回
2026.02.02
text by Hiroaki Ikeda
「北海道小麦でパンを焼くと、生地がよく伸びて膨らむ。一方、本州の地粉は扱いが難しいけれど、焼き上がりの風味が深い」といわれる。だが、この違いはどこから来るのでしょう?それは、小麦の”設計図”=ゲノムにあります。
2020年、世界各地の15品種のゲノムを解読した、日本を含む世界10ヵ国による「国際コムギ10+ゲノムプロジェクト」*1の発表をもとに、今回は小麦選びをもっと深くする、ゲノムのお話です。
在来型か北米型か
外麦(北米産小麦)と呼ばれる一般的なパン用強力粉と、国産小麦のちがい。さらに国産でも、北海道産と本州・九州産のちがい。国産小麦を触っているパン職人なら、一度は首をかしげたことがあるはずだ。この差はどこから来るのだろうか。
答えのひとつは、ルーツの違いにある。本州・九州の小麦は、古くから日本の農家が植え継いできた土着の在来種の流れをくむ。一方、北海道の小麦は、明治以降に北米やロシアから入ってきた硬質小麦の系統をもとに育種されてきた。日本の国産小麦と言っても、大きくこの二つの系統が同時に走っている。
本州・九州側の代表が、農林61号だ。
「国際コムギ10+ゲノムプロジェクト」で、ゲノムを解析した世界15品種の小麦の中で、唯一日本から選ばれた品種でもある。
戦時中の1944年、九州の福岡・佐賀で育種された農林61号は、「小麦の大横綱」と呼ばれ、60年以上の長きにわたり作付けされた異例の品種。九州から関東まで、時には北海道でも育つほど、どこでも育つ強靭性を持つ。
家系を遡ると、兵庫の「新中長(しんちゅうちょう)」「神力麦」や島根の「江島」など、日本各地の農家で植え継がれた在来種の血を濃く引いている*2。他国の強力小麦と交配してグルテンを強くした現代のパン用品種とは、そもそもの出自が違う、“ザ・ニッポン”のような品種なのだ。
ゲノム解析の主成分分析の結果をみると、農林61号は欧米の小麦とはぽつんと離れた位置にプロットされることが分かっている。この距離こそが、国産在来種の遺伝的な特異性を示す*3。冷涼で乾燥した原産地・西アジアを出発した小麦が、シルクロードを経て日本にたどり着き、高温多雨の気候に何千年もかけて適応してきた結果だ。
西アジアとは真逆。小麦にとってストレスフルなこの気候が、遺伝子レベルで小麦を変えたのである。
小麦の“生存戦略”
この適応は、製パン性にも影響を与えた。
それはグルテンの網目を構成する分子「サブユニット」の型を見ればわかる。
パン用に向く欧米品種や北海道の強力品種が、分子レベルで強いグルテンを作る「5+10」という型を持つのに対し、農林61号は「2.2+10」という特殊な型を持つ*4。これはシルクロード沿いの限定的な地域やと日本にしか見られないといわれている。グルテンのつながりが弱く、生地はダレやすい。かつて「国産小麦でパンは作れない」と言われた背景には、この型の違いがある。
ただ、その代わりに農林61号は、アミノ酸(遊離アミノ酸)とポリフェノールをたっぷり蓄える方向に振れた。高温多雨の日本では、病害と戦うために、グルテンの材料となりうるアミノ酸を、茎や穂を強くし、カビや細菌を防ぐポリフェノールの合成に使ったのである。強いグルテンよりもポリフェノールという武器を選んだのだ。
「国際コムギ10+ゲノムプロジェクト」でも、農林61号がアミノ酸を蓄積するための独特の遺伝子群を持っていることを明らかにしている。
このアミノ酸の高い含有量が、農林61号のワイルドな香りの正体である。パンを焼く際、アミノ酸はメイラード反応の主役となり、クラスト(パンの皮)の焼き色や風味を作る。その結果、麦芽のような香りやナッツのような香ばしさが生まれる。加えて、ポリフェノール由来のワインで言えばボディ感にあたる深みのある風味を持つようになったのである。
こうした性質は、多かれ少なかれ、他の本州・九州産品種にも受け継がれている。
九州の「ミナミノカオリ」は、その好例だ。父方に在来系統、母方にアルゼンチンの強力小麦を持つ“ハーフ”で、香りは重厚で、膨らみは北海道産ほどではない。日本の地粉らしい厚みと、近代強力粉の扱いやすさを、どこまで両立できるかを探った品種と言える。
一方、北海道産の小麦は、話が逆になる。
冷涼で梅雨がなく、病原菌が少ない北海道では、グルテンの強さに“全振り”できた。北米・ロシアの硬質小麦系統を取り入れた結果、2001年の「春よ恋」や“超強力小麦”「ゆめちから」のように、「5+10」の型を持つパン用強力品種が次々と生まれた。
グルテンが強いぶん粒も硬く、製粉のときに「損傷デンプン」ができやすい。そこに酵素が入り込み、糖が多く生まれる。その糖が焼成時のメイラード反応で「マルトール」という焼き菓子のような甘い香りを出す。そして遊離アミノ酸が少ない分、地粉特有の雑味が出にくく、甘さがクリアに立ち上がる。これが、北海道産小麦のミルキーさと“食べやすさ”の正体だ。
シルクロードを経て約8000年かけて土着し、病害と戦いながら風味を蓄えた本州・九州の小麦と、北米の血統を受け継ぎ、ボリュームとクリアな甘みを実現した北海道の小麦。この二つの個性の違いは、単なる職人の感想ではなく、ルーツとゲノムに裏打ちされたものだ。
南北に長く、さまざまな気候帯を持つ日本列島。地域ごとに品種があり、その違いを、現場のパン職人たちは実際の配合で使い分けている。北海道産でボリュームと甘さを取り、本州・九州産で香りや地粉感を足す。あるいは、あえて61号系の重たさを前に出し、「この土地の小麦でこういうパンを焼く」というコンセプトを打ち出す。こんな文化を持ち合わせた国はほとんど存在しないのではないだろうか。
(製粉会社が品種ごとに粉を分けた流通も、お米文化の流れを汲む日本独特のものだろう)
どの小麦に、パンと未来を託すのか
近年、農林61号は「ヘリテージグレイン」(穀物遺産)として評価されているが、かつては地に落ちていた。ポリフェノールの強さゆえ、粉の色が褐色になることが、製麺業者から敬遠されたのだ。地粉の風味もようやく理解されるようになったが、かつては野暮ったいとされ、風味がクリアでグルテンが強いオーストラリア産小麦が「おいしい」とされていたのだ。
温暖化や異常気象などの厳しい環境下でも生き残れる品種が要請されるいま、「国際コムギ10+ゲノムプロジェクト」をきっかけに、世界は農林61号の特異なゲノムに学ぼうとしている。ここに、多様性や、在来種を守り抜かなくてはならない真の理由がある。
在来系の小麦をパンに焼き込んでいくことは、多様性の動態保存にもなる。
どの系統の、小麦のどんな性格を自分のパンに託すのか。その選択は、これからますます職人側の価値観の問題にもなっていくだろう。
国産小麦の違いを知ることは、単に粉を知ることではない。この国の風土と歴史のどのラインに、自分のパンをつなぐか選びとることでもある。
<農林61号の香り成分の質と量>
Butanal, 3-methyl- 麦芽 3.311
Maltol あまさ -0.562
Pyrazine, 2,6-diethyl- ナッツ 2.542
Phenylethyl Alcohol 花 -0.649
Furfural カラメル 0.008
*1CWを0とした場合の標準偏差
<北海道産小麦の遊離糖(デンプンから分解されて生じた甘味成分)の量>
(秋まき)キタノカオリ 206
(秋まき)ゆめちから 135
(春まき)ハルユタカ 131
(春まき)春よ恋 108
(春まき)はるきらり 84
※1CW=100としたときの相対値
NPO法人新麦コレクション+埼玉県産業技術センター共同研究より
*1 日本コムギ農林61号など世界15品種の高精度ゲノム解読に成功―ゲノム情報を利用した迅速な分子育種技術の開発に期待―
https://www.amed.go.jp/news/seika/kenkyu/20210118.html
*2 日本の小麦登録品種の系譜
https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010938127.pdf
*3 Denovoannotationrevealstranscriptomiccomplexityacrossthehexaploidwheatpan-genomea(「「新規アノテーション(注釈付与)によって明らかになった、6倍体コムギのパンゲノム全体におけるトランスクリプトームの複雑性」)https://www.nature.com/articles/s41467-025-64046-1
*4 FrequencyoftheHigh-Molecular-WeightGluteninAlleleinAsianHexaploidWheat(TriticumaestivumL.)andtheTransmissionRoutethroughWhichtheWheatMayHaveReachedJapan
池田浩明(いけだ・ひろあき)
パンの研究所「パンラボ」主宰、新麦コレクション理事長。ブレッドギーク(パンおたく)。パンを巡る小麦の生産者、パン職人、消費者を、縦横無尽につなげる機動力と企画力の持ち主。
◎福岡県川崎町「パンの道の駅」準備室
Instagram:@kawasaki_michinoeki
池田さんの連載 第一回はこちらから