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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

余市から世界へ。

ヴィニュロン、ソムリエ 平川敦雄 「平川ワイナリー」

2025.07.25

text by Sawako Kimijima / photographs by Masahiro Goda
(写真)
ワイン:平川ワイナリー /「平川敦雄 ケルナー 2013」これまでにない道産の高級白ワイン を造るというコンセプトの下、健全果率99%(腐敗果は、畑で2週間かけてピンセットで除去)、この年、余市で最も遅いタイミングで収穫して仕込んだ。JAL国際線ファーストクラスの2017年6~9月期のワインとして採用。

料理:東京・外苑前(現・麻布台ヒルズ)「フロリレージュ」タケノコ、イカスミ /「フロリレージュ」ソムリエの中村遼いわく「アロマティックにして透明感があり、コクやボリュームを備え、余韻が長い。懐の深いワイン」。今回は春を表現するマリアージュ。ケルナーの清冽さに春素材を寄り添わせている。揚げたタケノコに、トマトのクリアなジュをぐっと詰めてイカスミと合わせたソースをまとわせ、イカスミのビーゴリとアオリイカを添えた。ウスイエンドウの花とセルフィーユをあしらって。

ヴィニュロンにしてソムリエという2つのスタンスでワインを造る。
栽培~醸造~サービスを一貫して行なう稀有な人材である。
高みを目指して、ひたすらに学習と経験を重ねてきた。そのキャリアは凄まじい。余市でも別格とされる畑を引き継いで自園を立ち上げたのが2014年。
「ガストロノミーを意識するほどに“味は畑の中にある”と実感する」と語る。

目次







1973年、東京生まれ。東京農工大農学部卒。95年渡仏、シャトー・ラフルール(ボルドー)、マス・ドゥ・ドウマス・ガザック(南仏)などを経て、01年フランス国立農学大学院ENSAアグロモンペリエ(現SupAgro Montpellier)へ。03年シャトー・プラドー(南仏)で醸造、ボルドー大学醸造学部デュブルデュー研究室で芳香性分子の研究を手掛ける。04年には南アフリカで醸造。04~05年CFPPAで学び、05年ドメーヌ・ルフレーヴ(ブルゴーニュ)、06年シャトー・シュヴァル・ブラン(ボルドー)で働く。その傍ら、ボルドー大学認定のD U A Dを取得。07年ドメーヌ・ベルナール・ボドリ(ロワール)、08年N Zのフロムワイナリーを経て、帰国。09~11年、「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」シェフ・ソムリエを務めた後、14年に平川ファーム、15年平川ワイナリーを設立。


学びへの飽くなき欲求 

始まりはソムリエだった。大学時代のアルバイトでソムリエの仕事に目覚め、一流のソムリエになるべく、休学して渡仏したのが22歳。「リュックを背に新潟港を出航、ウラジオストックから鉄道を乗り継いで、ユーラシア大陸を横断した」という行き方が平川のスケールを物語る。

フランスへ渡ったものの、言葉が障壁となって接客業には就けず、得られた職がワイナリーだったことから、ワイン造りへと入り込んでいく。
「当初は部屋を借りるお金がなく、畑の横にテントを張って、焚き火で食事を作り、ろうそくの明かりで勉強していました」
受け入れ先の栽培醸造家から「頑張ればエノログ(醸造士)になれる」と励まされる一方で、日本のワイン界の重鎮から投げ掛けられたのは「そんな甘いものではない」。2つの言葉の挟間で、専門的人材を育成する高度な教育機関ENSAアグロモンペリエ(現SupAgro Montpellier)へ入る。

ブドウ栽培・ワイン醸造科は44人限定、彼が初めての日本人だった。外国人だからといって手加減なく毎週試験が襲ってくる中で、膨大な資料から独自にレジュメを作り、50 回以上読んでは試験に臨む日々を繰り返して、仏農水省認定“技術士”(農学部門)、仏農水省認定“ワイン醸造士(エノログ)”、ENSA認定“マスター・オブ・サイエンス”(栽培・醸造学)を取得した。 資格を得た平川に「敦雄は技術者だから」と次々と門戸が開く。ブルゴーニュのドメーヌ・ルフレーヴ、ボルドーではシャトー・シュヴァル・ブラン、南アフリカやニュージーランドの醸造経験も重ねた。

決して一流のソムリエになる夢を諦めたわけではない。むしろ「ソムリエという職業に助けられた」と平川は語る。というのも、夏は帰国して箱根のホテルでソムリエとして働き、その収入をアグロモンペリエなどの学費に充てたのである。

栽培醸造家としてのキャリアを確実にしつつ、04~05年にはCFPPAボーヌのソムリエコースに入り、仏文部省認定“プロフェッショナル ソムリエ”を、07年にはボルドー大学が認定するワイン鑑定技能試験(DUAD)を共に首席で取得。ワイン造りと並行して、南仏「ジャルダン・デ・サンス」、アルザス「ランスブール」など星付きレストランでも働いた。
「師匠たちは己れの持つすべてを授けようとしてくれた」と平川。それは彼が常に眼差しを高く掲げて求め続けたからだろう。

土地の表現に思想を込める 

12年に及ぶフランス滞在中にもとりわけ思いを寄せたのはアンヌ=クロード・ルフレーヴだった。「彼女の農業思想に大きな影響を受けました」。

08年、平川は帰国。彼のワイン観に影響を与えるもう一人の人物との関わりが生まれる。ミシェル・ブラスである。「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」シェフソムリエの座に就き、ブラスがオーブラックの土地を見つめるように、平川は北海道という土地と向き合うようになる。

そんな彼をある1本のワインがブドウ畑へ導く。余市産のケルナーから生まれた2008年産の辛口白ワインである。「酒質の高さとコストパフォーマンスに驚いた。ピュアで透明感があって酸もある。アルザスのリースリングにも共通する要素を感じた」

ケルナーに道産ワインの未来を見た平川は、ブラスを辞してワイン造りへと身を投じることになった。今(2017年当時)、平川は毎週末、余市から往復3時間半かけて、富良野へ出向いて行く。「フラノ寶亭留(ホテル)」のレストランでソムリエを務めるためだ。

「瓶詰めまでが私の仕事ではない。畑の続き、醸造の続きが、レストランにある」「フラノ寶亭留」のシェフ、小松直輝はブラス時代の同僚である。信頼し合う同士、ディスカッションを重ねながら、マリアージュの可能性を探る。そして、自らサーヴすることで食べ手の反応を受け止め、ワインが食卓に上ってからの発展性を捉えて、ワイナリーへと持ち帰る。

「ガストロノミーの現場にいるほどに、ワインの味は畑にあると認識する」と平川。
優れたワインは、気候、土壌、品種、人(仕事)の理想的なマッチングによってしか生まれない。瓶詰め後に関わっていっそう、畑での作業を掘り下げることになる。
と同時に、平川はブラスの生き方と彼のスペシャリテであるガルグイユを思い浮かべずにはいられない。「地元に伝わる伝統料理をベースに、ミシェル独自の自然観が加わって誕生した。厳しい環境下で生き抜く植物の生命力がテーマです。料理の形をした思想だと思う」

ルフレーヴのビオ思想がヴィニュロンの意識を喚起し、ブラスの自然観が料理人に自らの足元の風土へ目を向けさせたように、大地の息づかいに耳を澄ます思想と姿勢は世界を動かす。平川は自分もそうありたいと願う。

余市から世界へフランスソムリエ協会のソムリエバッジと「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」時代から使っているソムリエナイフ。ブラスの本拠地ライオール(刃物の名産地)産でブラスの名前入り。「お墓に一緒に入れてほしいくらいの宝物」

◎ 平川ワイナリー
https://hirakawawinery.jp/

(雑誌『料理通信』2017年5月号掲載)

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