90歳。「店を始めてからは、座ってメシを食べたことなんかないね」
生涯現役|「すし乃池」野池幸三
2022.11.07
text by Kasumi Matsuoka / photographs by Masashi Mitsui
連載:生涯現役シリーズ
世間では定年と言われる年齢をゆうに過ぎても元気に仕事を続けている食のプロたちを、全国に追うシリーズ「生涯現役」。超高齢社会を豊かに生きるためのヒントを探ります。
野池幸三(のいけ・こうぞう)
御歳90歳 1927年(大正15年)10月29日生まれ
「すし乃池」
長野県生まれ。高等科卒業後、国鉄勤務を経て芝居の道へ。劇団で出会った、日本橋「吉野鮨本店」の大将との出会いをきっかけに、25歳で上京。同店で15年間修業し、1965年(昭和40年)、谷中に「すし乃池」を開店する。現在(2017年)も毎朝、築地で仕入れをする傍ら、町づくりに関する会合の旗振り役を務める。長を務める会の数は12に及ぶ。
(写真)「すし乃池」の主人、野池幸三さん。毎朝、築地で20~30キロもの穴子を買い付ける。
町が良くなれば、店も良くなる、自分も良くなる
この辺りは昔から寺が多くて、法事で来る人が多い所でね。昔は法事の時にすしの出前をよく使ってくれたもんだから、寺がお客の輪を広げてくれた。そうやって地域とつながりながら、徐々に常連が増えていったんだ。
穴子すしは、「何か一つは店のメインを作らなくちゃいけねえなあ」と思って力を入れ始めた。店を続けるには、「何を食べても旨い」っていうより、「うちはこれ」というものがなくちゃいけない。そこで、お参りにくる人の土産になるような、持ち帰りのすしを作ろうと考えた。持ち帰りとなりゃ、やっぱり穴子だろうと。その方針が、今もずっと続いてるってわけだ。
穴子すしで最も特徴が出るのは、煮方。時間が経っても硬くならない煮方ってのを、相当研究したよ。穴子はさばいてから、砂糖、醤油、みりん、水で1時間かけて煮る。穴子に塗るツメは、煮た時のツユを毎日少しずつ煮詰めて、半月かけて仕上げるんだ。うちは半端ない量の穴子を使うから、ツユがたくさんできる。そのツユを、余計なものは一切入れず、ひたすら煮詰めてできるのがツメなんだ。
シャリは、関西風にすし酢に砂糖を入れず、塩と酢のみ。甘味は砂糖じゃなくて、ご飯の甘味という考え方だね。ご飯にまで砂糖を入れると、穴子の味が負けちまうんだ。酢はツーンとした酸っぱさのない、酒粕の酢を使ってる。
俺が故郷の長野から東京に出てきたのは25歳の時。高等科を出て国鉄に入ったんだけど、首切りが始まって、その流れで辞めざるを得なかった。国鉄時代から芝居をやっていたもんだから、辞めてからは芝居で何とか食べていたんだ。そこで出会ったのが、当時東京から疎開で長野に来ていた、日本橋「吉野鮨」の大将。その大将に誘われて上京したのが、すし人生の始まりってわけだ。それから15年間、吉野鮨で必死で働いて、40歳で独立した。
今は、すしを握るのは若い奴に任せてる。すしってのは、力がなきゃ握れない。柔らかく握るのも、力がないと難しいんだ。ただ、築地の仕入れだけは毎日、俺が行く。自分の目で確認して仕入れないと気が済まないんだ。吉野鮨の頃から仕入れを任されていたから、築地歴はもう65年になるね。毎朝6時に起きて、7時には築地にいるよ。
毎日どんなもの食べてるかって? 店を始めてからは、座ってメシを食べたことなんかないね(笑)。朝は飲むヨーグルトをぐいっと飲んで仕入れに向かう。昼は仕込みの合間に、おにぎりなんかをつまみ食い。俺は谷中の町づくりに関する会長や委員長みたいなものをいくつもやっていて、とにかく会合ってのが多い。ひと月のうち、20日は何らかの会合が入ってるから、夜はそこで出る弁当なんかを食べる。だから、食生活なんてもんはないね。
町のために働くのは、花に水をやるようなものなんだ。町が良くなれば、店も良くなるし、ひいては自分も良くなる。自分だけ良けりゃいいなんて考えじゃ、商売はやってけない。
俺は今、仕事に生かされてるって感じる。半分はそういう“気”で生きてるな。だから、まだ気を許しちゃダメだって、言い聞かせてるよ。だってまだ、やることはいっぱいあるからな。
毎日続けているもの「穴子すし」
◎すし乃池
東京都台東区谷中3-2-3
☎03-3821-3922
11:30~13:30LO 16:30~21:30LO
(日曜、祝日は11:30~19:30LO)
水曜休
東京メトロ千駄木駅より徒歩1分
http://www.sushi-noike.com/
※新型コロナウイルス感染拡大等により、営業時間・定休日が記載と異なる場合があります。事前に店舗に確認してください。
(雑誌『料理通信』2017年9月号掲載)
※年齢等は取材時・掲載時点のものです。
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