Transforming Society Through Gastronomy――
バスクは、なぜ料理人をサポートするのか?
~バスク・キュリナリー・ワールド・プライズ第3回受賞者発表の場で語られた理由~
2018.12.14
text by Hiroko Sasaki
「ガストロノミーを通して社会を良くするシェフ」を表彰する「バスク・キュリナリー・ワールド・プライズ(以下BCWP)」。スペイン・バスクの州政府と食の教育機関「バスク・キュリナリー・センター」が2016年に創設したシェフのためのアワードだ。なんと賞金が10万ユーロ(約1300万円)ということもあり、世界のレストラン関係者の間で大きな注目を集めている。
そもそもバスクはなぜ、このようなプロジェクトをはじめたのか?
今年の受賞者発表が行われたモデナで、その意義と目的を探った。
今年の受賞者発表のホストはマッシモ・ボットゥーラ
7月半ば、イタリア中部・モデナの旧市街。コレッジオ・サン・カルロ(サン・カルロ大学)の石造りの回廊に流れていたのは、外の熱気と喧騒とはまるで別世界の、ひんやりと静謐な空気だった。天井が高いバロック様式の空間には高窓から光がこぼれ、隣のカンファレンス会場から漏れるマイクの声が切れ切れに響いている。急ぎ受付を終え、入口の重い扉をゆっくり開けてみると、いかにもヨーロッパらしいクラシカルなホールは、世界中から集まったメディアでびっしり満席だ。
壇上の男性は、大きな身振りを交えながら聴衆に熱っぽく語りかけている。豊かなあごひげに黒縁メガネ、足元にはトレードマークのグレーのナイキスニーカー。地元モデナの英雄、「世界のベストレストラン50」で昨年に続き世界一の称号を得たレストラン、「オステリア・フランチェスカーナ」のマッシモ・ボットゥーラだ。
「皆さん、今日はいらしてくださってありがとうございます。まずは、バスク・キュリナリー・センターと見識ある(バスク州政府の)政治家の方々に深く感謝の意を示したいと思います。あなた方は、ガストロノミーが偉大な力を持っていること、そしてそれが社会に大きな影響を与えうる存在であることを理解し、サポートしてくださっているのです」
ボットゥーラの言う「サポート」とは、BCWPの取り組みを指している。この日ボットゥーラのホストのもと、本アワードの2018年度受賞者が発表されるのだ。
調理技術の高さや発想力を競うコンテストではない
“現代のシェフたちは、社会の中での自らの役割をどんどん広げ、キッチンの中にとどまらない活動を通して料理人という“職業”の定義を書き替え続けています。今やシェフたちは、その知識やリーダーシップ、起業家マインドや創造力などによって、社会を変えることができると知っているのです。
BCWPは、ガストロノミーが社会変革につながるパワフルな力を得たということに、光を当てるため創設されました。“
上は、BCWPの公式ウェブサイトのトップページに掲げられたメッセージだ。授賞対象は料理人で、選考・審査を行うのもジョアン・ロカをはじめガストン・アクリオ、アンドーニ・ルイス・アドゥリス、マッシモ・ボットゥーラ、そして成澤由浩などトップシェフ10人と、フードジャーナリストのルース・ライクルなどガストロノミー界の著名人……と、ここまではよくあるアワードと同じかもしれない。
しかし、BCWPは料理の才や皿の完成度を競うコンペティションではない。料理人のアイディアに点数をつけるコンテストとも違う。皿の上を飛び越え、キッチンをも飛び出し、様々な社会問題――環境、イノベーション、教育、慈善活動、文化の保存などの分野――に挑んで、「料理を通じて社会を変えたシェフ」に与えられる勲章なのだ。
「数ある社会問題の中から世界に向けて何を発信すべきか」が選考の基準
2018年度の選考がスタートしたのは5月。それまでにノミネートされた42カ国、140人のシェフのなかからファイナリスト10人に絞られ、さらに発表日の直前、審査員による最終選考を経て受賞者が決定した。絶滅が近いとされるアンデスの食用原生植物の種子を採集・保存し、調査研究のためのリサーチセンターを運営するペルーのヴィルヒリオ・マルティネスや、シリア難民キャンプで女性たちに調理を教えることで、雇用を創出するプロジェクトを創設したトルコのエブル・バイバラ・デミールなど、いずれも料理人でなければできない、そして社会的インパクトの大きな活動を行う10人のなかで、今回最終的に選ばれたのは、スコットランド人のジョック・ゾンフォリロだった。
ゾンフォリロは17年前に移住したオーストラリアで、現代社会からほとんど忘れ去られたアボリジニの食文化に魅了される。以来、シェフとしての仕事のかたわら何百というアボリジニの村落を訪れ、各地に残る多くの伝統的なレシピや10,000を超える食材の情報を書き留め、さらには財団を創設して、それら村落が貴重な食材の販売等によって自立した経済基盤を持てるよう道筋をつけてきた。
審査員長をつとめるロカは言う。
「ゾンフォリロは地球上でもっとも古い食文化のひとつと向き合い続け、歴史的文化遺産が持つポテンシャルを世界に知らしめました。そしてアボリジニの人々の未来のために、料理人としての食の知識をつくしてサポートしてきたのです。彼の行動は、ひとつでなく数多くの実を結んできた。それが最終的に彼を選んだ理由です」
さらに、3年前のアワード創設時から審査員をつとめる成澤が続ける。
「世界には、数えきれないほどの社会問題があります。私たちは毎回の審査でどの問題を取り上げ、世界に向けて何を発信すべきかということも話し合います。今回はジョックの活動を通して、社会から顧みられにくいために消えつつある、「先住民の食」という文化遺産の問題を取り上げようと考えた。アワードの発信力を使って問題提起を行い、私たち料理人が食を通して、地球に対しどんなアプローチができるのかを世界に向けて提示する。それが、私たち審査員チームに課せられた使命のひとつだと考えています」
料理人に大きな注目が集まることは、バスクにとって願ってもないこと
それにしても、バスク州がこのようなプロジェクトを立ち上げたのはなぜだろうか。一見したところ、このアワードがバスクに直接のメリットをもたらすようには思えない。首をかしげてそう尋ねると、バスク州の農業・水産・食糧政策担当副大臣、ビトール・オロスは笑いながら説明してくれた。
「これは、バスク州の戦略的食糧政策の一環なのです。バスクでは6年前、我々の重要な産業である『食』をトータルに守り、もっと強く大きく育てていくため、大きな政策の見直しを行いました。まずは農業、漁業といった食のスタート地点から流通、レストランまですべてのプレイヤーの価値を等しく位置づけて、重点的にサポートする政策を取り入れました。そして次に、バスクの強みである食、特にガストロノミーを通じて、世界との間により強いつながりを持つことを考えたのです。「努力」や「イノベーション」などに重きを置くこのBCWPの性格は、我々バスクの伝統にぴたりと寄り添うもの。シェフたちのアイディアや国を越えたネットワークなど、ガストロノミーが世界共通のプラットフォームとなっている今、このアワードの創設は私たちの目的に十分かなうものでした」
一方で、バスク・キュリナリー・センターのディレクター、ホセ・マリ・アイゼガは、何より料理人のポテンシャルに注目する。
「近年のガストロノミーブームはシェフたちにスポットライトを当て、彼らの社会的地位を押し上げましたが、その大きな理由は、料理人が世界のあらゆるところで、社会に大きなインパクトを与えるプロジェクトに関わるようになったことにありました。私たちはこのアワードを通じて、彼らが成したすばらしい成果を世界中に知らしめたい。料理人により大きな注目が集まることは、バスクにとって願ってもないことですから」
オロスやアイゼガの言葉は、先の成澤の話した内容とも符合する。世界を見渡して「今」何をすべきなのか、料理人に求められる行動、果たすべき役割を、料理人たち自身が深く考え始めているのだ。
世界中の料理人の危機感が生み出したアワード
BCWPは、まさに時代の声にこたえるかたちで生まれたアワードと言えるだろう。しかしそれはとりもなおさず、現代社会の危機感が生み出したものでもある。成澤は言う。
「レストランの人間が、おいしさや調理技術の向上だけを考えていればよかった幸せな時代は終わりました。食材ひとつとっても、今は集めるのに困ることが増えています。たとえば30年前とは違い、世界のどの国に行っても海の食材が少なくなり、質も低下しているのです。消えてしまった食材もあります。日本は市場の「集める能力」が発達しすぎて、東京にいると気づきにくいのですが、日本の各産地の惨状は世界とまったく変わりません。
地球環境はもう手遅れかもしれないところまで悪化していますし、飢餓などの社会問題も山積みです。世界中の料理人がそんな危機感から動き始めている。食に直接関わる人間だからこそ、責任を持って環境や社会の問題に取り組む必要がありますよね。BCWPの創設と、私たちのように協力する料理人の多さは、その焦りを体現しているのではないでしょうか」
◎ Basque Culinary World Prize
https://www.basqueculinaryworldprize.com/