テーマは「NO LIMITS」、限界を超えようとするシェフたち【料理界の最新動向2023】
2023.03.27
reported by Yuki Kobayashi / photograph by Claes Bech-Poulsen
「マドリード・フュージョン2023」レポート
1月23~25日、シェフたちによる料理学会「マドリード・フュージョン2023(以下MF)」が開催された。世界各地から著名シェフが集まったが、なかでも際立っていたのが“遠隔地”“へき地”から参加したシェフたち。今年のテーマ「No Limits」を象徴するかのように、地理的にも精神的にも限界を超えようとするチャレンジが注目された。入場者数2万人超、パンデミック前を凌駕する賑わいを見せ、とりわけ特徴的だったのは大学生や専門学校生の来場が700人を超えたこと。会場は若い熱気に包まれた。
目次
- ■コンゴ出身の若きシェフが、アフリカのガストロノミーをリードする
- ■フェロー諸島からグリーンランドへ。過酷な自然を味わうサステナビリティ・レストラン
- ■人間らしい暮らしを求めて。人里離れた土地で家庭と店を両立させるシェフ
- ■標高3680mにある「食の主権を守るためのスペース」とは
- ■成熟期を迎えた南米のシェフたち
- ■大学に食学科を開講。人材教育に力を入れるスペイン
コンゴ出身の若きシェフが、アフリカのガストロノミーをリードする
スペイン在住者にとってアフリカ大陸はすぐ隣とはいえ、その巨大さゆえに遠い土地と感じる。
1991年アフリカ中部、コンゴ共和国に生まれ、欧州で修業を積んだドゥベイル・マロンガシェフの発表は、これからのアフリカ大陸のガストロノミーの勢いを感じさせるものだった。
13歳でドイツに渡り、ドイツ国内の有名店「Schote」(一ツ星)、「Life」(三ツ星)、「Aqua」(三ツ星)などで修業の後、自らのルーツを再発見すべく、アフリカ全54カ国中48カ国を回ったという。拠り所を祖母の時代の料理に求めつつ、アフリカ全土に共通する要素を模索。2016年には、アフリカのシェフ、生産者、企業などを結び付けるプラットフォーム「Chefs in Africa」を立ち上げた。アフリカの若い料理人のキャリア開発を支援し、生産者とシェフをつなぎ、アフリカの食材を使ったイノベーションに関するマスタークラスを主導、18年にはメンバーが4000人を数えるまでに。アフリカの食材と料理の伝統を啓蒙すべく世界へ発信している。
ルワンダの首都キガリにレストランを構えていたが、コロナ以降、農園のある郊外へと店を移し、現在は自給自足に近いスタイルで料理に取り組む。
今回発表した3品の中では、ナスの料理に親近感が湧いた。アフリカナスと呼ばれる小ぶりなナスは日本の丸ナスのような品種。これを炭火で1時間ほど焼いて皮をむく。それとは別にナスをビール酵母で発酵させたソースを合わせる。焼いた皮はチップスに。アフリカ象牙海岸の地域の料理だという。海藻を添えて海のイメージを加えている。
フェロー諸島からグリーンランドへ。過酷な自然を味わうサステナビリティ・レストラン
北大西洋に浮かぶ小さな島出身のシェフ、ポール・アンドリアスの「KOKS(コックス)」も、時間とお金の余裕がなければ出向けないレストランだ。デンマークからフライトで2時間、人口5万人のフェロー諸島の首都、トースハウンにある。レストラン周辺の道は舗装されておらず、四躯での移動が必須。電力や水の安定供給に気を配らなければならない土地だが、欧州の様々な地域での修業を経て出身地に戻ったポールにはサステナビリティという強い信念がある。冬が長く、夏は短く、強風が常で、14℃を超えることがめったにない過酷な自然の中、レストランでは極寒の海産物、植物、海鳥や羊などを主体に17~20品から成るコースを提供する。
海鳥の料理が印象的だ。フェロー諸島で海鳥の狩猟が許されるのは年に1日のみ。この1日で地元民は400羽を捕まえるという。レストランでは20羽を使う。夜中に命綱を付けて崖を降りて狩猟する価値も料理で伝えたいとシェフは言う。
海鳥ゆえ近隣の魚介をよく食べて育ったその肉は、鴨のようなアンチョビーのような、表現の難しい味。これを熾火でレアに焼き上げ、根セロリなどをシンプルに添える一品を披露した。
新北欧料理の薫風を受け、自産の食材、保存食、発酵にも熱意を持つポール。島の仔羊を発酵させる一品や、伝統のクジラ漁にも敬意を払い、クジラの肉も臆することなくメニューに入れる。
KOKSはレストランの建て替えに伴い、昨夏からグリーンランドのIlimanaq(イリマナク)で営業している。北極圏200km以内というさらに過酷な環境、最も近い町Ilulissat(イルリサット)から船で1時間という場所だ。15棟ほどのバンガローを備え、最大30人の客に夕食と朝食を提供。8割が海外客ゆえ宿泊もKOKSを味わう醍醐味となる。
フェロー諸島出身のポールにとっては移転先での食材調達が新たな挑戦だが、約5万6千人のイリマナクの住民はみな狩猟や釣りをする習慣があるというのも、この地を選んだ理由のひとつ。持続可能性を掲げるシェフの哲学はこうした土地で強化されるに違いない。
はたして、こうしたへき地で採算がとれるのだろうか? レストラン従業員は約21名(正規雇用4名、契約雇用2~3名。プラス季節限定雇用)。客席数30席で、デギュスタシオンメニューは285ユーロ。
ポールに尋ねると、「それほど心配ではない」と自信を見せた。これまで彼が様々な場所で一緒に働いてきた仲間のほかに世界中の料理人、しかもかなりの経験者からの応募があるという。グリーンランドでの営業を軌道に乗せつつ、アジアでポップアップを開く夢にも期待を膨らませるという。
人間らしい暮らしを求めて。人里離れた土地で家庭と店を両立させるシェフ
デンマーク・コペンハーゲンから200kmの距離にあるレストラン「Knystaforsen(クニスタフォシェン)」。シェフのニコライ・トラムが首都から遠く離れた土地で営むのは、個人的な理由による。
15年前、それまでやっていた店を閉めた。家族との時間もなくハードに働くことに疑問を持った。妻と一緒に働けるよう別業界に足を踏み入れ、事務職についたこともある。しかし、自然の中で家族と暮らし、自宅の居間に客が来るというコンセプトに妥協点を見つけた。それが今の店というわけだ。
家庭も店も同時進行。家族あってこその生活、周囲環境との共存、そうした視点で料理と向き合う。
「(飲食店とは)客とシェフ、どちらのエゴを満たすための場所なのだろう?」
家族と過ごす生活を実現しながら、店ではわざわざ出向いてくれる客が主人公だということも忘れない。
料理は炭火や熾火を使用。文明の最初の一歩である火と調理人のピュアな関係が、彼を奮い立たせるという。
都会から来る客は、火の前と星空の下でリラックスすることを、彼は十分に知っている。
標高3680mにある「食の主権を守るためのスペース」とは
遠隔地のレストランの究極は、東京に「MAZ(マス)」を展開するシェフ、ヴィルヒリオ・マルティネスの「MIL(ミル)」だろう。
ペルー・クスコから車でMILまで35km。標高3680mという高さに慣れるため、水分補給と呼吸の仕方といったアドバイスを守ることもおいしい食事のための大事な準備。当地を訪れたスペイン人ガストロノミー評論家ホセ・カペルは「移動中、デオドラントスプレーの缶の蓋が気圧で吹っ飛んだ」と笑う。
「MILの料理は何にも似ていない」とカペル氏は言う。ヴィルヒリオの妻ピア・レオンもこのプロジェクトの主導者だが、彼女は「MILは食の主権を守るためのスペース」と説明した。首都リマでレストラン「CENTRAL」を成功させながら内省を繰り返し、共同体としてのレストランやスタッフの生き方を考えた末の挑戦だ。客席数25に対してスタッフは35人。近隣の村に家を借りて生活するので、高山の小さな地域社会への関わりはおのずと深くなる。
MILがあるモライは、インカ帝国の農業試験場だったと言われる遺跡の地。羊毛の織仕事の歴史を持つムジャカス・ミスミライ地域やカジャラッカイ地域の農民たちはMILにとって貴重な素材提供者だ。彼らもまたMILができて農作物を遠くまで運搬せずとも収入が得られることを感謝してやまないという。
併設される研究所「MIL LAB CUSCO」ではペルーの大自然から得られる様々な素材を研究している。エルブジのフェラン・アドリアが閉店後、「ブジペディア」を編纂して世界の素材を分類しようとしたのに似ているかもしれない。ムガリッツでの修業経験のあるヴィルヒリオは、料理と科学を超えて人類学まで網羅しようとしているかのようだ。今や食芸術は様々な学問を紐付けながら、人類の生き方を問う役割を担っていく。
成熟期を迎えた南米のシェフたち
今回の学会では、南米シェフの発表が目立った。以前は伝統料理を紹介することに腐心していた南米のシェフたちが成熟期を迎え、地域の素材に根ざしながら各々のスタイルをアピールする。彼らが作り出す料理は欧米のガストロノミーにも通じる美的センスを持つ。
エクアドル「Nuema(ヌエマ)」のアレハンドロ・チャモロは、国土を3つに分けて自国の特徴を説明する。豊かな海流に囲まれたガラパゴス諸島を含む太平洋側、アンデス山脈のある中央部、東にコロンビア、南東にペルーと国境を接し、未知の食材が眠るアマゾン地域。大きく3つに分けられる風景を、その気になれば1日で横断できることも興味深いが、世界中の生物、植物の10%がエクアドル内にあるという極端な多様性が伝統料理の魅力と説く。トウモロコシの発酵酒チチャをベースにオカ(大きなチョロギのような形の芋の一種)やマショス(芋の一種)でエスプーマを作り、ヴィヴィッドな色彩の根菜やハーブを盛り付けた一品は、土着素材を彼の色彩センスによって現代に引き寄せている。
メキシコ料理の認識を変えたいと唱えたのは、メキシコシティに「Comedor Jacinta(コメドール・ハシンタ)」を構えるエドガー・ヌニョス。現在メキシコ料理と謳われているものは実はフュージョンであると主張する。新大陸発見以降、西洋から様々な文化の種、生物の種がアメリカ大陸に入ってきた。スぺインの植民地だったフィリピンの文化、イギリス、オランダやポルトガルなどの文化、宗教も様々に流入した。そんな人種と文化のフュージョンが今のメキシコ料理と呼ばれているもののルーツだと説く。
大学に食学科を開講。人材教育に力を入れるスペイン
今回、会場が熱気に溢れた理由のひとつに、専門学校生や大学生の来場がある。
料理の現場からは、調理技術だけでなく経理や経営、マネージメントの知識のある人材を求める声も強い。マドリード州内には公立の調理学校6校のほかにル・コルドン・ブルーやMOM Culinary Instituteといった私立調理学校があり、それらの活動は活発化しているが、今年9月、コミージャ大学とメディアグループボセントとの共同による食学科Madrid Culinary Campusが開講する。
100年以上の歴史あるコミージャ大学は、法学部や経営学部から現場に強い学生を輩出してきた。新学科は50人限定の少数先鋭。ガストロノミー、ビジネス、農学にモチベーションが高くパッションのある学生を育てると意気込む。4年制の学科では調理以外に、レストラン経営やマネージメント、水産農産物についても履修、数カ国言語を習得させると、同大学のアントニオ・オブレゴン教授は語る。
観光立国スペインにおいて、ホテル・レストラン・ケータリング業界の占める経済的役割は重要だ。他国同様、少子化、慢性的な人材不足という問題を抱えるが、この20年、国興しの一貫としてガストロノミーを育ててきた実績を踏まえ、教育機関から変革を起こし、後続世代の育成を図る。
MFで健康と医療が話題になったのは数年前。今年は教育もディスカッションの題材に挙がった。人間社会が続く限り、食のテーマは尽きるところがない。
◎DIEUVEIL MALONGA
http://www.dieuveilmalonga.com/index.html
◎KOKS
https://koks.fo/
◎Knystaforsen
https://knystaforsen.se/
◎Nuema
https://nuema.ec/
◎Comedor Jacinta
http://comedorjacinta.com/
◎MOM culinary Institute
https://www.momculinary.com/
◎Madrid Culinary Campus
https://www.maccmadrid.com/