ガストロノミーはどこへ向かう?
「マドリード・フュージョン2022」レポート
2022.05.26
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reported by Yuki Kobayashi
コロナ禍、世界的インフレ、戦争・・・地球規模の問題が次々と押し寄せる中で、世界のトップシェフたちは何を考え、どこへ向かおうとしているのだろう? 今年で20周年を迎えるマドリード・フュージョンが3月28~30日、“Beyond Ingredients(素材を超えて)”をテーマに開催された。食のプロフェッショナルが集い、最新の料理トレンドを紹介してきたマドリード・フュージョンだが、近年では、食料問題や環境問題を論じる場としてのポジションも築きつつある。昨年は多くのシェフがコロナ禍での内省や業界の状況を語ったのに対して、今年の発表は苛酷な状況下での生き残りをかけた新たな挑戦とマニフェストの連続となった。会場が沸いた発表を中心にダイジェストでお届けしよう。
目次
- ■二ツ星レストランの電子レンジ調理
- ■スペイン人の鮨職人が体現する“鮨の心”
- ■会場の度肝を抜いた「ホリスティック・キュイジーヌ」
- ■受け取る側から与える側へ
- ■イノベーションこそがレストランの使命にして利益
二ツ星レストランの電子レンジ調理
昨年から対面での開催に戻っていたが、今年はさらに通常へと戻った。PCR検査もワクチン接種証明もいらない。検温もなく、登録証の提示だけで入場できる。壇上に上がるシェフたちの言葉にも「コロナ」「パンデミック」が使われる回数は昨年より激減したように思う。
目まぐるしい社会変化にも関わらず淡々と研究を続けているのは、バルセロナの二ツ星レストラン「ディスフルタール」の3名のシェフ、「エル・ブジ」出身のオリオール・カストロ、エドゥアルド・シャトルク、マテウ・カサーニャスだ。“映え”や話題性を意識するシェフも多い中、彼らの発表は常に技術中心。料理人からの信頼が厚い。
今年は「電子レンジ料理」を発表した。彼らがレシピに電子レンジを使用し始めたのは16年前、エル・ブジの厨房時代にさかのぼる。素材の風味を損なわずに軽く仕上げる方法を模索する中での発見だった。今年、改めて2カ月かけて電子レンジ調理を研究。素早い加熱、水分の急激な蒸発により素材の固形部分には凝縮された風味が残り、超軽量になるのが面白く、今シーズンはスナック類をすべて電子レンジで調理して提供しているという。
デモにはどこにでもある家庭用電子レンジが使われた。型に入れたチーズをレンジで加熱したスナックや、もち米粉をトランペット茸のエキスで練って葉型に詰めてレンジ調理したスナック、また、水で練ったもち米粉を松の芽に塗って電子レンジにかけることで天ぷら以上のサクサク感を生み出す。調理時間は50秒〜数分程度、素材の水分量と調理時間の見極めが大事で、油分が気になる場合は食品乾燥機に入れると軽さが増すという。
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ごく普通の電子レンジを壇上に用意してデモンストレーション。膨大な試作を重ねるトライアンドエラーが、彼らの揺るぎない基礎と評価を作り上げている。
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左から。葛粉、タピオカ粉、カレー粉、砂糖を水で練ってレンジ調理したスナック/ゴルゴンゾーラチーズのスナック/イディアサバルチーズのエスプーマ/パルミジャーノチーズのスナックにモデナ酢とパルミジャーノクリーム/箱型にレンジ調理したパルミジャーノスナックにジェノベーゼソース。葛粉やタピオカ粉を使った生地はレンジにかけると空洞状に膨らむ。
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もち米粉をトランペット茸のエキスで練って葉型に詰めてレンジ調理。フリーズドライのセップ茸とバターのソースを挟んでいる。
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松の新芽にもち米粉の生地を塗ってレンジで加熱。天ぷらよりも軽いテクスチャ−に仕上がる。調味は塩味のみ。
スペイン人の鮨職人が体現する“鮨の心”
「ディスフルタール」とは真逆の方向で技術を磨く「職人」も登場した。リオハで“Edomae Sushi(江戸前鮨)”を謳う「KIRO SUSHI帰路」のフェリックス・ヒメネスだ。「The life of a shokunin through edomae sushi(江戸前鮨を通じた職人の人生)」というタイトルで、日本での修業時代からの彼の哲学を紹介した。
江戸時代には魚は生食されていなかったとの知識から、彼の店ではブドウやブナなどの薪火で魚を炙ってから握る。米は周辺の森で集める薪を使って釜炊き。炊き上がりのタイミングを音で見極め、酢飯には年代物の赤酢を使う。煮切りの代わりはオリーブオイルだ。鮨を食べる行為を通して禅のマインドを感じ取ってもらいたいと考えている。右前の白衣に身を包み、毎日研ぐという刺身包丁を優雅に使いこなし、米粒の量を刺身の大きさに合わせるというフェリックスは「20年鮨を学んでいるが、まだまだ学ぶことが山ほどある」と、謙虚な姿勢を見せた。
いまやSUSHIは世界中に広まったが、多くは形とスタイルのコピーであり、鮨職人の仕事の真髄が伝播しているわけではない。フェリックスが大切にするのは、鮨が形成されてきた歴史的な背景や職人の精神性であり、いわば“鮨の心”。今後、どのような展開を見せていくのか、興味深い。
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発表中のフェリックス。ちなみに「KIRO SUSHI帰路」の店内はカウンター席のみ。日本酒は、「真澄」や「獺祭」といった人気銘柄のほかに、「手取川 純米大吟醸 古酒 梅舞花」などスペインでは珍しいものも揃える。
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握りにはマグロ、カツオ、サバ、ボラ、ヨーロッパヘダイ、スズキ、ヒメジなどを使う。ヘダイにはE.V.オリーブ油、スズキには醤油と唐辛子のオイル、アジにはリオハ特産の唐辛子オイルを、それぞれ炙った後に塗る。
会場の度肝を抜いた「ホリスティック・キュイジーヌ」
異彩を放っていたのがコペンハーゲンにある「アルケミスト」のラスムス・ムンク。「アルケミスト」は社会問題を提起しながら食を提供する体験型レストランだ。ガストロノミーを通じて世界を変えるべく「ホリスティック・キュイジーヌ」を提唱する彼は、食へのアプローチを様々な角度から行う。いにしえの錬金術師(アルケミスト)が哲学、自然科学、宗教、芸術を融合して新しい世界秩序を目指したのを手本に、舞台芸術や科学、テクノロジーやデザインをガストロノミーに融合させる。彼のコンセプトマップは、科学、芸術、ガストロノミーを大枠とし、そこから、食のサプライチェーン、人間の五感、テクノロジー、社会問題にまでつながっていく。
ホワイトアスパラガスとタラの眼などを用いた青い目玉の料理は、ジョージ・オーウェルの『1984年』がインスピレーションだ。SNS拡散やデータの複製、個人情報の扱いなどの意味を青い目玉に持たせている。海洋プラスチック問題は、食用のプラスチックで表現した。すべての料理に社会問題が投影され、食べ手は環境や人類の未来を考えずにいられない。ちなみにレストランの空間は、宇宙を感じさせる円蓋に覆われ、マルチメディアスタジオを併設し、3Dデザイナーやオーディオビジュアル専門家までも含むスタッフが演出するという。独特なオーラを放ち、挑発的なコンセプトアートとの境界にある世界観の発表に、聴講者たちは度肝を抜かれていた。
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1991年生まれのラスムス。モーターや機械工の道に進むつもりだったが、親友に誘われて大学から調理を専攻、料理界へ。
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「ホリスティック・キュイジーヌ」の提唱にあたり、コンセプトマップの他にマニフェスト文書も用意し、複雑な概念も完全に言語化している。
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目玉の料理「1984」のデモンストレーションを行なうラスムス。
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キャビアを瞳孔に見立て、タラの眼やマテ貝から抽出したゼラチン質で覆う。キャビアの下にはアスパラガスのクレマ、ピスタチオとハマチのタルタルが隠れている。映画「ロード オブ ザ リング」の目玉の特殊効果を担当したデザイン会社「10 tons」が関わった。
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海の魚の体内からプラスチックが発見されているとの報告書からインスピレーションを得て、“食べられるプラスチック”を使って表現した一品。
受け取る側から与える側へ
新型コロナウイルスの感染拡大が始まって2年。不思議なことに、この2年ほどマドリードでは高級店のオープンが相次いだ。
コロナ禍が節目を迎えようとしたところで、今度は戦争である。EU諸国にとって、ウクライナ侵攻はあまりにも近い距離で起こっている非常事態だ。支援に関わる団体や一般市民も多い。コロナ禍から続く光熱費の高騰に加えて、侵略が始まってからは食糧の供給減と高騰が追い打ちをかける。生鮮食品が安いと言われるスペインですら、日常的な食材の価格が10%、20%と週毎に上がっていく恐怖。スペインにおけるインフレ率は7.5%。飲食店も原価割れを防ぐのが精一杯で、昼の定食は市内では12~14ユーロが普通になった。
社会不安が高まるなかで、ファインダイニングは必要なのか? 誰を相手に、どこにフォーカスを当てればよいのか?
その答えを、バレンシアのレストラン「リカルド・カマレナ」のリカルドと、「ノマ」のレネ・ゼネピの発表に垣間見た。
昨年、週4日営業に踏み切ったリカルドの発表は、あたかも心理カウンセラーに語るかのようだった。彼の店は営業自粛が解かれると地元客で一杯になったが、それでも調理スタッフがコロナにかかるなどして、ある日突然スタッフが数人出勤できなくなる、でも契約農家の野菜は成長を待ってくれず買い取らなくてはならないなど、想定外が日常だったという。
営業と利益、顧客の満足と自分のやりたい料理の間でせめぎ合いを続けたシェフは、「受け取る側から与える側になる」ことで心の折り合いがついたと語る。
ミシュラン二ツ星まで階段を登ってきたが、満足には際限がなく、次は三ツ星という野心があった。が、リカルドはそれまでの成功モデルを描き替える。世界中から最高の食材を集めて完璧を追求するのではなく、人の役に立つことにフォーカスを当てよう。幸せにすべきは、地元の顧客、仕入先、スタッフ、家族。最も近い人々からまず大事にする。メニューは自己表現ではなく、その時の状況から決める。よりサステナブルで、地域にインパクトを与える店を目指す。
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昨年に続き、真摯な告白をするリカルド・カマレナは、飲食界の精神的なリーダーになりつつある。
イノベーションこそがレストランの使命にして利益
「ノマ」のレネ・レゼピと「ムガリッツ」のアンドーニ・ルイス・アドゥリスの対談も数々の示唆に満ちていた。
「オート・キュイジーヌ(高級料理)は現代が必要としないスタイルだと言われても仕方がない。世界には、オート・キュイジーヌのメニューを考案するよりももっと大事な考えるべきことがある」とレネは言う。
オート・キュイジーヌを否定しているわけではない。何のためのオート・キュイジーヌなのか、その目的と“オート(フランス語:haute=高級な)”である必然性を問題にしていると言えばいいだろうか。
レネにとって、オートである必然性とはイノベーションにほかならない。「イノベーションこそが、レストランを経営する最大の利益。毎年新しい食材を発見するわけではない世界で、すでにある素材を新たな視点で捉えることも重要」とはまさにノマが実践してきたことだ。求道者のように、発酵、乾燥、燻製、浸漬といった技法を探求し続けてきたノマの取り組みは「保存道」と呼びたくなるほど。膨大な保存技術のデータが蓄積された今、個々のカテゴリーをさらに深く研究していくタイミングを迎えているという。オート・キュイジーヌという社会的にも経済的にも高い地位がこれら革新的な研究を成立させていることは間違いない。
「レストランのイノベーションとは、地球までもひっくるめて考えるべきもの。その過程を料理に映し出す」
「どうやってチームを運営するか、雇用環境を整えるか、給料体系をどうするか、どこから原材料を調達し、どのように運搬するか? その判断は社会を良くするのか? それらに対する最適解を求めて洞察し探求することが“前衛”である」とレネ。「かつてはオーナーやシェフがすべてを決定し、取り仕切った。いまや分業して適材適所の人材雇用を行ない、専門家に任せることも成功の秘訣だ」とも語る。
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レネ・レゼピのマドリード・フュージョン登場は久しぶり。料理デモがなくとも、会場は満杯になった。
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その他の発表から、バレンシア「キケ・ダ・コスタ」のデザート。母親の宝石箱がモデル。ジャスミンと白檀のソルベの上にイチゴや食用花、透かし彫りの砂糖細工、スミレの砂糖漬、柚子のマシュマロなど。
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「WAGYUMAFIA(ワギュウマフィア)」の浜口寿人シェフは流暢な英語で発表。ワギュウサンドをデモンストレーションで作り、試食を促すと無数の手があがった。
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講演会場外の見本市も活気を取り戻していた。
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おいしそうなデモは瞬く間にSNSで共有される。
食べるという消費行為によって成立するガストロノミーは、厳しい経済の中で、生産と消費、調理と芸術、沈思と前進のバランスを保ちながら、社会の道標になろうとしている。その姿勢は後続の世代につながっていくと信じたい。
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