未来のレストランへ 18
源流を遡り、バーテンダーの活動領域を広げる
東京・新宿「ベンフィディック」鹿山博康さん
2021.11.25
text by Kei Sasaki / photographs by Ayumi Okubo
連載:未来のレストランへ
時短要請に続く酒類提供停止要請で、飲食店の中でも苦境を強いられたバー業界。しかし、「Farm to glass(農場からグラスへ)」をコンセプトに「農家バーテンダー」を自称する鹿山博康さんのSNSを見ていると、バーテンダーの技術は店の中だけで生かされるものではないことに気付きます。この1年半、水を得た魚のようにバーテンダーの生き方を拡張する鹿山さんの、苦境を飛躍につなげる時間の使い方に迫ります。
目次
今しかできないことをやろう
世界のバーホッパーが注目するランキング「The World’s 50 Best Bars 2020」で40位、「Asia’s 50 Best Bars 2021」では9位。雑居ビルの9階、わずか14席のバー「ベンフィディック」は、世界中から集まるゲストで文字通り“溢れ返って”いた。当然、海外からの渡航・入国に制限がかかった2020年春、客足がピタリと止まる。
「外国人が来られなくなったら、ベンフィディックは潰れるんじゃない? そんな声も聞こえてきました」
が、あまりの混雑ぶりに足が遠のいていた開業時、いや独立前からのゲストが戻ってきてくれたという。「久しぶりのお客様を迎えて、ゆっくり話をしながらサービスができる。バーテンダーとして、うれしかったですね」と、しみじみ話す。
2020年4月から2021年9月までの約1年半、鹿山さんは、営業時間の短縮や酒類提供の禁止など、国と東京都からの要請にすべて応じてきた。第1回目の緊急事態宣言が出された4月、5月は完全休業。以降も時短要請に従い、酒類の提供停止を求められたら潔く店を閉めた。
制約がある中で営業しようともがくより、今しかできないことをやろう。先が見えないコロナ禍で、即断した鹿山さんの答えだ。やりたいことは山ほどある。ありすぎてエバーノートに書き出しているくらいある。週6日間、毎晩満席の営業を続ける中では、なかば無理やり時間を捻出して取り組んできたことも、今なら腰を据えてがっつりできる。悲愴感はゼロだった。
畑と向き合い、素材の加工法を試すトライアル期間
まず着手したのは、ハーブやスパイスをはじめ、様々な植物を育てている埼玉県ときがわ町の実家の畑、通称「鹿山ファーム」の大改修だった。
「週6日間の営業の合間では、作業時間に限界があって、夏は雑草が伸び放題、秋はツル科の植物が育てている木に好き放題に絡まってきて、もうジャングル状態。共存共栄農法と勝手に命名していたんですが(笑)」
不要な雑草を抜き取り、荒れていた耕作放棄地を開墾。拡張した農地には、新たなジュニパーベリー(セイヨウネズ)の苗木を植えた。生育期に合わせてきちんと手入れをすることで、ぐんぐんと育ち、きれいな花を咲かせ、実りもより豊かに。基本、農作業は一人で行ってきたが、店の休業中はスタッフも動員した。
「1シーズンを通じて畑にじっくり向き合い、植物って、手をかけるとちゃんと応えてくれるんだな、と実感しました。手入れをした農地は雑草の植生まですっかり変わった。数年前からワイン用ぶどうを植えているんですが、この1年で劇的に成長し、収量も増えました」
なんと鹿山さん、まさかのワイン醸造か、と思うがさにあらず。未熟果の酸味をカクテルの味づくりに使うというから恐れ入る。
店の営業ができないことで余剰が出てしまったフレッシュハーブ類は、自家製ハーブ氷に。「植物の命は一瞬でも、氷にしてしまえば、その美しさを永遠に閉じ込められますから」と、鹿山さん。ハーブ氷は、ガラス彫刻のような美しさで、溶けゆくのと同時に、閉じ込められたハーブの香りが再び解き放たれる。いわく「アロマのブースト」。
植物のバラエティもさることながら、素材の加工法の多彩さこそが、鹿山カクテルの真骨頂。開業以来、実験、実用化の繰り返しで技法を進化させてきたが、このトライアルにも、かつてないほど時間を割くことができたのがこの1年半。手数は格段に増えた。
やりたいと思った時にすぐ動ける環境、選択肢をもっておく
移動が制限されたコロナ禍で、バルカン半島南部・マケドニアへの旅も慣行した。職域枠でワクチン接種を早々に済ませ、諸手続きも万全に成田空港へ向かったのは2021年9月12日のことだ。マケドニアは、ジンの原料となるジュニパーベリーの原産地。自生する様子に加え、収穫方法を見てみたいと、以前から収穫期にあたる秋の渡航を狙っていたのだ。
「YouTubeなどで検索すると、こん棒で叩いて落とすやり方が出てくるのですが、現地では養蜂用の手袋を使ってゴリゴリ収穫している。その手があったか、と」
マケドニアのバーテンダー協会の会長の案内で、ブルガリア国境付近の自生地を訪れ、彼のバーではマケドニア産のニガヨモギやアブサンにも対面。ジュニパーベリーを原料とする精油会社の社長にも連絡を取り、精油工程も視察するなど、成果は盛りだくさん。田舎町の家庭でバルカン半島発祥の蒸溜酒・ラキアの(産業革命前から続くであろう)自家蒸溜も見ることができた。
鹿山さんがジュニパーベリーを栽培し始めたのは、約8年前。国産クラフトジンがブームになり始めたのが2016年(京都蒸溜所「季の美」のリリース)とすると、それより2年早い。
「元々は、ジンを造りたいと育て始めましたが、国産クラフトジン市場はすでに飽和していて、機は今ではないと考えています。でも、ネズの木は育ちやすいし、とにかく植えて、増やしている。もう100株をゆうに超えています。国産のジュニパーベリーは希少で、争奪戦状態。フレッシュかドライかに優劣はないけれど、香りの鮮烈さに限ればフレッシュが勝る。摘みたての新鮮なものを、好きなだけ使える環境を整えておいて損はないだろうと」
自分で「石橋を叩かず渡るタイプ」という通り、思いついたら考えたり調べたりするより先に体が動くタイプ。ネズの木もぶどうの木もとりあえず植えてみる。失敗したり、わからないことが出てきたら、そのときに初めて調べて対処する。
「効率がいいのか悪いのかわかりませんし、自分でもどこを目指しているのかわからなくなりますが、何かやりたいと思ったときに、すぐ動ける環境、そして納得がいくものをつくるのに十分な選択肢を持っていたいんです」
一つの目的のために、必要なことを揃えるのではなく、やりたいことを片っ端からやってみる。それが結果的に、カクテルの味を深めることにつながり、店の評価を高めて様々なチャンスを呼びこみ、思いもよらない形でも実を結ぶ。開業以前からの鹿山さん流の仕事術は、生き方そのものでもある。
源流を遡り、ロマンを描く。
農業と並び、鹿山さんのクリエイションの軸になっているのが、酒の起源を探り、製法を紐解くこと。アブサンをはじめ様々なスピリッツやリキュールの原産国を旅し、文献を紐解き、古酒に触れる。自家用酒の蒸溜を試みた経験もある。あらゆる洋酒の成り立ちや原型、歴史などについて学び続けてきた鹿山さんいわく「産業革命以前からある酒は、やろうと思えば個人で造れちゃう」とのこと。
「酒は古代から造られてきたもので、原型は意外とシンプルなので。ただ革命以降は、製造が機械化されているので簡単にDIYで、とはいかない。造ってみてわかることは少なくない。なんでも初めての時はだいたいめっちゃまずくって、まずお酒の生産者ってすごいな、と改めて思うんです。造りがわかればゲストへの説明にも厚みが出るし、味の組み立てにも役立つんですよね」
そんな鹿山さんが、一気に現代の、それも最前線の酒づくりにワープしたのも休業期間中だ。茨城県つくば市にある国立森林総合研究所の協力を得て、東京・蔵前の蒸溜所「エシカル・スピリッツ」とタッグを組み、世界初の「木のお酒」を開発。商品化を目標に、調整を進めている。
「森林総合研究所が開発した湿式ミリング処理という技術で、木を水と一緒に微粉砕してクリーム状にすることで、酵母が木材を分解発酵できるようになる。テクノロジーもまた、素晴らしい」
鹿山さんいわく、木材の種類によって異なる味や香りがあるのだという。桜はイチゴのようなベリー系、クロモジは柑橘的なニュアンス、ミズナラはウイスキー。
「穀物原料のウイスキーのニューポット(蒸溜したてのスピリッツ)は無色透明で、樽で熟成させることであの琥珀色や樽の香りが生まれるのですが、ミズナラ材原料の酒は、蒸溜したてでウイスキーの香りがある。それをさらに樽で熟成させれば、フレンチでいうところの“ダブルコンソメ”に。蒸溜したての時点ですでに“木の樹齢”という時(とき)のロマンを備えている。『ご注文のミズナラ酒ですが、100年モノと200年モノ、どちらになさいます?』なんて話をお客様とできたらと考えると、もうワクワクですね」
果実、穀物と古代から親しまれてきた酒の原料に、木が加わる。新たな酒の誕生は、酒類業界にとって歴史的だが、それだけではない。建材用に伐採した木の、端材の活用法は、長く日本の林業の課題だったという。伐採した木のうち、材木として活用されるのは、木の中でも硬い中心部分だけなのだが、端材部分は樹齢が若く、香気はより強い。
「木の活用法の選択肢が増えることで、林業の問題に解決の糸口が見つかれば。量でいえば抜本的な問題解決にはならないのですが、酒は身近な嗜好品であり、かつ体に入れるものだから、背景である森林に興味を抱く人を増やすことはできるはずです」
世の中にはその業界の中で「優れた」と評されるプロは数多くいる。が、「優れているうえに、その職業の枠組み、あり方さえも変えてしまう」存在はごく稀にしかいない。バーテンダーというカテゴリーでいえば、鹿山さんは確実に後者にあたる。発想も行動も平時から規格外だが、コロナ禍の乗り越え方も清々しいほど規格外。誰も真似ができないようなことを次々と手掛けながら、SNSなどのアウトプットはシリアスになり過ぎず、ユルく軽く。営業時のカウンタートークと同じだ。世の鬱屈とした空気なんてなんのその、見る人を「楽しい」に巻き込んでいくポジティブなパワーがある。
コロナ禍はないに越したことはなかったが、1年半の期間で「ベンフィディック」とバーテンダー・鹿山さんは、確実にスケールアップした。鹿山さんが蒔いた種は、数年後、きっと新たな実を結ぶ。その果実は、バーや酒類業界、バーテンダーを目指す後進とも共有されるものになるはずだ。
◎ベンフィディック
東京都新宿区西新宿1-13-7 大和家ビル9F
☎03-6258-0309
18:00~翌0:30LO
日曜、祝日休
各線新宿駅より徒歩5分
鹿山さんのFacebook
鹿山さんのnote