人口110人の村でオリーブオイル生産を復活させた女性の話
Vol.73 ピエモンテ州モンフェッラート地方
2024.06.27
text by Paolo Massobrio / translation by Motoko Iwasaki
世の中には海人や山人がいて、その人の住む自然環境は遅かれ早かれその人の顔に刻み込まれていくものだ。僕は丘の人だ。大海原を渡る大冒険より、断崖絶壁をよじ登るより、旨いものを口にしている方が好きだ。一般的に丘陵地帯は住むのに適し、土地を耕すとなると多少困難でも、低すぎず高すぎない位置から世の中を容易に俯瞰でき、他と距離的にあまり隔たりを感じることがない。丘は僕の生き方そのもの、そして僕にとっての丘と言ったら、それはモンフェッラート(Monferrato)のことなのだ。
モンフェッラートの丘の稜線が描く波は時に優しく、時に険しく、果てしなく続く清閑な緑の海。ランゲやトスカーナと違ってブドウ畑オンリーではく、様々な農作物が栽培され、雑木林も多く存在し、オリーブ畑だって戻ってきている。
「戻ってきている」と書いたのは、1900年代初頭までは、オリーブ栽培はこの地方一体で重要な地位にあったが、その後、気候が極端に厳しくなって栽培に適さず、作付けがどんどん減り消滅してしまった。地名にはオリーブに因んだものが多く、その一つ、オリーヴォラ(Olivola)は、カザーレ・モンフェッラート市(Casale Monferrato)とアレッサンドリア市のちょうど中間に位置する。標高280メートルの丘にあり、凝灰石のブロックで造られた家々が立ち並ぶ、人口110人の小さいが魅力的な村だ。オリーブ栽培の名残りは地名にとどまらず、村の紋章にもオリーブの枝が描かれている。
個人の挑戦が、かつての産地を名産地に蘇らせる
モンフェッラートでオリーブオイルが生産されていたことは、30年ぐらい前まで人々に忘れ去られていた。ところが今日、モンフェッラート地方で栽培されるオリーブの品種は様々。オイルの香り、アロマ、味わいも用いる品種によって様々だが、上品さが共通している。北イタリアで栽培されるオリーブは、気象条件などから受けるストレスでポリフェノールが増えるため、健康面でも優れることは知られるところだ。
規格や認証等の整備はこれからだが、過去30年間でモンフェッラート産オリーブオイルは蘇り、食通や料理人の間でもファンが増え続けている。
他の人と何か違うことをやってみたかったへそ曲がり、趣味と実益を兼ねて始めた人など、この地域のオリーブ栽培のパイオニアたちが、各自の創造力と個性を発揮して取り組んだからに他ならない。
というわけで、僕はモンフェッラート産オリーブオイルの女王と目されるアニータ・カザメント(Anita Casamento)をオリーヴォラ村に訪ねた。彼女は、夫のミケーレ・アクウィリーノ(Michele Aquilino)と一緒に、村の中心部からさほど遠くない場所にあるオリーブに囲まれた小さなヴィラに住んでいる。庭に面したガラス張りの部屋で二人は僕を待っていてくれたが、その知的で趣味の良い家の設えを見れば、彼女もその夫も、農夫というより文化人であることは一目瞭然だった。
実際、ミケーレはミラノでコンベンション企画会社の社長として50年以上活躍してきたし、アニータは、イタリア保健省から認定された医療・健康関連文化普及教育を専門に行う「アルスエドゥカンディ(ArsEducandi)」の会長を務め、これも本社はミラノにある。
では、どうしてモンフェッラートなんかに?それになぜ、オリーブオイルだったんだ?
「私たちは若い頃からこの辺りによく来ていたんですよ。ちょうど1968年頃にね」アニータが言った。
「この辺りの農家をセカンドハウスにしていた友人たちがいて、そこに時々遊びに来ていたんです。当時、ここはまったくの農村で、交通も不便だったから観光には不向きだったけど、自由な雰囲気があったの。当時の私たちはそういうものが必要だったんです。
でも、ぱっと閃きに至ったのは89年、まだ幼かった子供たちを連れて一人で丘の上の大きな家にバカンスに来た時でした。明け方、外に出て周囲を見渡すと、そこが別世界に思えて。それでミケーレに家を買うべき時が来たんじゃないかと進言したんです。
最初のオリーブの木を植えたのは1992年で、娘のヴァレンティ―ナ(Valentina)へのプレゼントのつもりでした。それがとてもよく育ったの。だったらまた植えてみようかということになり、家の上の土地に次々に50本を植えたのが始まりです」
アニータとミケーレは80歳に近いが仲が良く、気も若く、とてもそんな歳には見えない。ミラノには、田舎が気に入ってワイン醸造アドバイザーを雇い、ワイン造りに投資する者はよくいるが、彼らの場合は違う。
アニータの手は、オリーブ栽培に自ら携わる農民の手だ。大きな期待、それとは裏腹に一切の保証がないオリーブ栽培という挑戦を始めて30年になる。オリーブの木の一本一本について、品種やその成分値の特徴、畑の日照度、さらに精油作業やオリーブオイルの保存方法、栄養成分まで、オリーブのことになったら何時間でも話し続けていられる。それらの知識は本で得たものを、土にまみれて実践することで血肉にしたものだ。
そんなアニータの傍らで、ミケーレはじっと黙ったまま笑みを浮かべている。現在、彼らのオリーブ園には12品種1500本のオリーブの木が植えられ、豊作の年なら約10トンのオリーブの実が収穫できる。
アニータは、ピエモンテ・エキストラバージン・オリーブオイル保護組合を設立し、副会長を務める。またピエモンテ産E.V.オリーブオイル協会の設立会員であり、オリーブオイルソムリエでもある。2023年にはオリーヴォラの村は、「イタリア・オリーブオイルの町(le Città dell’Olio d’Italia)」認定の栄誉を得た。それもこの優しくて頑固な女性と、そんな彼女のことが大好きでオリーブへの思いも同じくする夫の功績によるものだ。
「この土地を愛していれば、それを守ろうという気になるのは当然で、2020年にはサステナブル認証(S.Q.N.P.I:イタリア全国統合生産品質システム)を取得し、2022年にはオーガニック認証も得ることができました。自然に優しい農法で栽培するお陰で、オリーブ園のあちこちで草木が花を咲かせ、それらは昆虫たち、特にミツバチに有益で、土地を自然の力を借りて豊かにすることができたわけです」
口に含めば、ランドスケープが浮かぶオリーブオイル
「植樹した時は、味でも栄養分の豊かさからも他にはない唯一のエキストラバージン・オリーブオイルを作ろうという考えから一本一本の品種を吟味しました。そうして9品種のブレンドから生み出したブレンドオイルは、香りも味わいも何倍もの膨らみを持ち、どんな食材にもよく合うオイルで、私たちは『ルニコ(l’Unico:唯一)』と名付けました。使用品種は、レッチーノ、レッチョ・デル・コルノ、ヴァロレア、ピチョリン、タッジャスカ、モライヨーロ、ビアンケーラ、グリニャン、そしてほんの少しコラティーナを加えています」
全粒粉入りのパンにこのオイルを浸して口に含むと、それはまさしく僕たちの住むこの地域のマップのようで、ほとんど感動的とさえ言えた。丘陵地帯の緑を思わせる青さ、モンフェッラートの麦が刈り取られた畑を全速力で駆ける野ウサギのような野性味、苦味もあって、口に含んですぐには逞しく、次第に人なつっこく、礼儀正しくなるところはモンフェッラートの農民のようだ。
「そのうちに、この土地に適した品種でピュアオイルも2種類作ることにしたんです。その一つはフリウリ地方で栽培されているビアンケーラ。ポリフェノールやビタミンを豊かに含み、辛味と深い苦味があって、オリーブオイルの専門家から高い評価を得ています。もう一つはグリニャン。ガルダ湖のヴェローナ側でよく栽培されている品種ですが、これもポリフェノールとビタミンを多く含む点は同じで、味はすこし柔らかめです」
その後、自宅の周囲にあるオリーブ園を、思い出話や栽培の変遷なんかを語りながら1時間ぐらいかけて案内してくれた。自然の美しさに包まれた1時間。春の風がオリーブの銀色に光る葉を、健康でごつごつしたオリーブの木々を揺らし、この地のオリーブ生産復活という奇跡は確かに起こったということ。それはこの二人の何気ない思い付きから、30年に渡る熱い思いと献身的努力が起こしたものだということを物語るかのようだった。
丘の頂上の畑にたどり着くと、オリーブの木の下に真っ赤なケシの花が咲き乱れ、まるでレッドカーペットのように僕たちを丁重に迎え入れてくれた。僕の愛しいモンフェッラートのワイン「グリニョリーノ」の町、ヴィニャーレが対岸の丘に見える。この記事の締め切りがなかったらなぁ、もう少しここに残るんだけどなぁ、ケシの花畑に寝っ転んで、空を見上げていたかったなぁ・・・。
◎Azienda Agricola OLIVIERA
Via Abba, 15 Olivola
15030 ( AL) Italia
Tel +39 335 808 6656
www.oliomonferrato.it
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
https://www.ilgolosario.it/it
『イル・ゴロザリオ』とは?
イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)
私たちの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べよう」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
そして、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、2016年にそれぞれのWEBメディアで記事交換をスタートしました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。
『イル・ゴロザリオ』で公開されている『料理通信』記事はコチラ
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