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PEOPLE / クリエイター・インタビュー

成島出(なるしま・いずる) 映画監督

2017.03.02

text by Takeaki Kikuchi
Photograph by Hiroaki Ishii
『料理通信』2014年11月号掲載

『孤高のメス』『八日目の蟬』など息詰まる作品のイメージが強い成島出監督の最新作は、カフェに集まる人々と女店主の心温まる交流を描く『ふしぎな岬の物語』。
女優の吉永小百合さんとの共同企画である。
「『一緒に仕事を』と互いに言い続けて、ようやく形になった」
この優しく温かい物語を映画にして観客に届けたいという思いが一致しての実現だった。

誠実につくる。

2011年に撮った『八日目の蟬』で、日本アカデミー賞10部門を独占。最新作『ふしぎな岬の物語』(主演・吉永小百合)は、モントリオール世界映画祭で審査員特別賞グランプリとエキュメニカル審査員賞を受賞した。

成島出さんは、今の日本映画界で最も勢いのある監督と言えるだろう。手がけた作品は、次々とヒットしていく。「どこかで、自分が映画に生かされてきたという想いがあって。希望や勇気をずいぶんもらった。映画があったからこそ、ここまで生きてこれたと思うんですよね。映画は僕にとって宝物 なんです。だから、誠実に撮らないといけない。大事な宝物を傷つけるようなことをしてはいけない。その想いで仕事をしていることが、次につながっていくのかな。僕は無宗教ですが、映画の神様だけは、いると信じています。神様は、僕のやることを必ず見ている。手を抜いたら罰が当たりますよ、きっと」

手間をかける、足で稼ぐ

成島さんが映画に目覚めたのは、意外と遅い。高校時代までほとんど観たことがなかった。受験に失敗して東京で予備校生活を送った時に魅了され、連日の名画座通い。大学入学後は映研に入り、「学校にはほとんど行かなかったですね。自主映画を撮るか、バイトするか」という生活を送った。
ぴあフィルムフェスティバルで入選したのを機に数年間、長谷川和彦監督の下で書生のように過ごしながらシナリオ作りを手伝った。「現場で働き出したのは、すごく遅い。27歳の時ですかね、初めてカチンコを叩いた(助監督をやった)のは」と苦笑する。
遅咲きだけに、撮影する喜びはひとしおなのだろう。大事な宝物だから、手間隙をかけて丁寧に製作する。『ふしぎな岬の物語』には、岬に建つカフェの前で吉永さんが佇むシーンがある。季節は晩秋。海風を受けて、群生したススキが揺れている。美しい情景だ。
「あのススキは、美術部のスタッフ-僕らは"ススキ隊"と言ってましたけど-が、植えたんです。『もうちょっと左!』とか言いながらね。撮影は2月で、天然のススキもあるにはあったんですが、茶けた感じの色だし、穂先が千切れていて良くない。ですから、ドライフラワーのようにして売っているものを買ってきて。けっこう高かったですよ(笑)」
予算について言えば、日本映画はハリウッド大作のように潤沢に金を使える状況にはない。
しかし、決して弱音を吐かない。「お客さんは、洋画と同じ1800円を払ってくれるんです。できる範囲で、一番いいものを作らないと。金がないなら、たとえば足で稼がないといけない。ロケ地の選択だって、候補地を何度も回ってしっかりと選ぶ。これは、食べ物屋さんの大将とまったく同じですよね」

感謝の気持ちで撮る

成島さんはインタビュー中、しばしば飲食店の人々に重ね合わせて自身を語る。というのも映画監督を夢見ていた学生時代と書生時代、夜は飲食店でのバイトに明け暮れていたからだ。和食、洋食、居酒屋、焼き鳥屋・・・・・・。バーテンダーをやった時期もあるという。「誠実に仕事をする大将の店は、お客さんが通い続けます。お店の人たちから、仕事の姿勢を教わりました」
すし職人に強く憧れたこともあったそうだ。成島さんの職人気質は、撮影現場での手法や雰囲気にも反映されている。南房総市でのロケの様子を取材した時のことだ。他の監督の撮影現場との違いに驚かされた。
最近の映画のほとんどは、フィルムを使わずデジタルで撮る。それも数台のカメラを同時に回し、あとで編集することが多い。現場にはモニターが持ち込まれ、1シーンごとに皆でモニターを見て確認し合うのが普通だ。
ところが『ふしぎな岬の物語』では、現場にはフィルムのカメラが1台あるだけ。モニターもなく、監督はカメラの横に立ち、役者の生の演技を見ることに集中していた。「デジタルよりフィルムの方が、画質が断然いいですよ。味があるというか、コクがあるというか。モニター? あえて出さないんです。あると、みんなモニターに集まっちゃう。ない方が、集中力が高まるから。古いと言えば古いやり方ですけど、料理の世界でも、江戸時代から伝わる作り方を変えずに作っておいしいというものがありますよね。それと同じことです」
というコメントを聞くと、スタッフに睨みを効かせる怖くて古風な監督ではないかと思ってしまう。だが、実際は正反対だ。「監督というのは、誰でもできる一番簡単な仕事なんです。僕は、演技はできませんし、カメラや照明、音響といった技術もない。役者とスタッフあっての監督です。いつも、感謝の気持ちで撮っています」

成島出(なるしま・いずる)
1961年山梨県生まれ。学生時代から自主映画を撮り続け、『みどり女』でぴあフィルムフェスティバル入選。審査員だった長谷川和彦監督のもとで書生のような生活を送りつつ、シナリオの勉強を始める。27歳から助監督をしたが、師事した監督の手法が染みつくのを避けるために、各監督のもとで1作品しか働かなかった。94年から脚本家として活躍した後、04年に初監督作品『油断大敵』で藤本賞新人賞とヨコハマ映画祭新人監督賞を受賞。以後『、フライ,ダディ,フライ(』05)『、ミッドナイトイーグル(』07)、『孤高のメス』(10)、『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(11 )などのヒット作を手がける『。八日目の蟬(』11)は、日本アカデミー賞の10部門で賞を独占。

 

本記事は、「EATING WITH CREATIVITY」をキャッチフレーズとする雑誌『料理通信』において、各界の第一線で活躍するクリエイターを取材した連載「クリエイター・インタビュー」からご紹介しています。テーマは「トップクリエイションには共通するものがある」。

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