探し続けるということ~「株式会社ラシーヌ」合田泰子さん
藤丸智史さん連載「食の人々が教えてくれたこと」第11回
2017.01.16
連載:藤丸智史さん連載
話のすべてが躍動感に溢れ、心を激しく揺さぶった。
今でもはっきりと覚えている。2003年の初夏、私が尼崎の小さなトラットリアで働いていた時のことである。
忙しかったランチのピークタイムを終え、ふと窓の外に目をやると、ちょうど店の前でタクシーが停車した。お客さんかな?と思って眺めていると、降りてきたのは、大きなつばが付いた帽子を被った貴婦人を絵に描いたような女性だった。まさかうちのお店のお客さんじゃないよな?と思っていると、そのまま店内に。
「合田と申します」
もちろん、名前は存じ上げていた。著名なワインバイヤーとして、「ナジャ」の米沢伸介さんや現「le 14」の茂野眞さんから、何度も何度も聞いてきた名前だ。でも、当時の私は、そんな第一線の方にどう対応したらいいのかわからず、まともに挨拶もできないまま、とりあえずカウンターにご案内して、食事を始めていただいたのだった。
最初にお出ししたグラスワインは「ジェラール・シュレール」のスタンダードのキュベ。たまたま開いていたグラスワインだが、満面の笑みで「最も好きな造り手の一人です」と。そこからエンジン全開で3時間半、ヴァンナチュールのこと、ワインのコンディションのこと、今、フランスで起こっている流れなど、バイヤーとして飛び回っているからこそ知り得たフレッシュな情報や知識をたっぷり聞かせていただいた。
当時は、「ビオワイン」とか「自然派ワイン」という言葉すら、まだ認知されていない時代であり、合田さんの話のすべてがタイムリーで躍動感に溢れ、私の心を激しく揺さぶった。今、ワイン業界が変わろうとしている。今までの何とかブームなどとは違う新しいジャンルのワインがどんどん産まれていて、時代の転換期が来ていることが私にも想像できた。
現地に行かねば!と強く決意した瞬間だった。
忙しかったランチのピークタイムを終え、ふと窓の外に目をやると、ちょうど店の前でタクシーが停車した。お客さんかな?と思って眺めていると、降りてきたのは、大きなつばが付いた帽子を被った貴婦人を絵に描いたような女性だった。まさかうちのお店のお客さんじゃないよな?と思っていると、そのまま店内に。
「合田と申します」
もちろん、名前は存じ上げていた。著名なワインバイヤーとして、「ナジャ」の米沢伸介さんや現「le 14」の茂野眞さんから、何度も何度も聞いてきた名前だ。でも、当時の私は、そんな第一線の方にどう対応したらいいのかわからず、まともに挨拶もできないまま、とりあえずカウンターにご案内して、食事を始めていただいたのだった。
最初にお出ししたグラスワインは「ジェラール・シュレール」のスタンダードのキュベ。たまたま開いていたグラスワインだが、満面の笑みで「最も好きな造り手の一人です」と。そこからエンジン全開で3時間半、ヴァンナチュールのこと、ワインのコンディションのこと、今、フランスで起こっている流れなど、バイヤーとして飛び回っているからこそ知り得たフレッシュな情報や知識をたっぷり聞かせていただいた。
当時は、「ビオワイン」とか「自然派ワイン」という言葉すら、まだ認知されていない時代であり、合田さんの話のすべてがタイムリーで躍動感に溢れ、私の心を激しく揺さぶった。今、ワイン業界が変わろうとしている。今までの何とかブームなどとは違う新しいジャンルのワインがどんどん産まれていて、時代の転換期が来ていることが私にも想像できた。
現地に行かねば!と強く決意した瞬間だった。
小さく名もなく優れた生産者を発掘するために。
最後に合田さんから質問があった。
「藤丸さんが一番好きなワインは何ですか?」
実はワイン関係者にとって、この質問が一番辛い。星の数ほど存在するワイン、一番なんて、なかなか決められない。でも、これほどの方があえて聞いているのだ。自分の心に素直に従い、「ヴォドピーヴェッツのヴィトフスカが一番好きです」と答えた。
「藤丸さん、今の感覚を大事にして、そのまま進んでください」
その3カ月後、私はフランスにいた。そして、ヨーロッパを皮切りにオセアニアを回り、時に日本と行ったり来たりしながら、2年ほどワイン産地を回り、帰国後のワインショップとしての独立に繋がっていく。
思えば、合田さんのあの言葉に背中を押されたのだった。
合田さんの仕事は、こうやって若いサービスマンを勇気づけることだけではない。今ではヨーロッパ、南米も含めて世界10か国を超えるワインを日本に輸入しているインポーターのバイヤーである。それも、ただ買い付けるだけでなく、名もない小さな生産者を発掘することがメインの仕事なのだ。
彼らの畑の雰囲気を自ら感じ、ワイナリーでの仕事を精査し、ワインメーカーの考えを咀嚼しながら、ワインをテイスティングする。そして、自分たちのフィロソフィーに合うかどうかを判断する。その基準の厳しさは、業界の誰もが知っていることだろう。
機会あって、初めての生産者を訪問するのに同行させていただいた。
国はジョージア(旧名グルジア)、訪問場所は比較的大きな町から片道3時間の山間の集落。道中は全く舗装されていない山道で、あまりに道の状態が悪く、車は時速30キロまでしか出せず、凹凸の激しい道をひたすら揺られて走り続けた。最近TVで秘境や奥地に住む日本人を訪問する番組をよく見かけるが、まさしくあんな感じである。
「藤丸さんが一番好きなワインは何ですか?」
実はワイン関係者にとって、この質問が一番辛い。星の数ほど存在するワイン、一番なんて、なかなか決められない。でも、これほどの方があえて聞いているのだ。自分の心に素直に従い、「ヴォドピーヴェッツのヴィトフスカが一番好きです」と答えた。
「藤丸さん、今の感覚を大事にして、そのまま進んでください」
その3カ月後、私はフランスにいた。そして、ヨーロッパを皮切りにオセアニアを回り、時に日本と行ったり来たりしながら、2年ほどワイン産地を回り、帰国後のワインショップとしての独立に繋がっていく。
思えば、合田さんのあの言葉に背中を押されたのだった。
合田さんの仕事は、こうやって若いサービスマンを勇気づけることだけではない。今ではヨーロッパ、南米も含めて世界10か国を超えるワインを日本に輸入しているインポーターのバイヤーである。それも、ただ買い付けるだけでなく、名もない小さな生産者を発掘することがメインの仕事なのだ。
彼らの畑の雰囲気を自ら感じ、ワイナリーでの仕事を精査し、ワインメーカーの考えを咀嚼しながら、ワインをテイスティングする。そして、自分たちのフィロソフィーに合うかどうかを判断する。その基準の厳しさは、業界の誰もが知っていることだろう。
機会あって、初めての生産者を訪問するのに同行させていただいた。
国はジョージア(旧名グルジア)、訪問場所は比較的大きな町から片道3時間の山間の集落。道中は全く舗装されていない山道で、あまりに道の状態が悪く、車は時速30キロまでしか出せず、凹凸の激しい道をひたすら揺られて走り続けた。最近TVで秘境や奥地に住む日本人を訪問する番組をよく見かけるが、まさしくあんな感じである。
そして、畑や醸造所を見て試飲。しかし、取引には至らず、また3時間かけて町まで戻る。空振りだ。さぞや内心悔しい想いをしているのかと思いきや、合田さんの表情は至って普通だった。そう、こんなことぐらいは慣れているのだ。
発掘されていない有望な生産者と出会うことは決して簡単なことではなく、宝探しのように困難を極める作業であることを知った。
そんな仕事を彼女はもう30年近く続けている。
発掘されていない有望な生産者と出会うことは決して簡単なことではなく、宝探しのように困難を極める作業であることを知った。
そんな仕事を彼女はもう30年近く続けている。
無尽蔵のエネルギー源は何なのか?
とあるライバル会社の方が、合田さんに関して、こんなコメントをしていたのが印象的だった。「私たちが数人で手分けしてやっている仕事を、彼女は一人でやってしまう。あのエネルギーはどこから湧いてくるのか?」と。
通常、ある程度の規模になれば、生産者を発掘する仕事と国内でワインを広める仕事は別々の人間がやるのがセオリーである。が、合田さんは、自分で生産者を開拓し、自分で輸入し、自分で理解者を求めて日本中を走り回る。彼女を知っている誰もがそのバイタリティに驚き、自ら啓蒙していく姿に敬意を払う。
その無尽蔵のエネルギー源は何なのか?
みんなが知りたいところだと思うが、実は私は気付いてしまったかもしれない。
先述の空振りだった生産者を訪問した翌日のことだった。首都トビリシのなじみのワインバーでゆっくりしていると、偶然、トルコの生産者がワインバーに営業にやってきた。「あなた達も飲むかい?」と声を掛けてもらい、一緒にテイスティング。
すると、それはそれはすばらしいワインだった。
そうなるともう、合田さんの視界から私は完全に消え、生産者とワインしか見えなくなる。先ほどまでのやや疲れた表情から一転、まるで異性に一目惚れした若者のようにエネルギッシュに情熱的に質問攻めが始まった。そして、あっという間に来月に訪問するアポまで取り、私たちの席に戻ってきたのだけれど、もう興奮冷めやらずといった感じで、私にその生産者のことを話し続けた。
実は、この時、相槌を打ってはいたが、あまり聞こえていなかった。私には合田さんのエネルギーの源泉が垣間見えたことの方がうれしかったからだ。
彼女は「ワイン」と「人」と出会うことを生きるエネルギーにしているのだ。そして、それがひとたび合田さんの琴線に触れたなら、大きなエネルギーとなって、彼女を突き動かす強い原動力となる。
私たちは、合田さんを媒介として、世界の景色を眺め、その風土を味わうことができる。みなさんが手にしているワインは偶然ここにあるわけではない。今、この文章を書きながら、繋ぎ手として襟を正すばかりである。
通常、ある程度の規模になれば、生産者を発掘する仕事と国内でワインを広める仕事は別々の人間がやるのがセオリーである。が、合田さんは、自分で生産者を開拓し、自分で輸入し、自分で理解者を求めて日本中を走り回る。彼女を知っている誰もがそのバイタリティに驚き、自ら啓蒙していく姿に敬意を払う。
その無尽蔵のエネルギー源は何なのか?
みんなが知りたいところだと思うが、実は私は気付いてしまったかもしれない。
先述の空振りだった生産者を訪問した翌日のことだった。首都トビリシのなじみのワインバーでゆっくりしていると、偶然、トルコの生産者がワインバーに営業にやってきた。「あなた達も飲むかい?」と声を掛けてもらい、一緒にテイスティング。
すると、それはそれはすばらしいワインだった。
そうなるともう、合田さんの視界から私は完全に消え、生産者とワインしか見えなくなる。先ほどまでのやや疲れた表情から一転、まるで異性に一目惚れした若者のようにエネルギッシュに情熱的に質問攻めが始まった。そして、あっという間に来月に訪問するアポまで取り、私たちの席に戻ってきたのだけれど、もう興奮冷めやらずといった感じで、私にその生産者のことを話し続けた。
実は、この時、相槌を打ってはいたが、あまり聞こえていなかった。私には合田さんのエネルギーの源泉が垣間見えたことの方がうれしかったからだ。
彼女は「ワイン」と「人」と出会うことを生きるエネルギーにしているのだ。そして、それがひとたび合田さんの琴線に触れたなら、大きなエネルギーとなって、彼女を突き動かす強い原動力となる。
私たちは、合田さんを媒介として、世界の景色を眺め、その風土を味わうことができる。みなさんが手にしているワインは偶然ここにあるわけではない。今、この文章を書きながら、繋ぎ手として襟を正すばかりである。
ゲルヴェリ
文中に出てくる合田さんが一目惚れしたトルコの生産者。政治的にも経済的にも苦しい状況のトルコ。様々な困難の中で産まれたアンフォラで仕込まれたワイン。もし、手にする機会があれば、ワインのコンディションに最大限の注意を払って、落ち着いた環境で飲んでほしいと思います。アンフォラで仕込まれたワインは、その容器を出た瞬間からストレスを感じ、元の状態とは変わってしまいます。ゆったりとした、リラックスした環境で、聞き耳を立てるかのように、グラスから湧き出るエネルギーを感じてみてください。いつものワインとは違う「何か」を発見できるかもしれません。
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