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PEOPLE / 寄稿者連載

茎と根と葉っぱ・・・の前にマスタードの話。

長尾智子さん連載「今日の台所」第1回

2022.09.29

連載:長尾智子さん連載「今日の台所」

野菜を眺めて思うこと

例えば離れた農園から作物を送ってもらうことがあるとき、忙しさのピーク時であってもまずは箱を開ける。忙しいと言っても、レシピ原稿の〆切日だったり、片づけを始めたら収まりがつかなくなりそうだったりという、まだなんとか猶予のある日常的な内容なので、一旦手を止め、箱を開けて何がやってきたか、台所の作業台の上に並べて眺める。

何をやっていても、野菜の様子を見る優先順位は高くて、そればかりは仕方がない最重要事項。いわゆる自然と近くはないところで暮らしているからか、日に日に大きくなる野菜を見ているわけではないから、畑にいない身としては、せめて届いたばかりの野菜には、間髪入れずに挨拶し、ご機嫌伺いせねばならない、というような気分だ。

料理(食べもの)の仕事は様々あって、自分はどうかと考えると、とても曖昧で中途半端な立ち位置だと思う。好きないくつかの仕事を並行していくのが合っていると思い込んできたけれど、職人と関わると、長年をかけてたった一つのものを作り続けて全てを知るのだと気づいて、一つのことだけに打ち込めない欲張りの中途半端を痛感する。

どんな景色を見て、どんな世界を知りたいのだったっけ?と思い返すと、結局は素材を手にしたら、それを極力触らずに食べられるような方法を考えていられればいい。提案する料理を家庭で作れるようにするのが仕事の基本だが、うまくレシピに落とし込めなかったり、細かいところまで表現し切れないもどかしさはあっても、野菜一つにも狭いようで広くて鮮やかで、という生き物としての魅力を感じるから、自然と大小がついて、太かったり細かったりの茎と根と葉っぱに美しさを感じながら日々過ごしているのです。


買って当たり前のものを作る面白さ

7年前に『料理通信』の自家製の特集で紹介したマスタードが、このサイトのRECIPEに再録されてるのを見ると、変わっていないところ、変わったところ、色々ある。変わっていないところは、結局、決定版のレシピではないことか。こうしてもいい、ああしてもいい、と、全てはあなた次第みたいなことになっている。もちろんレシピは決定版にしたいが、作る人の台所を知らない。材料を書き連ねたところで、道具も揃えた素材も多少は違うだろうと思う。お酢の種類、塩の種類、きりがないので、こうしてもいいですよと気を遣うつもりで書いていると、なんでも好きにやってと言っているみたい。本音を言うと、柱になる部分だけ共有すれば、好きにやっていいと思っているし、自分の気に入る味が作れたら何とハッピーなことよ。というところが自分ながら相変わらずである。

マスタードについてはその後の反響が大きく、たくさんの感想をいただいた。自分で作れると思わなかったという人も多く、中には粒々が残ってあまり気色がよろしくないがどうすればいいかという質問なども(もうふやけているなら好きなだけ潰していいんですと答えた)。心なしか、以前よりも自家製マスタードが売られている気がするし、あ、作れるんだと思った人は意外に多かったのかもしれない。マスタードは愛すべき調味料だと思う。単純な料理に奥行きが加わる。甘くも辛くもなる。何より料理としても味が決まる。

photograph by Masahiro Goda


7年経った今は、どう作っているかといえば、道具ありきもつまらないとも思い(もちろん、道具は大好きだ)、マスタードシードに熱いビネガー(とスパイスなど調味料、火にかけると煮詰まるので水も足して)を注いで蒸らしふやかすやり方を試すと、数日置いてマスタードがすり鉢でも潰しやすい状態になる。となると、すり鉢というアナログな道具が俄然力を発揮する。注意点は一つ、それはマスタードに欠かせないターメリックが色移りしやすいことで、マスタード用には使い込んだすり鉢が望ましい。手で作るってこういうことだったのね、と本来のやり方を思い出すような道具だ。マスタードシードが十分に水分を吸ったら、ハンディブレンダー、小さめのフードプロセッサーも使いやすい。

などと偉そうに言うが、一旦ふやけたマスタードシードは、スパイスやお酢の風味を吸い込み、熟成する時間をかければ、ほぼ確実にマスタードという調味料になることは確か。蓋をし、あとは時間が仕上げるところまでの道筋はたくさんあって、やり方は、実はそれぞれでいい。1カ月もすれば、スパイスならではのとろみがついて、時間が作り出す不思議を感じるだろう。あとは存分に楽しむのみ。

一度作ってみて、これはいいと思った人には、マスタードシード500gくらいで仕込むことをお勧めしたい。一応の目安は書いたものの、とにかく日持ちする。経験上、大量に作っても黴(かび)たマスタードを見たことがない。酢に塩、スパイスと強力な素材が腐敗を避けるとも言えるけれど、もちろん、1本のスプーンを毎度使い回すというような暴挙にでなければ、の前提でのこと。

自家製はいいなと思い、マスタードからマヨネーズ、スイートチリソースやトマトケチャップなど、買って当たり前のものを自家製することの面白さを知ったならば、食べ物を見る目が変わること間違いない。最大のメリットは、その美味しさを知ったら後戻りはできません。ということだ。少なくとも、適当に買うことはなくなる。

ふと気になることがあれば、ちょっと寄り道してマスタードを熱いビネガーに浸けてみたりする毎日。そこで拾った意外に素敵だったというようなものを、またお話できればと思います。茎と根と葉っぱについてはまた次の機会に。


長尾智子
料理家、フードコーディネーター。単行本の出版や雑誌の連載などの執筆、商品開発、メニュー提案などと並行してオリジナルの器〜SOUPsを主宰。また、2019年に友人と東京・神宮前に「Bar Werk」をオープン。料理とお酒について様々に実験中。
http://www.vegemania.com/ 

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