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PEOPLE / 寄稿者連載

モカに惹かれて

蕪木祐介さん連載「嗜好品の役割」第10回

Feb 14, 2022

昔アラブの偉いお坊さんが、
恋を忘れたあわれな男に、
しびれるような香りいっぱいの、
琥珀色した飲みもの教えてあげました
・・・
それは素敵な飲み物、コーヒー モカ・マタリ
みんな陽気に飲んで踊ろう、愛のコーヒールンバ

西田佐和子、井上陽水が歌っていた「コーヒー・ルンバ」。そこに登場する哀れな男のように、私もモカ珈琲の虜となっている。モカ珈琲とは、エチオピアそしてイエメンで収穫された珈琲のことを言う。その昔、それらの国で収穫された珈琲は、イエメンの港、「モカ」に集められ、そこから輸出されていたことから、それらがモカ珈琲と呼ばれるようになった。

ちなみにモカといえばチョコレートを入れたアレンジドリンクを想像する方も多いと思う。それは全く異なる意味で、チョコレートを意味する「モカ」であるが、あながち関係がないわけではないようだ。曖昧ではあるが、イエメンのモカ珈琲が、チョコレートのような香りを持っていたことから、チョコレートを使った珈琲のことをカフェモカと呼ぶようになったとか。


「面白い」「新しい」ではない魅力

私のモカとの出会いはいつだったろうか。高校を卒業し、喫茶店、珈琲店に入り浸るようになり、その頃からモカを無意識に飲んでいただろう。しかし、思い起こせば、自分がその虜となったのは20代のはじめに福岡「珈琲美美」さんで飲んだモカ珈琲がきっかけだ。その時口にした「サンイルガチェフェ」。その深煎りのモカの滋味深い味わいに感銘を受けたのを覚えている。

その頃は「スペシャルティコーヒー」という言葉が浸透し始めた頃。当時は私も例に漏れず、それを学び、香りの特徴の強い浅煎りから中深煎りばかり飲むようになっていた。少し脱線をするが、スペシャルティコーヒーとはなんぞやという説明もしておくと、大雑把にいえば、トレーサビリティが明確で、際立った風味特性がある珈琲のことを指す。大量生産大量消費で低価格競争が生まれ、生産者が消耗する珈琲産業から、生産者も丁寧に品質の良いものを作ればちゃんと適正な価格で販売できるような、持続的に発展できる売買の仕組みを作って行きましょう、という流れから生まれたものだ。

それまでは豆の格付けは、いかに欠点が少ないか、どれだけネガティブが少ないかを基準にしてきたところを、それに加え、風味がどれだけ素晴らしいかといったポジティブ評価がされるようになり、ある一定以上の評価が得られたものをスペシャルティコーヒーと呼ぶようになっている。ワインに例えるとわかりやすい。複雑味を持ち、さらに様々な香りの個性を持つ高く評価された上等なワインは価値に応じて高価で取引されるが、同じように、丁寧に栽培し、クリーンで綺麗な酸味、そして複雑な香りを持つ上等な珈琲生豆を作れば、生産者はそれを高く販売することができ、それを最終的に飲む消費者もおいしい喜びが得られるような、「珈琲」の立場の向上を業界全体として目指して育ててきた言葉である。

話を戻すと当時はそんなスペシャルティコーヒーの面白さの虜になっていたわけだが、珈琲美美で飲んだモカの深煎りには、それまでの浅煎り、中煎りの珈琲には感じ得られなかった円みのある深い味わいがあった。焙煎とは珈琲の生豆から香りを引きだす作業。焙煎を焼き進めれば進めるほど、酸味は穏やかに、苦味が強くなる。と同時に、香りの特徴も穏やかに収束していく。なので、風味特性の強いスペシャルティコーヒーの台頭とともに、せっかくの香りの個性が弱まってしまう深煎りではなく、一番香りの個性を味わえる浅煎り中煎りが注目され、そのロースターも一気に増えていた。
そんな中出会ったその深煎りは絶妙で、深く煎ってあるのに豆の特徴も強く、エキゾチックで華やか、複雑な味わい。「面白い」とか「新しい」とか、そういった驚きの体験ではなく、滋味深く、体に染み入ってくる感覚。長く余韻が続き、店を出る時にすっと背筋が伸びていた。私がモカに魅了された原点だろう。2017年にご主人の森光宗男さんが亡くなられた後も、奥さんの充子さんが美味な珈琲を焙煎し、ネルドリップで抽出している。


森光マスターからいただいたモカの苗は何度も枯れそうになりながらも、店の入り口で少しずつ育ち、我々を見守ってくれている。

民衆的珈琲

珈琲の名産地であるエチオピア。ただし、そこに広がる景色は、丁寧に苗木や品種や土壌の管理をする珈琲農園などとは程遠い。そもそも、農園というものがエチオピアにはほとんど存在しないのだ。エチオピアは珈琲の原産国であり、珈琲の木はあらゆる所に自生している。エチオピアの人々はその珈琲の木々を古くから利用してきた。珈琲の原生林からコーヒー豆を収穫したり、森に手を加えながら採ったり、もしくは家の前で他の作物と一緒にラフな栽培をしている。それでもちゃんとおいしい珈琲が取れるのは、豊かな土壌や気候風土の影響だと、エチオピアの珈琲輸出会社の社長はいう。

そんな珈琲の故郷エチオピアの大きな特徴は、人々が皆、珈琲を飲むということだろう。それは当たり前のように聞こえるが、案外珍しい。多くの珈琲栽培は欧州の植民地化から始まり、自国を潤すために、植民地で珈琲を作らせていたのが起源である。それに対してエチオピアは欧州で珈琲が飲まれる以前から珈琲を飲用する文化があり、かつアフリカ唯一の植民地支配されなかった独立国。人々の暮らしと珈琲の近い関係が切れることがなかった。

エチオピアには茶道ならぬ、コーヒーセレモニーという文化がある。古くから伝わる珈琲を嗜む習わしで、格式高いわけではなく、毎日のように各家庭で行われている。まずは、収穫した珈琲豆をフライパンのような珈琲煎り皿でかき混ぜながら炭火で焙煎する。家庭にミルなどはなく、ざくりざくりと木臼でついて珈琲を細かく砕き、それを陶器のポットで煮出して、上澄みをお猪口のような小さなカップに注ぎわけて何煎か楽しむのがエチオピア流。客人が来た時もこの珈琲でもてなしてくれるが、コテコテに深く焦げたような豆でも、ラフな抽出でも、ちゃんとおいしいことに驚く。そのおもてなしからは、難しい顔をして粉の粒度分布がどうとか、抽出時間がどうとか、淹れ方の細かい調整云々、おいしさの探求を続ける私たちに、シンプルで、とても大切なことを、改めて教えてくれる。

そんな文化が古くから受け継がれてきたエチオピア。適当な珈琲栽培と言いながらも、自分たちがおいしく楽しむために、小さな工夫が脈々と積み重なってきていることだろう。そういう意味で、私はモカ珈琲に「民藝」と近い価値を感じている。消費国のグルメ欲求は強く、高尚な嗜好を意識して、世界の珈琲生産現場でも新しい技術や品種管理が行われ、特別なおいしさを作り出そうと模索している。土壌や品種・栽培管理から精選の最新技術を管理して生まれた中米の有名農園の珈琲からは驚くべき香りや個性を感じるが、原種の力強い素質、豊かな土壌と気候風土、そして名もなき農民がつくる、生活に根ざしてうまれる珈琲が持つおいしさこそ、モカ珈琲の魅力だ。

エチオピアのコーヒーセレモニー


「モカは酸っぱいから苦手なのです」、なんてことをお客様から伺うことは少なくない。確かに昔からモカは酸味を残した焙煎が多いが、実際は苦味の強弱は焙煎によるところが大きく、酸っぱいモカもあれば、苦いモカもある。さらにモカと言っても、エチオピア国内で気候風土が大きく異なり、収穫される場所や、生豆を作る工程の違いで一括りにはできない多様な香味がある。「蕪木」で販売しているストレートの豆は全てエチオピア産のモカ。東京にはたくさん店があるから、私が全てをまかなう必要はないだろうと、本当に紹介したいものだけを焙煎しようと思い、今はこの偏ったラインナップだ。

フローラル、フルーティな芳香がモカ珈琲の代名詞だろう。特にイルガチェフェという土地で作られる珈琲はジャスミンのような華やかな香りが強く、世界中で人気の銘柄となっている。軽めに淹れて紅茶のようにスルスルと口に入る上品な味わいを楽しみたい。当店では2種のイルガチェフェを3段階で焙煎しており、一番浅く煎ったものはストレートで、少し焙煎を進めて、酸味を丸めたものを中深煎りの珈琲のアクセントに、深煎りにしたものは深煎りのブレンドのベースとなっている。

酸っぱいモカと対照的に用意しているのがエチオピア東の地域で収穫される「モカ・ハラール」。深煎りにして酸味はとても穏やかで、芳醇で柔らかい甘味を感じていただきたい珈琲だ。豊かな酸と甘み、そしてフルーティな香りがしっかりした「モカ・ベンサ」は南部のシダモという地域で作られた珈琲。中深煎りに仕上げ、あっさり淹れても濃く淹れてもおいしさが広がり、汎用性の高い豆。豊かな苦味と酸味が共存すると、洋菓子とも合わせやすくなると思っており、そういう意味ではベンサはケーキのお供にも最適だ。

エチオピアには人の手の入っていない珈琲の原生林が今尚存在しているが、そんな野生の珈琲の森から収穫しているのが「モカ・シェカ」。独特のエキゾチックな芳香が癖になり、やや深煎りにして当店では用意している。気候風土×生豆加工方法×焙煎(×みなさんの抽出方法)で、多様な風味の奥行きがあるモカ珈琲。酸味が嫌いな人でも、是非新たなモカのおいしさを感じていただきたい。

イルガチェフェの精選風景。朝のひんやりする時間から未熟な果実を取り除く作業を繰り返す。

ベンサの精選風景。乾燥しながらも欠点豆を取り除く。豆のポテンシャルに加え、労働者の丁寧な作業により、モカ珈琲の香りの質が高められている。

旅の記録

新型コロナウイルス感染症の蔓延により、旅からだいぶ遠ざかってしまっている。生産国の空気、生産現場の香りを感じなくなって久しい。5年ほど前からエチオピアの旅を重ねているが、その初訪問時の記録を同行した仲間とともに『珈琲の旅 Ethiopia』という自家本にまとめ、先日出版した。専門家ではない「珈琲好き」としての彼らのフィルターを通した言葉、プロのカメラマンから切り取られた景色からは、リアルなエチオピア、そしてモカ珈琲の作られる現場を垣間見ることができるだろう。エチオピアは今頃収穫全盛期だろうか。内紛の物騒な話も多く耳にする。現地の皆は大丈夫か心配だ。私ができることはモカの話を伝えることと、モカの珈琲のおいしさを提案すること。ここでは伝えられないその魅力はぜひ冊子を手にとって感じていただきたい。皆さんにモカに対する愛着を持っていただき、珈琲の時間がより豊かなものとなれば嬉しく思う。

『珈琲の旅 Ethiopia』

平日の19時過ぎの店内。
「モカの深煎りで。」
いつものお客様から、いつものこの注文を受けるたびに、心の中でにやりとしながら、珈琲をたてている。

蕪木祐介(かぶき・ゆうすけ)
岩手大学農学部を卒業後、菓子メーカーに入社。カカオ・チョコレートの技術者として商品開発に携わる。2016年、自家焙煎の珈琲とチョコレートの喫茶室「蕪木」をオープン(2019年12月移転、再オープン)。2018年には、盛岡で40年以上愛されてきた喫茶店「六分儀」(2017年11月に閉店)を、佇まいはそのままに「羅針盤」の名前で復活させた。著書に『チョコレートの手引』、『珈琲の表現』(共に雷鳥社刊)。2021年11月に『珈琲の旅 Ethiopia』を自費出版。 
http://kabukiyusuke.com/

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