アジアのカカオ
蕪木祐介さん連載 「嗜好品の役割」第2回
2019.08.06
PEOPLE / LIFE INNOVATOR
連載:蕪木祐介さん連載
ベトナムのカカオ農園から来た相談
6月初旬、ベトナムのカカオ農園を訪問した。
ベトナムは雨季のはじめ。雨季といっても長く雨が降っているのは稀で、カラッと晴れた中、怪しげな黒い雲がやってきては激しい雨を降らせ、数十分ののちにすっと立ち去るといった具合だ。雨が降るのは気が滅入るが、ドリアン、ジャックフルーツ、釈迦頭、ライチ、たっぷりと水を浴びた植物たちが、一斉に果実を実らせていく。それらを心ゆくまで味わいつくすことができるのが、雨季の魅力だ。同じように、この時期にはカカオもたくさん収穫される。
最近はアジアで作られるカカオに興味がある。カカオ生産国といわれて想像しやすいのは、チョコレートの商品名にもなっているガーナや、カカオ発祥のメキシコ、ベネズエラなどの中米の国々だろう。実際にそれらの場所では優良なカカオ豆が生産されており、「タヒチ産バニラ」のように、「ベネズエラ産カカオ」「エクアドル産カカオ」などブランド豆と化しているものも多い。それに比べるとアジアのカカオはイメージが湧きにくいし、注目されているものも少ない。地球の裏側、文化も何もかも違う遠い国からはるばる届くカカオでチョコレートを作るロマンはある。しかし、同様に自分が抱くロマンは、同じアジアの国々でとれたカカオでちゃんと美味しいチョコレートを作ることだ。
きっかけは昔、ベトナムのカカオ農家さんから、「美味しいカカオを作りたい」と相談を受けたことから。当時、チョコレート開発の仕事に区切りをつけ、自分の工房をたちあげる準備の期間、自分のこれまでの経験が活かせるし、まず行ってみようと、そんな軽い気持ちから農園を訪れ、かれこれ5年くらいは通っている。
心強い仲間、クワさんとタムさん
最初はその土地の様々な農園に足を運び、どのような農業をしているのかを見て回った。雑然とした農園もあるが、きちんと整えられた農園も多い。カカオの発酵についても同様、いい加減な場所もあれば、丁寧に行っているところもちゃんとある。知名度の高くないベトナムの地方でも、しっかりと産業的に栽培がされていることに驚いたし、カカオ豆を分けていただいてチョコレートを作ると、粗雑だけれど、フルーティな香りを含み、とても可能性のあるカカオと感じた。それにしても泊まり込みにも近い形で土地に居着くと、自分の農業に関しての無知さを痛感した。この申し出自体、「指導」ではなく、ともに「考える」ことが大切だと思い、何度も足を運ぶうち、心強い仲間が増えていった。
80歳近いクワさんは、私が手探りで始めたカカオの発酵の試行錯誤も毎日のように顔を出してくれ、手伝ってくれた農業技術指導者。カカオにも詳しく、その土地の農業に関しては、とても偉い人らしいのだが、いつもお茶目で気さくなおじいちゃんだ。
カカオ農家のタムさんはとても綺麗な農園管理をしているおじいさん。農家の仕事は本当に性格が出る。どのように育ててもカカオの果実は重量換算で取引されるのだけれど、丁寧に栽培している人と、乱雑に栽培している人がいて、品質の違いも顕著にわかる。タムさんの優しそうな笑顔はそのまま農園の綺麗さに反映されている。伺うといつもお茶をいれてくれる。農園のそばの日陰で皆と過ごすお茶の時間は、言葉が通じなくとも、とても心地よい時間だ。
チョコレートの味を知らない
生産国と消費国で離れているのは物理的な距離だけではない。もっと距離感を感じるのは、意識的なものや価値観の違いなどだ。例えば、私たちは「美味しいカカオ」を買いたいと思っているけれど、農家さんは美味しいカカオを作りたいなどといった意識はほとんどない。彼らが作りたいのは、たくさん実のなる、病気に強いカカオでしかない。その方がお金になるからだ。
そもそもチョコレートを食べたことのない農民も多い。「カカオ農園の人々がチョコレートを食べたことがないのはかわいそう」、そう思われる方も多いかもしれないが、そもそも熱帯の国々では私たちが楽しんでいるような固形チョコレートは溶けやすく、流通させるのが難しい。何より暑い国ではチョコレートは欲しにくいのではないだろうか。私だって熱帯の蒸し暑い地域で過ごしていると、チョコレートを食べたいという欲は小さくなる。むしろ鮮やかに実ったフルーツを頬張りたい。
いくら私たちが美味しいチョコレートを作ってもらいたいと熱を持って語っても、チョコレートの味を知らない彼らにスムーズに伝えることは難しく、消費国と意識の異なる生産国の現場で、美味なカカオ豆を作ることは一筋縄ではいかない。だから、「美味しいカカオを作るために、協力したい」と言ってくれたタムさんと話すことは、夢があって楽しかった。
彼らはカカオの農業に対しては危機感を抱いている。付加価値のついたカカオを作って、市場に振り回されない持続的な農業経営を地域に根付かせることは、持続的なカカオ産業に繋がることでもある。持続可能なカカオ農園を営むためには、良いものを作ってもらい、その対価をしっかり農民に還元することが必要だ。その分末端価格にも価格が上乗せされるが、そもそも持続性や環境に配慮されたカカオ栽培から作られるチョコレートは安いものではないのだ。100円以下でスーパーで買えてしまうチョコレートだけれど、あまり安く売られているのを見ると悲しくなる。先日伺った際も丁寧にカカオ栽培をしていたおばあちゃんが、労力をかけてもお金にならない、とカカオ栽培をやめてしまったと聞き、とてもがっかりした。彼女のカカオでもチョコレートを作りたかった。
無名の原料で、魅力的なチョコレートを
「技術者なら、B級のものを使ってA級のものをつくるよう心がけなさい」
昔そのようなこと上司から言われた。若かった私は一級品を使わずに良いものなどできるわけがないだろうと、猛反発した。当時魯山人に陶酔していた私にとって原料が一番だった。
今でも美味しいものを作るために原料の選定はとても大切なことだという考えには変わりはない。けれど、その上司の言ったことが今は少し理解できる。その自分の解釈は「原料の知名度やブランドに寄りかからない美味しさ作り」だ。美味しいものから美味しいものを作るのは当たり前、見向きもされていないものにもしっかり価値を見出し、魅力を引き出すことの大切さ。それを当時の上司は言いたかったのかも知れない。
自分がやりたいのは優良カカオのセレクトショップではなく、あくまでチョコレート作りだ。ただ美味しいチョコレートを作りたい。そのために原料の有名無名は全く関係ない。焙煎、微粒化、コンチング、ブレンド、配合……手を加えることはたくさんある。
良い原料の良さを最大限に生かした仕事もあるけれど、たとえ、難がある原料、もしくは注目されていない原料であっても、その良さを最大限に活かし、魅力的なチョコレートへと昇華させる仕事にも心惹かれる。キャッチーなものに人が群がることに対する反骨心からだろうか。今関わっているアジアのカカオも、とても良いものだけれど、今一歩何かが足りない。じゃあそれを魅力的にするにはどうすれば良いか。難しいけれど、ワクワクする作業だ。美味しさは絶対だし、他から購入できる美味しいカカオを使うのは簡単だけれど、優しく笑顔で接してくれる顔の見える農家さんたちのカカオから、お客さんに喜んでもらえるようなチョコレートを作りたい。自分への課題を解決することこそが、自分の仕事の喜びの小さくない部分を担っている気がする。
千利休は、評価の高い名物中心であった茶道具ではなく、無名のものに美しさを見出し、利用したという。色々な情報が溢れている今だからこそ、それらに振り回されることのないよう、自身の目と心を養っていきたい。
蕪木祐介(かぶき・ゆうすけ)
岩手大学農学部を卒業後、菓子メーカーに入社。カカオ・チョコレートの技術者として商品開発に携わる。2016年、自家焙煎の珈琲とチョコレートの喫茶室「蕪木」をオープン(2019年12月移転、再オープン)。2018年には、盛岡で40年以上愛されてきた喫茶店「六分儀」(2017年11月に閉店)を、佇まいはそのままに「羅針盤」の名前で復活させた。著書に『チョコレートの手引』、『珈琲の表現』(共に雷鳥社刊)。
http://kabukiyusuke.com/