生涯現役シリーズ #07 86歳の肉職人。「鶏についてできないことは何もないね」
東京・浅草「竹松鶏肉店」篠崎誠(しのざき・まこと)
2021.08.02
text by Kasumi Matsuoka / photographs by Masashi Mitsui
連載:生涯現役シリーズ
世間では定年と言われる年齢をゆうに過ぎても元気に仕事を続けている食のプロたちを、全国に追うシリーズ「生涯現役」。超高齢化社会を豊かに生きるためのヒントを探ります。
篠崎誠(しのざき・まこと)
御歳86歳 1933年(昭和8年)6月9日生まれ
「竹松鶏肉店」
台湾生まれ。戦争が終わり、父の実家である茨城県に住み、農家として生計を立てる。16歳で上京し、竹松鶏肉店で従業員として働き始める。同店の向かいのお茶屋で働いていた6歳年下の妻に一目ぼれし、30歳で結婚。5年前に妻に先立たれ、現在は娘と二人で葛飾区で暮らす。
(写真)鴨をさばく篠崎誠さん。丁寧な手つきで手際よく、肉をさばいていく。「70年やってるから、鶏についてできないことは何もないね」(篠崎さん)。店の鴨肉をさばくのは、9割方が篠崎さんの担当だ。
この店に人生が詰まってるんだよね。
ほうら、この新鮮な鴨を見てよ。こうやってね、まずは背中からまっすぐ包丁を入れるの。肉が柔らかいから、乱暴にバサバサと切ると崩れちゃう。細かい骨を取り除きながら順番に、部位ごとに肉を剥がしていきます。もう何十年とやってるから、どうやったらきれいに剥がれるか、体に染みついてる。けっこう乱暴に扱ってるように見えて、緻密な作業なんだよ。
うちの鶏は、目と口の肥えたお客からも、こんなに新鮮で立派な肉はないって言われます。鴨の細切れ肉も、店頭に出たら引っ張りだこ。値段も手ごろだし、これを汁物にしたら、本当にうまいんだ。普段さばく鴨は、一日につき3~5羽。年末のよく出る時期には、20~30羽さばきます。和食の板前さんが、正月の雑煮用に買ってくんだよね。一番多い時には、1日に45羽さばいたこともあるよ。
生まれは台湾。戦争が終わってから、父の田舎である茨城で、農家として生計を立てながら暮らし始めました。近辺に出入りしていた鶏を扱う業者に、親が東京で働き口がないかと聞いて紹介されたのが、この店だったわけ。16歳で上京して以来70年、この店で従業員として働いています。
よく店の主人と間違えられるんだけど、「主人じゃない! こっちは従業員だ!」ってね(笑)。田舎の親には「自分の店を持て」と言われたこともあったけど、この店で本当に良くしてもらって、やめようなんて全く思わなかった。この店に人生が詰まってるんだよね。
初仕事は、当時小学校1年だった今の店主が怪我をしちゃって、学校までおぶっていったこと。家族同然で育ったから、今も兄弟みたいに仲がいいよ。店に入った頃は、先代の主人と奥さんと3人で切り盛り。最初の頃は1日に2~3羽売れればいい方だったけど、時代とともにどんどん忙しくなってきて、浅草だけじゃなく日本橋や銀座方面まで、自転車でよく配達に行ってました。銀座に牛車が走ってた時代だよ。
配達に行くと、いろんなところで親切にしてもらってね。先代の主人も、自分の子ども同様に可愛がってくれた。私の結婚式では、奥さんと一緒にワンワン嬉し泣きしてくれて、それを思い出すと今でも涙ぐんじゃうね。家内は残念ながら5年前に亡くなったんだけど、今は娘と一緒に暮らしてます。家も2軒建てて、まあ上等にやってこられた。
ふだんは朝7時に起きて、朝ご飯。朝はずっとパン食です。それから電車とバスを乗り継いで、小1時間かけて出勤。昼は店で、店主の奥さんが作ってくれるまかないを食べます。今日は鶏の煮込みに、ご飯、味噌汁、お新香。夜は娘が作るご飯を食べます。晩酌にビールの小瓶1本と焼酎のお湯割りを1杯飲むのがお決まり。好き嫌いはなく、食べ物で文句を言ったことはこれまで一度もないね。夜はテレビを観ながらうたた寝して、10時前には寝ます。
健康の秘訣は、きちんとした食事と、歩くこと。通勤でマメに出歩いてるのがいいんだと思う。2キロぐらいは平気で歩くよ。風邪をひいても、家にいるより店にいた方が調子がいいんだよね。まだまだ従業員として、ここで働かせてもらうつもりだよ。
毎日続けているもの「鴨」
◎竹松鶏肉店
東京都台東区浅草3-38-3
☎03-3874-4372
9:30~20:00(惣菜は11:00 ~)
水曜休
東京メトロ浅草駅より徒歩8分
(
雑誌『料理通信』2019年11月号
掲載)
※年齢等は取材時・掲載時点のものです