馬の力を借りて田畑を耕し、森を管理する
鳥取・智頭町「森のうまごや」岩田和明
2023.01.23
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text by Sawako Kimijima / photographs by Kazuaki Iwata
連載:新・大地からの声
【若き生産者の声から食を考える】
岩田和明さんが2頭の馬、耕太郎と福之助と共に家族7人で鳥取県智頭町(ちづちょう)へ移住したのは2018年。馬の力を借りて田畑を耕し、森の管理をする日々を送っています。化石燃料に頼らない暮らしを取り戻し、次世代へつなぎたい――各地で馬耕や馬搬に取り組む人たちと会報『はたらく馬』を発行し始めたのはそんな思いからでした。「馬耕で人類の食を賄えるのか?」という声もあるかもしれません。しかし、生産性や経済効率という尺度が地球の危機を招いているのもまた事実。地球にとって良い答えとは何なのか、岩田さんは馬耕を通して探し続けています。
目次
- ■これまで通りの生活を続けていいとは思えなかった
- ■化石燃料に依存しない暮らしの技を継承する
- ■森と畑を分けない農業
- ■「お金で買う暮らし」は、地球への影響の実感が湧きにくい
- ■エネルギー下降時代を生きていく上で大切にしたい価値観
岩田和明(いわた・かずあき)
1975年、東京生まれ。東日本大震災をきっかけとして、2012年転職。山梨で馬耕を始め、馬耕キャラバンや全国馬耕大会を主催。鳥取県智頭町へ2頭の馬と共に家族7人で移住し、農地を開拓しながら、自然と人が共働する場づくりに勤しむ。生きものと共にある暮らしの文化を継承する活動「森のうまごや」主宰。「はたらく馬協会」事務局・編集長、一社「馬搬振興会」事務局、NPO法人「自然栽培そらみずち」事務局。
これまで通りの生活を続けていいとは思えなかった
馬耕に取り組むきっかけは、東日本大震災でした。
電気が止まり、ガソリンは不足し、食品の流通はストップ。都市機能がマヒした状態を見て、「現代の暮らしとはなんと脆いのか」と痛感したことに始まります。
電気が止まればすべてが止まる。化石燃料なくして成り立たない暮らしです。エネルギー自給率がたった5%で、有事になればエネルギーの入手が困難になるであろう日本が、こんな暮らし方でいいのだろうか。考えずにいられませんでした。日本だけの問題ではなくて、地球の資源そのものの限りが見えています。石油はあと46.2年、天然ガスは59年、石炭は118年で枯渇するとも言われる。子供たちの世代はもはや化石燃料に頼れない。日本の食料自給率は38%ですが、自給しているとされる作物も栽培に必要な肥料、農薬、耕運機やトラクターの燃料などの資材は輸入に依存し、しかもその原料がまた化石燃料。という事実を直視すると、どうしてもこれまで通りの生活を続けていいとは思えなかったのでした。
半導体を作る会社を辞めて、岐阜県や山梨県でパーマカルチャーに触れていた時に出会ったのが馬耕です。2018年、2頭の馬と一緒に家族7人で鳥取県智頭町に移り住み、農林業一体型の耕作に励んでいます。
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左が耕太郎11歳、右が福之助6歳。どちらも北海道和種馬、つまり道産子。「馬と共働するには、彼らとの間に信頼関係を築くことが大事」と岩田さん。
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耕作放棄地に馬を放つと、馬が草を食べてくれる。馬は草がエネルギー源。しかも彼らが草を食べることで開墾がしやすくなる。
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馬は、機械じゃなくて生きものだから、その日その時の気分や調子がある。「今日は働きたくないんだなという日もある」。
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「はたらく馬協会」のメンバーは、北海道、岩手、新潟、茨城、長野など全国に点在。日本ワインの生産者がブドウ畑を馬で耕したり、間伐した木を馬で運び出したり、馬の活躍の場は実は多い。
化石燃料に依存しない暮らしの技を継承する
日本における馬耕は1955年頃を境にほぼ姿を消したと言われています。1953年に農業機械化促進法が施行(2018年廃止)され、トラクターなど化石燃料を動力源とする農機具が普及した時期と重なります。
化石燃料へのアンチテーゼとして馬耕に取り組んだとして、馬耕で日本の食を支えられるのかと問われれば無理と言わざるを得ません。どんなに化石燃料からの脱却を訴えたところで馬耕が広まるとも思えない。では、何のために馬耕をやるのか? その意味を考え続ける中で、牛耕で米をつくる長崎県福江島の診療所の医師、宮崎昭行さんと意気投合しました。化石燃料に頼らない生産技術や暮らしの技を残そうと思ったら、今が最後のタイミングだってことです。今を逃すと完全に失われてしまい、継承できなくなる。
僕は運よく馬耕の経験者から技を教わることができました。昔、馬耕をやっていたというその人は90歳。80歳前後になると「馬耕? 聞いたことはあるけれど、自分ではやっていない」という人がほとんどです。今、僕たちがやらなければ、馬耕の技術は絶えてしまうでしょう。
生物多様性と同じだと思うのです。地球の存続のために様々な種が必要であるように、人類の存続のためには様々な技が必要です。現代の生活様式のままでは、化石燃料が枯渇したら、生きる術を失いかねない。化石燃料に依存しない暮らしの技は保持されたほうがいいんです。細い糸でも切れずに続いていたなら、きっといつか役に立つでしょう。絶滅危惧種として馬耕は存続されなければならないと思っています。
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馬耕の経験者からその技術を伝授してもらう。姿勢、歩き方、道具の設定、角度、調整、耕す順番など、馬耕の技術は細部にわたる。
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馬耕を継承するには、馬に装着する道具作りの技術、農機具を作る鍛冶の技術など、周辺の技術も継承されなければならない。馬耕を残すことは道具職人の技を残すことでもある。
森と畑を分けない農業
馬耕によって僕が行なうのは、森と畑を分けない農業です。森・川・海のつながりは随分理解されるようになりましたが、森と畑も同じなんですね。畑の上流に森がある。深く結びついて分かちがたい関係です。昔の里山の暮らしを思い浮かべるとイメージしやすいかもしれません。田畑で作物を育て、山で薪を集めて暮らしの燃料とし、落ち葉を肥料として畑にすき込む。森と畑と人の暮らしが自然の中で一体でした。しかし、現代では、森は森、畑は畑、別々の存在として切り離して考える。すると、人は畑を栽培のための場所と捉え、自然の一部として見なくなります。トラクターで耕し、化学肥料を与え、農薬を撒くことに疑問を抱かなくなるのです。
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智頭町ではかつて杉が盛んに植林されたが、安価な輸入木材のあおりを受けて需要が低下、この杉林は放置されていた。岩田さんは間伐して広葉樹を植える活動を行なっている。
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森と田畑は隣り合う。森の落ち葉を田畑にすき込み、馬糞堆肥を森の土壌に与える。馬の存在によって森と田畑がつながっている。
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森の中の草地を馬で開墾する。複雑な地形の場所にも入り込んで力を発揮できるのは馬だからこそ。
「お金で買う暮らし」は、地球への影響の実感が湧きにくい
仕事と暮らしを分けずに一体で捉えるようにしています。“森と畑を分けない農業”と近しい考え方かもしれません。暮らしの中の垣根をなくしたい。仕事の場に子供を巻き込み、田植えや稲刈り、森の間伐など、なるべく一緒にやっています。自ずと食べ物は自然からできているのだと知るのではないでしょうか。間伐では「薪として売ったら、地域通貨が手に入って、ラーメンが食べられるぞ!」とはっぱをかける(笑)。働く意味も感じてもらえるんじゃないかな。
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馬の力で代かき(しろかき)。岩田さんは農作業の場にできるかぎり子供を伴う。
現代の問題は「お金で買う暮らし」が行き過ぎた点でしょう。「お金で買う暮らし」は、地球への影響の実感が湧きにくい。たとえば、脱炭素社会を目指す企業の施策はたくさんあって、EV車の開発は進み、再生可能エネルギーの使用も促進されています。それらを購入する時、きっと人は地球に良い選択をしたと思うはずです。でも、見えないところで化石燃料が使われていることに変わりはなかったりする。
化石燃料は麻薬のようなものです。暖房も冷房も、明るく照らすのも車を走らせるのも、何でもできる。一度その恩恵にあずかってしまうと、依存体質ができあがって、やめるのがむずかしくなります。
僕自身、服も本もお金で買っていますし、原始的な生活を送っているわけではありません。お金で買う暮らしを受け入れざるを得ない現実を受け止めつつ、それでも、人間は自然の一部であることを見失わないようにしたい。
子供たちには、身の周りのもので工夫して遊ぶように促しています。自分の手で物を作り出せると知り、自分の手が作り出した物で満たされる、その経験を積むことが自立につながる、と僕は考えています。
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「森の中で過ごすことで自然との付き合い方を学んでほしい」と、子供のための遊び場、プレーパークを森の中に作っている。
エネルギー下降時代を生きていく上で大切にしたい価値観
智頭町を中心に自然栽培に取り組むメンバーが集い、2021年にNPO法人「自然栽培そらみずち(空水地)」を設立しました。農薬はもちろん肥料も使わずに野菜を育てようと取り組んでいます。僕の畑ではまだ試行錯誤を重ねている段階で、トマトがやっと1個実っただけ(笑)。でも、そのトマトを口に入れて、鮮烈な味わいに衝撃を受けました。「生きものの味がする!」。野菜も自然界の生きものであると実感しましたね。
稲もそうです。草だらけの田んぼで育てるのですが、すると、稲が草に負けまいと頑張るのか、生きものとしての力が漲っている。鎌で手刈りする時、刃が茎にぐぐっと入っていく感覚に、米の生命を感じます。
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稲は土に直播き(じかまき)。人間都合のタイミングや生産効率優先の栽培ではなく、生きものとして扱う育て方を心掛けている。
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実った稲を手刈りする。稲の生命力が鎌を通して手に伝わってくる。
稼ぐ農業ではなくて、自分たちが食べるための農業だからできることだとはわかっています。生産性や経済効率から見れば、お話にならないでしょう。でも、その一方でこうも思う、今、広く行われている農業は稲を生きものとして扱っているだろうか? 田植えの時期も植え方も、人間都合なのではないか?
日々馬と接していると、彼らに潜む野生を感じて、馬も自然の一部であるとつくづく思う。
言葉を使わないやりとりは、互いに相手の反応を見ながらの判断で、一緒に田畑で働けるようになるまでには時間がかかります。とはいえ、田畑や森がこちらの投げかけに返してくれる応答と比べれば、馬はその都度反応してくれる。「今日は働きたくないんだな」「あ、こっちに行きたいのか!」「あ、向こうの草に気が散った」、応答がダイレクトに身体の動きに表れる。
馬は人間との関係において、トラストがなければチームが組めないし、リスペクトがなければ指示に従わないそうです。やりとりを重ねる中でトラストとリスペクトを築いていくわけですが、それは僕にとって、自然との関係を築くことと共通する。森や田畑、自分たちを取り巻く環境と人間とが手を取り合って初めて僕たちの暮らしは成立する。自然と共働することで人の暮らしは成り立っています。その感覚を馬たちから学んでいます。
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「馬が佇む田園風景の美しさは、馬耕の価値のひとつ」と岩田さん。
今、僕がやっている暮らしも農業も、便利か不便かで言ったら、不便です。不便だけれども、時々、例えようもなく美しい瞬間が訪れて感動することがある。先日、照明の電球が切れて、ふと思い立ち、ロウソクで過ごしてみました。ロウソクの明かりはなんとも言えない情感を湛えて美しかった。
馬が大地に立ち、日の光が当たった姿の美しさもそうです。その景観は馬耕の価値のひとつだと思う。
馬と暮らしていると、エネルギー下降時代を生きていく上で大切にしたい価値観と出会うことができます。効率や生産性から離れた視点を大切にして、馬耕に内在する価値をすくい上げて、伝えていこうと思っています。
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年に1~2回、会報を出している。
Instagram:@mori.no.umagoya
シリーズ「新・大地からの声」
新型コロナウイルスの感染拡大は、「食のつながり」の大切さを浮き彫りにし、「食とは生命の循環である」ことを強く訴えました。
では、私たちはどんな「生命の輪」を、「食のつながり」を築いていくべきなのか?
一人ひとりが自分自身の頭で考えていくために、「生命の循環の源」に立つ生産者の声に耳を傾けよう。そんな思いで、2020年5月、スタートさせたのが「大地からの声 新型コロナウイルスが教えようとしていること。」です。
自然と対峙する人々の語りは示唆に富み、哲学者の言葉にも通ずる深遠さがありました。
コロナ禍が新たな局面へ転じようとしている今、もう少し幅広く「私たちの食はどうあるべきか?」を共に考えていくシリーズにしたい。そこで「新・大地からの声」としてリニューアルを図り、若き生産者たちの生き方・考え方をフィーチャーしていきます。
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