【読むと備えになる】災害時に発揮される料理人のフェーズフリー*な力とは?
―災害時の食と栄養― 6
2024.09.24
text by Sawako Kimijima / photographs by Masahiro Goda, Toshiya Ikehata, Meiju Hirata
(写真)「NOTO NO KOÉ」イベント時、エスキス(www.esquissetokyo.com)のキッチンにて。
連載:災害時の食と栄養
能登に魅了される料理人は少なくありません。日本の自然の構成要素すべてが凝縮されたかのような風土とそこから生み出される食材の卓越性が一因でしょうか。東京・銀座「エスキス」のリオネル・ベカシェフもそんな一人。震災に心を痛め、2024年5月17~20日、チャリティ コラボレーション イベント「NOTO NO KOÉ」を開催しました。
招かれた輪島市「ラトリエ ドゥ NOTO」池端隼也(としや)シェフと七尾市「ヴィラ デラ パーチェ」平田明珠(めいじゅ)シェフは、自ら被災しながらも、発災から時を置かずして炊き出しに尽力、避難した人々の食生活を支え続けました。
両シェフがこの8カ月を振り返るインタビューをお届けします。示唆満載です。
*フェーズフリー:日頃から災害時にも役立つモノやコトを暮らしの中に増やしていく防災の考え方(文末リンクあり)
目次
- ■避難所に料理人がいると、クオリティ・オブ・ライフが向上する
- ■ワールド・セントラル・キッチンは、サポートに徹してくれた
- ■炊き出しチームで「店をやろう!」と決断
- ■全国の料理人仲間が手を差し伸べた
- ■それぞれの地域に消防団のような料理人コミュニティを
右・池端 隼也(いけはた・としや)
1979年、石川県輪島市生まれ。辻調理師専門学校を卒業後、大阪「カランドリエ」を経て2006年渡仏、パリのロブションなどで4年半、腕を磨く。フランス料理に携わる中で、能登の素晴らしさを世界に発信したいと考えるようになる。2014年、輪島で「ラトリエ ドゥ NOTO」開業。
左・平田 明珠(ひらた・めいじゅ)
1986年、東京都生まれ。大学卒業後に料理の道へ。都内のイタリア料理店勤務の後、食材を探しに訪れた能登半島に惹かれ、2016年七尾市に移住、レストラン「Villa della pace」をオープン。2020年、七尾市中島町の塩津海水浴場跡地へ移転、オーベルジュとしてリニューアルオープン。
避難所に料理人がいると、クオリティ・オブ・ライフが向上する
「ヴィラ デラ パーチェ」平田シェフが、七尾市指定の避難所のひとつ、中島小学校に足を踏み入れたのは1月2日。翌日、同店ソムリエ塩士卓也さんが所属する「北陸チャリティレストラン」(2016年の熊本地震を機に、被災地の食の支援とそれを支える飲食店支援を行なう活動体)のメンバーや金沢の料理人仲間と共にカレー450人分を作って届けたところから、活動はスタートする。
「避難所のみなさんが発災当日は近くのコンビニのパンやおにぎりで凌ぎ、翌2日は避難していたお母さんたちが朝4時から約500食のおにぎりとおかずを作ったと聞いて」、炊事班を買って出た。
まず取り組んだのは、小学校の家庭科室を“厨房”に変えることだった。避難が長引くのであれば、そこで調理できるほうが健全な食生活に近づける。
「衛生的に整える必要がありました。徹底清掃をして、土足厳禁に。手洗い場を作り、消毒用アルコールを置いた。洗い物用水を確保。ゴム手袋、マスク、ヘアキャップ、道具類を用意し、食器の置き場を設けて、作業動線を決めた。断水しているため、最小限の水で清潔さを保つ工夫も不可欠でした」
食中毒を発生させない集団調理はプロの料理人の領域だ。プロにとっては日常的なスキルだが、一般人には盲点も多い。たとえば、食事を暖房の効いた部屋に置いて「明日、食べてください」という貼り紙がされていたことがあったという。限られた食料を無駄にすまい、誰かお腹が空いた人の役に立つかもしれないという善意がリスクを招く危険も潜む。
1月上旬には、朝食約200食、夕食約250食を用意したが、その数量になると、献立作り、食材の手配、仕込みといった事前の段取りが欠かせない。中長期的な食生活を担うとなれば、命をつなぐ食事から健康を守る食事へとシフトする。健康や味覚に配慮した食事でなければならない。野菜を多く、塩分は控えめに、脂肪や炭水化物過多にならないように。
さらに、大量に届いてくる支援物資の整理――開けてみると、期限切れの食品や常温に置かれ続けた要冷蔵品など、使用の可否を判断しなければならないものもあった――、企業などからの炊き出し支援の調整、ボランティアへの指示、市役所との連携など、食事作りを円滑に進めるための仕組み作りが急務だった。
「僕自身は極力調理をせず、僕がいなくても回る体制を作る必要がありました」。いわば、現場監督である。工事現場もコンサートもお芝居も現場監督なくして回らない。避難所の炊事においてもココが肝だったりする。調理場に入る料理人の手配とシフトを組む上では「北陸チャリティレストラン」が尽力してくれたという。
「災害のための対策や勉強はしていなかったけれど、レストランの営業として普段やっていることは、非常時でも身体が動き、頭が働いた」と平田シェフ。災害への備えとしてフェーズフリーの考え方があるが、「料理人のスキルそのものがフェーズフリー」と指摘するシェフもいる。料理人が一人避難所にいることによって、避難生活の質、クオリティ・オブ・ライフは向上する。
ワールド・セントラル・キッチンは、サポートに徹してくれた
日頃、食材の仕入れ時に会っている料理人や鮮魚店主など約20人(全員被災者)に声を掛けてチームを組み、多い時には1800人規模の食事を提供し続けたのが、輪島市「ラトリエ ドゥ NOTO」の池端隼人シェフである。
炊き出しの体制作りを進めていたところ、1月4日、「World Central Kitchen(以下WCK。世界中の自然災害や戦争の被災地で食事支援をするシェフ組織。本拠地はアメリカ)」から支援に向かうとの連絡が入った。
「欲しい物はあるかと聞かれて、大きな鍋、包丁、調理器具、ガスが要ると伝えると、翌5日の朝には届けられた」と池端シェフ。
そして「やってきたのが、2023年のトルコ地震での食事支援経験を持つスペシャリストの女性。現場の状況を見て、『2000人分は作らなければ。できるはずだから、やってみてほしい』と言われた」。輪島塗見学施設を「輪島セントラルキッチン」として、輪島市内の14カ所の避難所、市役所や消防署、復旧作業にあたる工事関係者の食事を手掛けることになった。
「WCKが料理を作るわけではなく、アドバイスとサポートに徹して、僕たちを導いていくんです。考えて動くのは僕たち。必要な物があれば手配してくれた」
1カ月ほどバックアップした後、京都に本部を置くNGO「NICCO(公益社団法人 日本国際民間協力会)に引き継いで帰国したという。
道路が寸断され、被災していない地域から料理人が駆け付けることが難しかった今回の能登半島地震。被災した地元の飲食店が炊き出しを続けてきたが、「目の前にやるべきことがあったことが、すごくよかった」と池端シェフは言う。
「WCKは一番大変な時にサポートしてくれて、自分たちが去った後も回るように、初めから動いていた。だから僕たちは、やるべきことを失わなかった」
炊き出しチームで「店をやろう!」と決断
仮設住宅が建ち、避難所からの入居が始まると、用意する食事の数も減っていく。命をつなぐフェーズから、どう生きていこうかの重い選択を迫られるフェーズへと移行する。
「炊き出しがなくなったら、皆どうするんだろうと思いました。同時に、これからは観光しかない、いい町には飲食店の灯りがある、と炊き出しをしながら話していた」と池端シェフ。自身がみな被災者というメンバー各々の再開には時間がかかる。ならば、みんなで料理を作り続けようとクラウドファンディングで立ち上げた店が「mebuki-芽吹-」。発案者の池端さんが私財を投じて物件を入手し、7月プレオープン、8月8日にグランドオープンした。
「停電で消えていた信号機が点灯した1月8日、うれしくて思わず写真を撮っていたんです」と池端さん。「街にともる店の灯り、店にともるキッチンの炎は、街の希望になる。外部から人を呼び、賑わいを取り戻す復興の道しるべとなる」。
一国一城の主として店を営んできたメンバーが一緒に一軒の店をやるわけだから、苦労もある。「マネジメントが大変(笑)。悪戦苦闘しています。でも、思いは一緒だから」。山菜の季節が来れば、皆で摘みに行く。誰もが土地と密につながっているのだ。
「ありがたいことに他所の土地から『こちらに来てシェフをやってください』というお誘いもいただきました。でも、外に行くという選択肢はないんです」
全国の料理人仲間が手を差し伸べた
日頃の活動が生きるのは「人脈」も同じだ。「ここ数年、積極的に県外イベントに行っていたこともあり、各地にネットワークができていた。思っていた以上に彼らが支援の手を差し伸べてくれて、やってきたことが報われたなと思った」と平田シェフ。
「全国のシェフから義援金をいただきました。チーム富山のみなさん、余市のワイナリーのみなさん、成澤シェフ、他にも独自に食事会を開いて寄付を集めてくださった方々がいます。料理人仲間って、本当に凄いと思った」と池端シェフ。平田シェフは、2月金沢、富山、雲仙、3月金沢、横浜、4月東京、福井、5月東京、蒲郡、と外部で料理する機会も続いた。
冒頭で述べた「エスキス」の「NOTO NO KOÉ」には前段がある。リオネルシェフ、池端シェフ、平田シェフの3人は、2019年1月、能登でポップアップイベントを開いた。互いにリスペクトし合い、「またやろう」と言い続けてきた。リオネルシェフがいても立っていられず、イベントを企画せずにはいられなかったのはリスペクトの証だ。
能登の2人にとっては、避難所の食事と銀座の二ツ星レストランで提供する料理、表現の振り幅は大きい。込める思いの深さも料理としての尊さも変わりはないが、置かれる環境の違いは大きい。
「イベントの日が近づくにつれ、今の自分に作れるだろうか、と不安にかられた」と池端シェフ。ガストロノミーとは何かを改めて考える機会になったという。平田シェフは、普段から近くで収穫している草木や湧き水がなければ、能登の景色は見えてこないと考え、150人分の野草をスタッフと共に摘み、東京まで運んだそうだ。
それぞれの地域に消防団のような料理人コミュニティを
防災知識も備蓄も重要だが、「日頃から備えておきたいのは、様々な土地の人々とのネットワーク」と、平田シェフは言う。今回、何よりも心強く、何よりも助けられたのが、人とのつながりだった。
池端シェフは、「復興に大切なのは、ここが自分の町だと思えるかどうか」と語る。「それぞれの地域で、消防団のような地元料理人コミュニティを作っておくことをお薦めします。消防訓練のようなことをする必要はなくて、時々みんなで一緒に飲むだけでいいんです。その結び付きがいざという時、威力を発揮する」
料理人のつながりが、街を支え、自らも守る、れっきとした防災活動になる。それは「mebuki-芽吹-」が実証している。
「飲食店1軒でいろんな経済を回している」とは池端シェフの言葉。飲食店が立ち上がることで、農業、漁業、酒蔵、酒屋、陶芸工房、漆芸工房、宿泊施設・・・様々な業種が動き出すからだ。飲食店が街の灯りになることで、地域に命が吹き込まれていく。「mebuki-芽吹-」は飲食店のそんな役割も実証していこうとしている。
「NOTO NO KOÉ」の第2弾を開催します!
1)2024年11月8日(金)・9日(土)
能登以外の地域の人々を対象として、「ヴィラ デラ パーチェ」にて平田シェフ、池端シェフ、リオネルシェフのコラボレーショが開催されます。能登の山のキノコを主役にした料理を提供予定です。
2)2024年11月10日(日)
能登の人々を対象として、「mebuki-芽吹-」にて池端シェフ、平田シェフ、リオネルシェフによるイベントが開催予定です。
◎mebuki-芽吹-
石川県輪島市マリンタウン6-1
☎090-2102-4567(受付 月~土9:00~22:30)
11:30~13:30LO
18:00~21:30LO
日曜休
◎ヴィラ デラ パーチェ
石川県七尾市中島町塩津乙は部26-1
☎0767-88-9017
昼 12:00スタート
夜 18:00スタート
火曜、水曜、木曜休
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