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日本 [青森]

青森県八戸市南郷地区
幻の調味料「すまし」を訪ねて

Journal / JapanFeb. 6, 2018

Text by Saori Bada / Photographs by Junichi Miyazaki

布袋から滴り落ちる液体は、黒が強めの澄んだ飴色。一見醤油に似ているけれど、舐めてみると醤油よりもずっとまろやか。塩味とともに、口の中に大豆のうまみと香りがゆっくり広がる。青森県八戸市郊外、岩手県との県境に位置する南郷地区で、半世紀以上に渡って作る人が誰もいない幻の調味料だった「すまし」が、ついに地元の人達の手により復活したと聞き、復活のエピソードを伺うべく、その地と人を訪ねた。


そもそも和食の歴史を振り返ると、醤油が一般家庭に普及する以前のビフォー醤油時代が意外に長いことに驚く。日本酒に梅干を加えて煮詰める煎り酒や、海水を煮詰めて作る水塩、梅干しを漬けた副産物の梅酢など、醤油前にも日本独自の調味料が各種あり、先人達はそれらを実に豊かに使いこなしていた。

江戸時代から作られていたという「すまし」も、その仲間だ。別の地では垂れ味噌とも呼ばれ、味噌に水を加えて煮た後、布袋で濾して作っていたもの。味噌の旨味と塩味をそっとすくいとったような穏やかさが特徴だ。江戸で蕎麦文化が広まり始めた頃には、醤油に取って代わられるまで、長く蕎麦のつけだれに使われていたという記録もあり、醤油がまだ高価な調味料だった昭和の初期頃まで、垂れ味噌は日本人にとって身近な調味料だった。この南郷の辺りでも「すまし」は当たり前に作られ、長い間土地の暮らしに根付いた、ごく日常的なものだった。


「すまし」が生まれ育った地域は、豊かな山々が四方に広がる里山の村。青森県八戸市の山あいに位置する南郷は、南部アカマツの森と共に暮らしてきた土地だ。森の恵みも多い反面、この土地ならではの悩みも大きかった。そのひとつが、春から夏にかけて、寒流の親潮の上を吹き渡ってくる、冷たく湿ったヤマセだ。食物が育つ初夏に吹き付けてくるから、昔から米が育ちにくい。だからこの地の人は、田より畑を耕した。とはいえ、山がちな土地だ。畑を作るにも工夫がいる。そのような環境条件が折り重なって生み出された知恵が、焼畑農業だった。



「焼畑」という太古からの農法

焼畑は、現在の日本ではほとんど見られない農業の形だ。この南郷以外には、山形県、宮崎県のごく限られた数カ所にしか存在しない。しかし、例えば山口弥一郎という民俗学者が昭和10年代に行った調査によると、かつては福島、岩手、秋田、青森と東北のいたる所で焼畑が行われていた。焼畑は粗野で原始的、というのが大抵の人が持つイメージだろう。

焼畑を行い、恵みを分けていただいた土地は、再生して山へ帰す。




しかし伝統的な焼畑を深く知ると、そこには自然と共生するべく編み出された、有機的かつ持続可能な機能があったことに心底驚かされる。かつては「森を育てるついでに、人間も食べ物を分けてもらう」という考え方が当たり前で、自分たちが必要なだけの食物を育てるために、どうやって山と関わっていけばいいのかという、人々の謙虚さから生まれた知恵が焼畑には詰まっている。現代人のような、人間中心のエゴイスティックな考え方ではないのだ。

八戸市青葉湖展望交流施設 山の楽校 運営協議会 会長 犾舘博史(えんだてひろし)さん




この南郷地区で生まれ育った犾舘博史さんは、だからこそ、この地で焼畑を復活させようと考えた。犾舘さん自身、この地で農業一筋に生き、誰よりも土地を知る人であり、この地への想いも深い。そして、このままでは郷土の文化が消えてしまうという憂いも深かった。そこで2009年、犾舘さんが会長を務めている体験交流施設「山の楽校」で、およそ半世紀ぶりに南郷の焼畑を復活させるべく、実際に自分達で試み始めたのだ。伝統的な焼畑の方法を具体的に知る先輩達に聞いて回ることから始めたのだが、半世紀以上途絶えた焼畑を知る先輩方の年齢は、最年少でも70歳を超えていた。

「焼畑は、森を育てる」の真の意味

犾舘さんが南郷の先輩達から焼畑について教わりながら、何度も聞いた言葉が「焼畑は森を育てる」という表現だ。一体どういう意味だろう。そもそも森は、人の手を入れなければ荒れてしまうという。たとえば、必要最小限の間伐や枝払いで森に手を入れ、そこに適度に日が射すことで、山菜や茸が育つという。また焼畑を行う場合、伐採後の火入れをした後に、何をどう植え、どう手入れするかも重要。これは、実際に焼畑の流れを知るとよくわかる。南郷の焼畑の特徴を実際に畑で犾舘さんに教わりながら、「森を育てる」の具体的な意味を伺った。



南郷の焼畑は、火入れ後がいきなり面白い。なぜなら世界で唯一、焼いた土地を荒墾鋤(あらきすき)という大きな鋤で耕し、畝(うね)を立てるからだ。つまり、焼きっぱなしの土地に種をまくのではなく、まず全力で土地を耕すのだ。しかも使う道具も個性的だ。硬い土に刺さりやすいように独特のカーブを描く荒墾鋤は、成人男性でも数分でぎっくり腰になりそうな重さだ。実際に取材の際、男性カメラマンが犾舘さんに荒墾鋤の扱いを教わったのだが、あまりに重いので腰に危機感を感じたほどだった。


こうしてまずは全ての土を耕し、土を盛り上げて畝を整えたら、1年目には必ず大豆を植える。なぜ大豆か。ここにも明確な理由がある。火入れによってできた炭が、大豆の根の根粒菌を活性化するからだ。さらに2年目の裏作で作る小麦の根が土地を耕し、土が生まれ変わっていく。ちなみに2年目の表は、もち粟とにんじん。3年目に大豆、4年目にもち粟とにんじん。そして5年目が蕎麦と、土の状態を調えるための輪作は5年間のスケジュールがあらかじめ決まっていて、植えるものも決まっている。これが、土の健康を取り戻すための昔からの知恵なのだ。ちなみに、きっと先人達もこの荒墾鋤での畝作りが一番苦痛で大変だったのだろう。この地では焼畑のことを通称「荒墾起し」(あらきおこし)と呼ぶのだそうだ。

半世紀ぶりの「すまし」作り


そして、もうお気付きの人も多いかもしれないが、実は幻の「すまし」が生まれた背景には、この大豆が大きく関係している。この土地ではそもそも、焼畑で実った大豆で味噌を造り、そこから「すまし」を作っていた。そこで焼畑同様、犾舘さん達は昔ながらの南郷の味噌造りから再現をし始めた。つまり、道具も環境も、極力昔からのやり方を踏襲するのだ。たとえば、現代の一般的な味噌造りは、蒸した大豆に塩と麹を加えて仕込むが、南郷の土地では昔から、麹は作らずに、茅ぶき屋根の茅に住み付いている麹菌を利用していた。南郷を含む青森県南部では、味噌と言えば昔からこのようにして作る「玉味噌」だった。それなら同じように作ってみようと挑戦した。


まずは焼畑後に収穫した大豆を蒸し、臼と杵で豆をつぶし、手で握り固めて玉を作る。これを味噌玉と呼ぶ。この味噌玉の表面を藁でぐるぐると巻いて固定し、家の軒先や囲炉裏の上などから吊るす。味噌玉が柱や軒先から整然と吊るされている様子は、まるで昔話の挿絵に出てくるような景色だ。大体2月の終わりごろから吊るしはじめ、6月の初めまで吊るす。その間に、茅ぶき屋根の茅に付いている麹菌が味噌玉の表面を自然と覆って発酵が進み、上手くいった場合は、南郷の先輩達曰く、玉を割ると麹カビがほわっと放たれる様子が目で確認できるという。かつてはほとんどの家が茅ぶき屋根だったから、あちこちで味噌玉を吊るしていたが、現在茅ぶき屋根の家は南郷でわずかに1軒「舘のやかた」にしか存在しない。そこで数年前に初めて茅ぶき屋根の家に吊るしたのだが、最初の「玉味噌」はうまく発酵せずあえなく失敗。茅に住み着く麹菌との付き合いは、そう簡単ではなかった。


茅の麹菌による「玉味噌」造りは課題としつつも、「すまし」作りは続く。材料の味噌は、ひとまず焼畑の大豆と麹で仕込んだ味噌を使った。ここから先も、昔の方法を踏襲する。まず鍋に味噌を入れ、水で溶く。ちなみに、残念ながら昔の「すまし」は美味しくなかったと先輩達の誰もが語るので、犾舘さん達は美味しさにもこだわり、玄米麹味噌と黒豆味噌を1対3の割合で混ぜた。これで味や風味に深みが出る。そこに水を加えて温め、30秒ほど沸騰させたら火を止め、味噌の風味をしっかり残す。





そしてこれを、昔使っていた味噌漉しとそっくり同じ形に仕立てた布袋に入れ、新たに作った「すまし桶」の上から吊るし、ぽたぽたと落ちてくるしずくを集めて「すまし」を完成させたのだ。先輩たちの舌の記憶を頼りに仕上げた塩分は約12%。醤油代わりに使われていた、南郷の昔ながらの調味料「すまし」がようやく復活した。



南郷の食文化「すまし蕎麦」



ようやく完成した「すまし」を、さあ、どう料理に使うか。昔ながらの南郷らしい料理と言えば、焼畑の作物でもある小麦を使った「はっとう」(麺)や「ひっつみ」(水団)、挽きぐるみで真っ黒な「十割蕎麦」だ。特に、かつてはどの家庭でも在来の蕎麦品種「階上早生」で10割蕎麦を手打ちしていた土地だ。そこで蕎麦打ちを知る先輩達の記憶をたどりながら、「すまし蕎麦」を作ることになった。そばの汁は、海と畑の恵みで作る。昆布と煮干、にんじん、ごぼうでだしをとり、そこに「すまし」を加えて味を調える。この汁、自然の滋味にあふれ、とても味わい深い。あとは、茹で上がった手打ちそばを碗に盛り、汁をかける。一説には、「すまし蕎麦」の汁はかつてはたっぷりではなくひたひただったいう話もあり、それがわんこそばの原型だったのではという説もある。いずれにせよ、醤油よりも風味が穏やかな「すまし」の汁は、蕎麦本来の香りを楽しむことができ、いろんな素材の旨味がじんわり響く味わいだ。わんこそばではないが、何杯でもおかわりしたくなる。




犾舘さん達「山の楽校」のメンバーは、こうして南郷の「焼畑」や「すまし」などの食文化を半世紀ぶりに再現しながら、人が集う場を生み出している。「山の恵みと先人たちの知恵は、失いたくない私達の宝です。先人たちが編み出した、人間が自然とどう付き合って生きていけばいいのかという知恵や、根幹にある大切な考え方を失わないように、これからも南郷の文化を守り、この地に人が集まるように活動を続けていきます」。




切りつけるような冷たい風で、すっかりかじかんだ手をさすりながら、温かい湯気の立つ蕎麦をすすり、疲れた体を休める。それは、誰もが平等に感じられる、心も身体も温かく解きほぐされる瞬間だ。生きていくための仕事に精を出し、合間の休憩で感じるひとときの幸せ。これだけは100年前も今も、きっと変わっていない宝物だ。青森県八戸市の南郷では、そこに復活した味わいという喜びも重ねられ、さらに豊かな日常が過ごせるようになったのだ。


◎ 青森県八戸市青葉湖展望交流施設 山の楽校
青森県八戸市南郷島守字北ノ畑6-2
☎ 0178-82-2222
営業時間 8:00~17:00
定休日 月(月が祝日の場合は翌日)、年末年始
https://www.yamanogakkou.com/









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