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日本 [長野/東京] 日本の魅力 発見プロジェクト ~vol.7 長野県 小布施町/東京都 墨田区~



小布施 牛に引かれて小布施に遊ぶ

Journal / JapanDec. 28, 2017

text by Rei Saionji / photographs by Kiyu Kobayashi

東京駅から北陸新幹線に乗って長野へ。かつて長野といえば、在来線の特急「あさま」で3時間弱かかったが、大宮の次の停車駅が長野である北陸新幹線「かがやき」に乗れば約1時間20分。あっという間の到着だ。移動時間が半分になり、東京・長野間の心理的な距離が近くなった。「牛に引かれて善光寺参り」で有名な信州善光寺は、長野駅からバスで15分。牛嶋神社の黒牛に引かれるような気持ちで、その先の北斎ゆかりの地、小布施を訪ねる。

「お裾分け」文化がもたらした小布施の宝



小布施町は長野県北部にあり、面積20平方キロに満たない。町の北西には北信五岳(ほくしんごがく)と称される、妙高山(みょうこうさん)、斑尾山(まだらおさん)、黒姫山(くろひめやま)、戸隠山(とがくしやま)、飯縄山(いいづなやま)、東に雁田山(かりだやま)。これらの山々が縁取る美しく整えられた果樹園が広がる。実りの秋には、採れたての栗で作る菓子や栗おこわを求めて、約1万1千人(2017年現在、小布施町の資料による)という町民の100倍以上の観光客が訪れる。



小布施は栗や果物だけではない。人々に脈々と受け継がれる「もてなしの心」が魅力なのだ。江戸時代には菜種や綿花を栽培。菜種油や綿布を販売して得た富もあり裕福だった。また、千曲川や善光寺参道に通じる脇街道を利用した交通の要衝であるとともに、地域有数の交易地で月6回開催の「六斎市」には多くの人々が訪れた。これらの背景が「小布施人気質」を育んだのだろう。「小布施は、外から来た人には背伸びをせず、自分たちの日常をお裾分けする文化が根付いている。」という。『おすそわけ』の心こそが小布施人気質である。

『家の中は自分のもの、家の外は皆のもの』 修景された小布施を楽しむ

小布施町提供画像


設立当時の北斎館は「田んぼの中の美術館」と呼ばれたほど、周囲には何もなかったが「北斎の町」として脚光を浴び観光客が激増。北斎館の近くに高井鴻山(たかいこうざん1806~1883)の旧宅を改築して「高井鴻山記念館」を作る計画が持ち上がった際に、「小布施町並み修景事業」として周辺の整備が計画された。


「修景とは、単なる町並み保存とは異なり、既存のものを変えることによって、地域住民は楽しい日常生活を維持し、その結果として、観光客もその楽しさを体感したいと訪れる町を作ること。」と語るのは、修景事業に深く関わった桝一市村酒造場と栗菓子の小布施堂を経営する市村次夫氏。なんと12代目当主は、現代の高井鴻山であった。鴻山の哲学は、100年以上たった現在の小布施の町づくりにも生きていたのである。「小布施町並み修景事業」では、周囲の景観との調和と美しいまちづくりのための指針「環境デザイン協力基準(住まいづくりマニュアル)」が作成され、住民の間に「外はみんなのもの、内は自分たちのもの」という意識が芽生えた。町の中心部には、原色を使った大きな看板や自動販売機も見かけない。調べてみると、「環境デザイン協力基準」に、「自動販売機は、道路に面して直接設置しないように心がける。表に設置する時は、商品ボックスを見えないように工夫する」と書かれていた。

北斎館周辺では国道に面した個人宅と、国道に面している方が都合の良い銀行や店舗が土地を交換。地域住民と観光客の双方にとって利のある配置に変えた。町中は小径や通り抜け出来るところなどもあり、歩いていて楽しい。


オープンガーデン 猫のように人の庭を自由に通る



小布施の『お裾分け文化』を最も象徴するのは、2000年に始まったオープンガーデン。38軒から始まり、今では120軒を数える。『家の中は自分のもの、家の外は皆のもの』という考えの下、町の住民や観光客も自由に通り抜けできるよう、丹精込めて作った個人宅の庭を開放している。



まるで猫になったように、いくつもの小径を自由気ままに通り抜ける。個人宅の庭に入って、銘々丹精を込めて手入れした庭を眺めるのは、植物園や公園の花々を愛でるものとはまた少し趣が違って心が躍る。


オープンガーデンの目印 その1:「Welcome to My Garden」という看板を入り口に掲げていること。


オープンガーデンの目印 その2:足元の小さな看板がWelcome to My Gardenとなっていること。その2つが満たされていれば自由に入ってよいのだ。小布施人気質「お裾分け」は、オープン・ガーデンでも発揮されている。


ちなみに、足元の小さな看板がこのような場合は入れない。


小布施が面積20平方キロに満たないことは旅人には好都合。町全体を歩いて楽しむことが可能だ。小布施の町を歩き回る時には、水筒を持ち歩くか、カフェで一休みをお薦めする。


高井鴻山記念館 小布施の北極星、高井鴻山を知る

小布施の豪農商で、飢饉の際は財を惜しみなく困窮者の救済に当てたという高井家11代目跡継ぎとして生まれた高井鴻山。15歳から2度の京都遊学で、書や絵画など超一流の師に教えを受けた後、28歳で江戸に出て、さらに学問を深めている頃に「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」で人気を博していた葛飾北斎と出会う。




屋敷の一部を整備し作られた高井鴻山記念館。鴻山の祖父が建て、書斎兼サロンとして使われていたという翛然楼(ゆうぜんろう)が見学できる。また、北斎が創作活動に没頭できるようにと鴻山が用意したアトリエ「碧漪軒(へきいけん)」は鴻山邸外の至近にあったと推定される。



京間風作りの翛然楼(ゆうぜんろう)の縁側は、北斎と鴻山が二人並んで腰かけ、話に花を咲かせていたと伝えられる場所。二階に上がり、静かに雁田山の方角を眺めていると、もしや北斎の目には、絶筆と伝わる「富士越龍図(ふじこしのりゅうず)」の龍のように、小布施の町を見守る雁田山の上を悠然と飛ぶ鳳凰が見えていたのかもしれないと思えた。


葛飾北斎絶筆と言われる肉筆画「富士越龍図」(北斎館所蔵)


尊皇攘夷派の志士なども訪れ、芸術はもちろん政治の話で盛り上がるサロンのような存在であった翛然楼で、『鴻山さんは、いつも庶民のためを思って行動していた人だったと思います。』と、高井鴻山記念館の館長を務める金田功子さんは語る。




高井家の懐事情は顧みず、その資産の多くを、芸術振興や困窮する民を助けるため、ひいては国のために使った高井鴻山には温柔敦厚(おんじゅうとんこう)という言葉が思い浮かぶ。歴史の表舞台に名前が挙がることはなかったが、100年以上の時を経た今もなお、故郷である小布施を日本で有数の観光地にし、多くの人から愛されることに寄与しているのだ。





◎ 高井鴻山記念館
http://www.obusekanko.jp/enjoys/museum/obuse142.php
小布施町大字小布施805-1
☎ 026-247-4049
開館時間 9:00~17:00(7・8月は~18:00)、元旦 10:00~15:00
休館日 12/31
入館料:大人300円、高校生150円、中学生以下無料




北斎館 北斎が小布施に残した宝を鑑賞する


天保の改革から逃れるように、北斎は高井鴻山を頼って小布施を幾度か訪れた。今は墨田から小布施まで有料道路を使えば車で約3時間半の道だが、時は江戸。北斎83歳。その並々ならぬ体力と小布施への熱い思いは、想像するに難くない。地元の人々も当たり前のように温かく受け入れた。北斎が小布施滞在時に残した掛軸、屏風などの肉筆画や書簡を展示しているのが、2015年に全面改装された北斎館の特徴だ。



男浪・女浪と称される「怒濤」という祭屋台の天井絵(小布施町上町自治会所有・北斎館管理)
冨嶽三十六景の中でも人気のある神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)を想起させる浪が、陰陽を表す太極図のように重なり、渦を巻くように中心に向かっている波のしぶきが、『無限』を感じさせる。我々が住む狭い日本を越え、無限の宇宙の中に存在する地球を描いているものなのではないかとも思わせる。


「日課の獅子(日新除魔) 閏九月廿一日」(北斎館所蔵)
小布施滞在中の日課として「日課の獅子」と題した獅子の絵を描いた。来客があろうとも描きあがるまでは、誰も中へと通さなかったという。「画狂老人卍」と名乗っていた北斎の姿を想像するだけで頬が緩む。


「お裾分け」という小布施人気質を備えた高井鴻山をはじめとした地元の人々に残された北斎の作品は時代を超えて、小布施という小さな町を一級の名所へと昇格させた。メディチ家が支えたレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどイタリアルネッサンス期を彩る芸術家たちの作品が、フィレンツェを一級の名所にしているのと同様に。そして『版画だけが北斎に非ず』ということを実感させられる展示品を間近で見られる醍醐味が、ここ北斎館にはある。



◎ 北斎館
http://www.hokusai-kan.com/
長野県上高井郡小布施町大字小布施485
☎ 026-247-5206
開館時間 9:00~17:00(7~8月は9:00~18:00)
※入館受付は閉館30分前まで
※1月1日は時間短縮開館 10:00~15:00
休館日 12/31
入館料 常設展 一般 800円 / 高校生 500円 / 中学生以下 無料(特別展開催時 一般 1,000円 / 高校生 700円 / 中学生以下 無料)




岩松院 八方睨みの鳳凰の目は、北極星のごとく小布施を見守る

ブドウやリンゴの果樹園が広がる雁田山の山裾にある岩松院は、北斎館から徒歩で30分弱、自転車で15分程度。小布施町内周遊シャトルバス「おぶせロマン号」を利用するのもお薦めだ。




岩松院所蔵
高井鴻山は高井家の菩提寺、岩松院の本堂の天井画を描くよう北斎に依頼。岩松院の天井画は、幅6.3m×奥行き5.5m(21畳)の大画面を12分割にし、床に並べて彩色した後に、天井に取付けられたことが、絵の余白部分に絵皿の跡が発見されて判明した。



どこから見ても鳳凰と目が合うことから、『八方睨み鳳凰図』と呼ばれる。約170年が経過しているが色彩は鮮烈で、桐材の板に白土を塗り重ね金箔の砂子が蒔かれた下地に、朱、鉛丹(えんたん)、石黄(せきおう)、岩緑青(いわろくしょう)、花紺青(はなこんじょう)、べろ藍等の顔料を膠で溶いた絵の具で描かれ4400枚の金箔が使われている。驚くべきは、塗り替えが一度も行われていないことだ。まるで、画狂老人北斎の魂が鳳凰に乗り移り、今を生きる我々に活を入れるかのごとく睨みをきかしている。この天井画は、墨田の牛嶋神社に奉納した「須佐之男命厄神退治之図(すさのおのみことやくじんたいじのず)」を描きあげた後の大作として知られ、小布施最後の滞在時に約1年かけて描かれたものと伝わる。その翌年、北斎は90歳で星となった。





◎ 曹洞宗梅洞山 岩松院
長野県上高井郡小布施町雁田
☎ 026-247-5504 
拝観時間 9:00~17:00(11月は9:00~16:30、12~3月は9:30~16:00)※拝観受付は拝観終了30分前まで
休館日 法要日(HP参照)
http://www.gansho-in.or.jp/
拝館料 大人300円/小学生100円










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