ワインに導かれ、絶望から気づけば陽の下にいた
Vol.77 マルケ州の土着品種ワイン生産者
2025.02.27
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text by Paolo Massobrio / translation by Motoko Iwasaki
マルケの白ワインと言われて頭に浮かぶのは、たいていヴェルディッキオだろう。だが、ほとんど知られていない土着品種から造られるリボーナ(Ribona)あるいはマチェラティーノ(Maceratino)と呼ばれるワインも、決してこれを羨む必要のないワインだ。厳密にはマチェラティーノは品種名で、一方のリボーナはマチェラティーノで造られたワインを指すのだが、日常ではその区別は曖昧になっている。ここでは僕は「リボーナ」に統一したい。「二度おいしい」を意味するこの言葉通り、本当に旨いワインだから。
それに、小さな生産者が目を見張る美しさの土地で、限られた本数のみを生産するワインを口にできるなら、それ以上に一体何を求めるというのだ?
今日は、「ポデーレ・サッビヨーニ(Podere Sabbioni)」のマッシモ・カルレッティ(Massimo Carletti)を紹介したい。彼の祖父マウリツィオ(Maurizio)や娘のラウラ(Laura)のこと、そしてワインを心の赴くままに楽しんでいるうちにとうとう生産者になってしまったマッシモ自身の話を。
生き方を変えたブドウ品種との出会い
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「私は偶然が重なってワイン生産者になりました。生産者になろうと明確な計画を立てていたわけではありませんし、生産者の家系に生まれたわけでもありません。祖父のマウリツィオが、1975年にモンテプルチアーノとサンジョヴェーゼを畑に植えましたが、自家消費用としてで、『上手く造れても販売せずに自分が飲んで当たり前』くらいに考えていたようです。
祖父は建築家で、絵描きで、発明家でした。工作兵として従軍し、その才能を発揮しましたが、地雷の信管除去作業に失敗して片目を失いました。ハンティングが三度の飯より好きだった祖父は、自分で猟銃のストック(訳注:銃身を支える木製の部分)を改良して片目でも獲物に焦点を定められるように工夫をしたような人でした。
ワイン造りへの愛もそんな幾千を超える創造力の一部だったと思います。祖父が亡くなったのは私が13歳の時でしたから、彼の知恵を私が受け継いだとは言えません。ですが、祖父の武勇伝の数々を耳にして育ったことにかなりの影響を受けたと思います。
当時の私の家庭環境は恵まれていました。息を呑むほど美しい田舎にあった屋敷で暮らしていましたから、常に自然との接点がありました。でも、今日の自分とワインとの関係を思うと、二十歳までアルコールを一滴も飲まなかった事実は少し驚きです。
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私がお酒を楽しむようになったのは、私たちの世代(私は1965年生まれですが)の誰もがそうであったように、深酒をしてちょっと悪ぶるといったイメージに惹かれてのことです。その当時のイタリアの白ワインと言えば、たいていは飲めば頭痛を引き起こす粗悪品でした。
その頃、ワインは今ほどもてはやされていませんでした。人々はワインの味を飲んで知り、情報は書籍から得るだけで、ソーシャルメディアも存在していませんでした。私がワインの愛好家になったのも他の多くと同じように80年代の終わりで、ワインの知識をより深めたのはフランスでの生活でした。それも実は偶然で、当時、私はファッション産業に従事していて、95年から1年間パリ勤務を言い渡されました。
パリ勤務の間、仕事の付き合いで高級ワインを口にする機会が増え、そのうちにワインの良しあしが理解できるようになり、ワインへの意識がどんどん高まっていきました。
イタリアに戻り私はマリア・グラッツィア(Maria Grazia)と結婚。2001年には娘のラウラが誕生しましたが、分娩時に脳内出血を起こし、これが原因で一生歩行困難な体となってしまいました。彼女のことは、私たちの人生の中では今では幸運の一部ですが、その当時、私もマリア・グラッツィアも絶望感でいっぱいで、自分たちの人生に取り返しのつかない変化が起こってしまったと思い込んでいました。
確かに変化は起こりました。ですが幸運なことに、それは自分たちの予想とは違っていたんです。
2009年に、1000平米ほどのモンテプルチアーノとサンジョヴェーゼが植えられている畑を購入しました。祖父にあやかり自宅用のワインを造ろうと思ったんです。生産者になるなんて考えてもみませんでしたし、それに私は赤ワインにしか興味がなかった。
実際にワインができたのは2014年のことで、ある農家の半地下の醸造所を借りて造りました。飲めた代物ではありませんでした。
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ところが、リボーナの2007年から2011年までの垂直テイスティングに参加する機会があり、これが僕の生き方を変えてくれた。より古い収穫年のボトルには、アルザスの素晴らしいワインに見られるようなぺトロール香がありました。その素晴らしさに感動し、翌2015年に初めてリボーナの苗木を植えました。
私の畑は、下方を流れる渓流を挟んで向かい合った両斜面に広がっており、周囲には豊かな生物多様性を育み、背丈のある雑木が夏の暑い盛りでも畑に心地よい清涼感のある空気をため込んでくれます。後に分かったことですが、リボーナは伝統的産地を離れて栽培するのが難しい品種で、あまり肥沃過ぎない新鮮な土壌、夏も暑すぎない冷涼な気候でわずかに通風性がある、そんな環境で育てれば病気にも抜群の抵抗力を発揮する。私の畑にはぴったりでした。
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2017年にリボーナを初めてリリースしました。その時点ではまだ二足の草鞋を履いていました。服飾関係の仕事で家計を安定させつつ、ワイン造りに情熱を注ぎ込んでいました。
私のワイン造りはその頃からのロマンチックなアプローチが今でも抜けきれていないと思います。畑は全部で4.2ヘクタールと小さく、そのうち2.2ヘクタールがリボーナ、0.7ヘクタールがヴェルディッキオ、残りの1.3ヘクタールで赤ワイン用のモンテプルチアーノとサンジョヴェーゼ、どれも土着品種を有機かつ持続可能な農法を用いて栽培しています。
私の造るワインは、フランス語でいうところの「vin de lieu(ローカルワイン)」。ワインを通じて自分たちのテリトリーを語りたい、私は自分の土地の守り人でありたい、こんな素晴らしい土地を授かったのだから私には責任があります。私が汚せるのはほんのわずか。
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醸造においても手を加えるのはわずか、マセラシオン(発酵過程で果皮や種子を果汁に漬けこむこと)もしない。当たり前のことをしっかり上手に行いたいのです。定番のリボーナには除梗機の使用もかなり神経を使います。ストラクチャーのしっかりしたリボーナ・デッラ・ファミッリヤ(Ribona della Famiglia)用には除梗(果梗を取り除きブドウの粒だけにすること)は行いません」
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潮風を思わせる風味をもつ白ワイン
ポデーレ・サッビヨーニで生産されるリボーナは3種類。定番の「リボーナ・コッリ・マチェラテージ Doc(Ribona Colli Maceratesi Doc)」(生産本数10,000本)はかなり濃いめの麦わら色で、白い花と同時に黄桃、ハチミツそして柑橘類を思わせる香りがある。口に含むと驚くほど豊かなミネラルが広がり、最後にハーブのマルバを思わせる苦味と共に深い味わいが膨らむのが特徴的。ステンレスタンクとセメントタンクを使い分けながら8カ月熟成させたものだ。
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よりエレガントなバージョンと言えるのが「リボーナ・デッラ・ファミッリヤ(生産本数2700本)」で、厳選したリボーナを用いて醸造し、12カ月熟成をかけた賜物だ。口に含んだ感じも香りもコッリ・マチェラテージと同様だが、より時間をかけて熟成することで酸味が長く持続し、普段とは違うマリアージュやファンタジーを与えてくれる。僕が食の祭典「ゴロザリア・ミラノ2019」でその年のトップワイン100本に贈る賞の中でも「Top dei Top」、いわばイタリア最高の白ワインの栄誉に相応しい一本といえるだろう。
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さらに、「リボーナ・メトド・クラッシコ ノン・ドザート30カ月(Ribona Metodo Classico non dosato 30 mesi)」は生産本数もわずか420本。スプマンテにすることで、この品種独特の潮風を思わせる風味に光を当てている。抜きんでた逸品だが生産本数が少なく、上級者向けのワインだ。
絶望が人生の大きな喜びに置き換えられるまで
「私は倫理的選択と敬意をもってワインを造りたいと考えています。ゴロザリアで表彰された2019年のまさに7月、それまで生活の糧として続けてきた服飾関連企業との仕事をやむを得ず諦めなければならなくなりました。そこでマリア・グラッツィアと手を携え、ワイン一本で身を立てることにしました。あれはワインが私を救ってくれた、それを契機に私は陽の照らす下に押し出されたのだと思っています。
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ラウラが生まれた時もそうです。彼女が背負ったハンデは、親である私たちにとって最初はまるで贖罪か何かのように思えましたが、そこで何かが奪われたとしても、いつか別の形で再び自分たちの手に戻されるものなのだとわかりました。ポデーレ・サッビヨーニというこの農園もラウラのために作ったのが始まりです。彼女自身は『こんな農園、パパがいなくなったら全部売ってやる』といつも口にしていますけどね。
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2024年7月20日、そのラウラ自身が ワイナリーがあるコッリドーネという自治体の社会リハビリ教育センター(Centro Socio Educativo Riabilitativo Il Ciclamino)内に陶芸工房を作れるよう、ワイナリーに130名を集めてチャリティーディナーを開いたんです。
その時に、自分たちのこれまでの取り組みを彼女がどれほど大切に思っていてくれたか、そして彼女が生まれた時に私たちの味わった絶望が今では人生の大きな喜びに置き換えられていることに気が付きました。
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人生において自分にぐっとくるものがあるとすると、それはワインと音楽、音楽はもちろんロック。私たちのジェネレーションにとってロック以上に青春を彩るものは他にはないでしょう?
偉大なワインのボトルを最高の方法で飲むことは、お気に入りの何曲かを耳にするのと同じくらい鳥肌が立ちますよ。
そうだな・・・デヴィッド・ボウイの『チェンジス』で後半にあるフレーズとかは、この人生を上手くまとめてくれているかな」
“Strange fascination, fascinating me
Changes are taking the pace I’m going through”
不思議な魅力が僕を魅了する
僕は変化と速度を共にする
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◎Podere Sabbioni
Contrada Volteja 3, 62014 Corridonia (MC) Italy
Cell +39 346 016 5057
https://poderesabbioni.com
パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
https://www.ilgolosario.it/it
『イル・ゴロザリオ』とは?
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イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。
(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)
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私たちの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べよう」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。
そして、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、2016年にそれぞれのWEBメディアで記事交換をスタートしました。
南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。
『イル・ゴロザリオ』で公開されている『料理通信』記事はコチラ