未来のレストランへ 04
レシピをカジュアルダウンするスキル
東京・表参道「ラス」兼子大輔さん
2020.09.07
text by Kyoko Kita / photographs by Atsushi Kondo
連載:未来のレストランへ
コロナ禍で、「自粛」に伴う経済的打撃をもろに受けた飲食業界。
それぞれの店がその時に何をすべきかを悩み、考え、店を守るための対応策を講じました。
未曾有の出来事は私たちの生活を一変させましたが、飲食店で食事をする価値を再認識する機会にもなりました。飲食店の灯を絶やしてはならないと応援する動きが全国各地で起こりました。
自粛要請が解除され、飲食店の営業が再開されると、以前とは異なるスタイルに変化した店が少なくありません。先行き不透明な状況の中を生きていくために、これまでのあり方からの変革を余儀なくされているのです。
飲食店がこの経験から学び得たことは、「次の波」や他の災害といった将来に起こりうる危機的状況に対応する力になるはずです。
甚大な打撃を受けても起き上がる底力、レジリエンスを備え、ニューノーマル時代を切り拓く、飲食店の取り組みを紹介します。
スペシャリテというアイコンで客を呼ぶ
デリ業界でのノウハウがあった「ラス」の兼子大輔シェフ、緊急事態宣言前からできる仕込みを社員総出で備蓄。注文が殺到した「フォアグラのクリスピーサンド」はスムーズな量産体制に移った。
自宅で喜ばれる「半歩先」の料理
2名分の夕食セット、家飲み用おつまみセット、お任せ5500円セット、フォアグラのクリスピーサンド詰め合わせ。新型コロナウイルス感染拡大による自粛期間中、「ラス」が売り出した通販メニューは実に多彩だった。さらにレストランとは別メニューで約15品のテイクアウト&デリバリーも導入。レストランを閉めていたわけではない。ディナーを時短営業に切り替え、代わりにしばらくやめていたランチも時間を縮めて再開した。レストランの営業を続けながら、これだけ通販やテイクアウトメニューを充実できたのは、兼子大輔シェフが2016年にオープンし、現在は都内に2店舗を構えるデリカテッセン「レシピ&マーケット」のノウハウがあったからに他ならない。
コロナ禍で、これまでレストラン営業に特化してきた多くの店が急場凌ぎにテイクアウトや通販を始めた。しかし「レストランとそれらは似ているようでいて、実はサッカーとフットサルくらい違う」と兼子シェフは言う。ボールを蹴ってゴールすることに変わりないけれど、コートの面積もボールもルールも違う。テイクアウトや通販も、各種免許の取得や成分表、栄養表示の添付など、形を整えただけではお客さんを満足させることは難しいという。「テイクアウトや通販の場合、当然作り立てではないですし、食べる時の環境や雰囲気、皿もレストランとは異なります。すると、おいしいと感じるものが違ってくるんです」
まずクオリティを感じさせながらもカジュアルであること。「レストランでは一歩先、二歩先の料理を提供していますが、テイクアウトや通販では半歩先を意識しています」。
メニューには一見なじみのあるわかりやすい料理名が並ぶが、エビグラタンにはオマールエビからとったソースを贅沢に使い、よくあるパテ・ド・カンパーニュではなく、蝦夷鹿とフォアグラのリッチなパテに技術の粋を閉じ込める。ひと品のボリューム感も重要だ。
「たとえばサーモンのマリネは、レストランで提供しているものより少しランクを下げても、厚みや量を増やした方が、満足度が高いはずです」。さらに、鴨はローストではなく再加熱しても状態の変わりにくいコンフィにしたり、塩分を含むマリネなどをサラダにのせる場合は、浸透圧で野菜から水気が出ないよう、間に一枚皿をかませる。温め直しが必要な料理には、「蓋を外してラップをし、500wで×分、600wで×分加熱してください」と丁寧なインフォメーションを添える。
すべて経験の積み重ねに違いない。ただその根底にあるのは、経営者としてのベーシックで普遍的な信念だ。「レストランは信頼に応えてこそ次がある。テイクアウトだから、通販だから仕方ないと妥協したり、お客さんの厚意に甘えてはいけないと思っています」。
優先すべきことを見極める
レストランの料理とテイクアウトや通販の料理は別物と言い切る兼子シェフだが、一つ例外があった。それはスペシャリテであるフォアグラのクリスピーサンドだ。「これまでもお土産に買って帰りたいという要望はありましたが、基本的にお断りしていました。フォアグラはとても繊細で、温度が上がってダレてしまうと元に戻らないので」。
しかし4月半ば、兼子シェフはそれを解禁した。「スペシャリテだから、なんて、もうこだわっている場合ではない、と」。以前、食堂列車の監修をした際、冷凍でもいけることは確認していた。やるならタイミングを逃さず今と、簡易的な包装で販売開始。結果は予想をはるかに超え、発売から数時間で600箱、2400個の注文が入った。
クリスピーサンド目当ての客が他の料理もオーダーするようになり、伸び悩んでいたテイクアウトと通販が一気に軌道に乗り始める。メディアやSNSでも話題を呼び、「店の存在をアピールする強いアイコンになりました」。蓋を開けてみれば、4月も5月も黒字のまま自粛期間を乗り切った。
中には手応えのない企画もあったという。知人に勧められて始めたオンライン飲み会用のおつまみセットやレストランの食事券の通販は、ほとんど売り上げに繋がらなかった。それでも「まずやってみることに価値がある」と兼子シェフは言う。「師匠であるコート・ドールの斉須政雄シェフも口癖のように言っていました、『やってみなわからん』と。やってみて良ければ伸ばすし、ダメならやめる。
チームとしてどこを伸ばすべきか見極めて、伸びるところに全力投球する。それがリーダーである僕の役目です」。何が正解かは、状況やタイミングによっても変わる。「柔軟性が必要ですね」。
クリスピーサンドの話だけではない。フェイスブックやインスタグラムの有料広告を打ってみたり、店の前にはテイクアウトののぼりも立てた。「築き上げてきた『ラス』というブランドイメージに傷はつけたくない。でも、生き残るために売り上げを確保すること、スタッフの仕事を無駄にしないことがそれ以上に大切で、そのためにできることは何でもやりました」。
考え続けること、手を止めないこと
この先、レストランはどうあるべきなのだろうか。「わかりません。でも、考え続けることと、手を止めないことが大切だと思います」。これまでも兼子シェフは、業界の常識に縛られることなく業務の無駄を省いて効率化を図り、代わりにスタッフの技術やモチベーションの向上には積極的に投資することで、オープンから8年、順調に売り上げを伸ばしてきた。また空席が増え、予約のキャンセルが続いた時期も、「仕込みを止めるな」とスタッフに言い続けた。鶏のジュや羊肉のソーセージ、クリスピーサンドの生地など、時間も手間もかかるけれど作ってしまえば冷凍のきくものは、この先どんな身の振り方をしても無駄にはならないとわかっていたからだ。クリスピーサンドの大量注文をさばくことができたのも、十分なストックがあったおかげだと言う。
今、優先すべきことは何か考え続けること。撒いた種が芽を出した時に全力で動けるよう粛々と手を動かすこと。それは非常事態を迎えてとっさにできるものではない。日常の意識や心掛けが、「いざという時、戦える力」に繋がるのかもしれない。
◎ L'AS
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☎ 080-3310-4058
17:30~22:00LO
不定休
東京メトロ表参道駅より徒歩5分
https://lasmenu.theshop.jp/