飲食店は何のためにあるのか? 02
飲食店は相変わらずデジタル化の外側に存在している
東京・富ヶ谷「アヒルストア」齊藤輝彦さん
2021.06.14
シリーズ【飲食店は何のためにあるのか?】
13年前のオープン以来、ナチュラルワインシーンをけん引する酒場として注目を集め続ける東京・富ヶ谷「アヒルストア」。3度目の緊急事態宣言の酒類提供禁止もノンアルコール営業でポジティブに乗り切ろうとしていたところ、期限が延長。確かなことは何もないままに要請が続く今、「自分なりに考えて行動するフェーズに入った」と齊藤輝彦さんは言います。
本企画は、食のプロたちに飲食店の存在意義や尊厳を問い掛けていくシリーズです。
問1 現在の仕事の状況
要請の行間を読み、自分らしい営業を続ける
5月11日までだった緊急事態宣言の期限を5月31日まで延長すると発表されたのが5月7日。3日間悩んだ末、「アヒルストア」ではワインを出すと決断しました。ノンアル営業をこれ以上続けることはできなかった。だったら店を閉めるか、ワインを出すか。僕たちの選択肢にはその2択しかなかったんです。
昨年3月30日からテイクアウトを始め、6月1日からは営業時間を15~21時に固定して、予約を取らないスタイルに。世の中の常識が変わる境目にいるのだから、そちら側に舵を切らないとしょうがない。ネガティブに捉えず、良い方向に変わる局面にいるんだと考えました。コロナがあったことで自分たちのスタイルを自問する機会にもなった。営業時間短縮要請が来ても、イートインとテイクアウトを駆使しながら売上を上げて、サバイブしている感覚もありました。
でも、今回の酒類提供禁止では翼をもがれた。酒場に酒がないとはどういうことか。なんとか笑って乗り切ろうと、ノンアルコールビールを100%ジュースで割って出したり、GW期間には自家製スープのラーメンでイベント性を持たせたり。でもそれも5月11日までという期間限定だったから。意外にノンアル営業も楽しいけれど、ベーシックにはなり得ない。付け焼刃の対応でしかなく、完成度が低すぎることを続けるのは耐え難いものがありました。
店を閉めるのは簡単です。でも、テイクアウトを続けたことで13年前に掲げたコンセプト「誰もがいつでも気軽に立ち寄れるストア」にようやくなろうとしているのに、その看板を下ろすことになる。自分たちがやってきたこと、言ってきたことが矛盾してしまう。今はよくても、向こう十年の説得力を失ってしまうでしょう。単に飲食店じゃなくて惣菜屋でもあることで、コロナ禍にイートイン営業をしても街の人に認めてもらえていた。だから僕たちには、店を開けて、テイクアウトを続ける必要があるんです。
期限延長が5月31日で終わる保証はない。オリンピックが終わるまで延長される可能性だってあるでしょう。今まで要請に応じていたけれど、行政が確信のないまま物事を決めているのを感じて、インスタグラムに「要請の行間を読む」と書きました。行政からの要請を守るだけが、コロナ対応ではない。これから先は、自分なりの考えを持って要請を咀嚼していかないと、自分たちの尊厳や仕事の意味がなくなってしまう。行間を読んで、自分たちで解釈して、自分たちらしい表現として、安全な営業をしようと考えたのです。
ワインを出すと決めた時、自分の中でロジックを考えました。
「ワインは単に酒(アルコール類)という枠にあるものではなく、それがなくては成立しないくらい食文化の中心にあり、豊かな食事のために欠かせない存在。私たちは、ワインとパンが中心にある食事を一貫して提供してきた。終わりの見えない禁酒政策には、食文化の破壊につながる危機感を覚えている。GWが終わったので、粛々と通常通りの営業に戻すことにします」
誰に言うわけでもないのですが、理由を説明できないと説得力がないし、自分を納得させられない。一歩踏み出すための土台でもありました。
但し、ワインは一人3杯まで、1組2名しか入れない、というルールを新たに設けています。3、4人で飲んでいれば盛り上がる。これはノンアルであっても同じことです。でも、2人だったらしっぽりやるでしょう。お酒を出すけど、縛りもありますよ、という態度を決めたんです。
ドキドキしながらいざ蓋を開けてみると、お酒が飲めないノンアルのお客さんと、ワインのお客さん、両方に来ていただけている。双方が自然と共存していることに、新しい時代の到来を感じます。コロナ以前は「ワイン飲まないお客さんはちょっと・・・」みたいな気持ちも正直ありましたが、もうそういう時代は終わったのかもしれません。今の感じ、すごくいいです。
問2 あなたが考える「飲食店の役割」とは?
街のランドマークであり、パワースポットである
赤いのれんの中華料理屋さんが街の印象を決定づけていること、ありますよね。飲食店は街のランドマークなのかなと思います。「アヒルストア」の周りも、この10年で飲食店が増えて、店を作った頃にはなかった「奥渋」みたいな言葉もできた。渋谷と呼ばれる範囲が広がり、それに伴って家賃も相当上がりました。小さな飲食店があるだけで、不動産価値まで変わってしまう。それくらい飲食店は、街の看板的な存在だと言えるでしょう。だって、立石(注)から酒場がなくなったら、街の魅力半減でしょう。
(注)東京・葛飾にある「飲み歩きの聖地」として知られる街。
僕にとって飲食店は、パワーをもらいに行く場所、パワースポットだとも思います。パワーを感じない店は、食べ物やお酒を出していても飲食店だとは思いません。立石のもつ焼きの店「宇ち多゛」は憧れの酒場。凛とした空気の中に見えないルールや規律があり、ルールの中で静かに品良く飲む、大人の空間。料理といい、サービスといい、この箱で行われているすべてがアートで、飲食店とはここまで芸術の高みに行けるのだと思わされる。30分しか店にいないのに、毎回、半泣きになるほどの感銘を受けます。大手外食チェーンでも、現場スタッフはもちろん経営者のフィロソフィや気迫が伝わってきて、泣きそうになる店はあります。かつて、母と渋谷の「サイゼリヤ」に行き、青豆のサラダとジャガイモのグラタンを食べながら100円の赤ワインを飲み、2人して涙があふれてきたことがある。イタリアの味がちゃんとそこにありました。
昔、移動販売をやっていましたから、店のない所在なさや実体のない苦しさを知っています。今、僕はこの店に守ってもらっているから、いろいろやれる。店を持たずに出張料理人という選択をする人はハートが強いなって思います。弱い人間こそ、店という場を持ったほうがいい。飲食店が流行るのは、バーチャルな時代に人間の本能で、衣食住に関わる部分に実体を欲するからではないでしょうか。数値化できないからこそ、飲食は面白くて魅力がある。デジタル化されない最後の砦なんでしょうね。
問3 飲食店の存続のために、今、考えていること。
自分が培ってきた価値観を世の中に問う
『渋谷のラジオ』(齊藤さんがホストを務めるラジオ番組)で、ワインバー「HIBANA」の永島農(あつし)さんが、「ある年齢から、味覚だけでおいしいものにあまり興味がなくなってきた。口の中でおいしいと思うものって、口内における一瞬の快楽でしかない。明日になったら忘れてしまう。僕は単においしいワインじゃなくて、フィロソフィを持って造られた本質的なワインを注ぎたい。それはその人の心と身体にずっと残るから」と話していました。自然派ワインがここまで広まったのは本質的だから。おいしいだけだったら、ここまで人の心を動かしていなかったんじゃないか。僕が漠然と思い続けてきたことを、永島さんが言語化してくれた気がしました。
飲食店の存続も、フィロソフィがあること、本質的であることに尽きると思います。店主の確固たるビジョンがあって、スタッフ全員がそれをイメージできないと、コロナ禍のような世の中の変化に対応できない。なんとなくやっている店は、淘汰されていくんじゃないかな。
うちだけじゃなく、他店のスタッフからも開業の相談を受けることがあって、事業計画書を見ると、こういう街だから、こういう人たちが住んでいるからと、マーケティング視点で語る人が多い。マスを狙う大手だったらわかるけど、個人が小さな店を作るということは、その人の人生観やフィロソフィを、今までの社会にない新しい価値として世に問うことだと思うんです。料理人だったらそれまで培ってきた料理の技術や考え方を。サービスの人だったら、サービス哲学を。僕みたいな転職組だったら、飲食が好きで、飲んだり食べたりする中でこういう店があったらすてきだろうと培ってきた価値観を。僕はこのような生き方をしてきたけど、どうですかって。
強いフィロソフィがある店は、多かれ少なかれファンが付いて、店は続く。逆にフィロソフィがないなら、店なんかやらないほうがいい。「これやったらウケるんじゃないか」というのも大事だけど、それだけじゃ弱いと思います。みんな本気なんですよ。残っていくものにはただならぬ気迫を感じる。それは狂気とも言えるかもしれない。狂気を持ち続けられる店こそが、残っていく飲食店だと思います。
【動画】インタビュー・ダイジェスト版をご覧ください。
◎アヒルストア
東京都渋谷区富ケ谷1-19−4
☎03-5454-2146
15:00~20:00
*営業時間や営業形態は状況に応じて変わります。
Instagram:@ahiruani