「手当」の技術で、魚の未来はもっと拓ける。命をつなぐ魚屋「塩谷魚店」
【青森】中田英寿が案内する、クラフト生産者を巡る旅#02
2026.04.16
text by Kyoko Kita
魚の脊髄にワイヤーを通し、瞬時に神経を断つ「神経締め」。日本発の食技術「IKEJIME」として、世界に広がりをみせています。2020年、イギリスでは独自の認証制度「Ikejime Quality Certification」が誕生。カリフォルニア発AIロボットは魚の脳の位置を自動識別し、7秒で処理を完了。24年からは船上での本格稼働も始まっています。
14年「北日本神経〆師会」を立ち上げた青森・塩谷魚店の店主・塩谷孝さんは「神経締めは魚の命をつなぐ一手段に過ぎない」と語ります。変化する海を前に、魚屋として、漁師から受け取るバトンをどこへ向かって走らせるのか。中田英寿さんが訪ねました。
目次
「血抜き優先」か「脳殺優先」か
これ、今朝あがった魚。マコガレイ、ノドグロ、イシナギ、アイナメ。昨日の9時に締めたマコガレイと、今朝締めたマコガレイ。食べ比べてみてください。
魚の締め方は、「血抜き優先」と「脳殺優先」という二つの方法で見せましょう。お客さんがどう使いたいのか、魚の種類や状態によって選びます。
アイナメは、血抜き優先の方法です。まず、魚の頚椎のあたりに包丁の刃先を入れて切断します。こうすることで魚は下半身不随になり、バタバタと暴れなくなります。暴れてしまうと魚の体が熱を持って身が焼けてしまう。そうするとおろした時に身が真っ白になって、水も出る。
次に、エラの付け根にあるエラと頭をつないぐ太い血管を丁寧に傷つけます。心臓のポンプ作用で、「ドクンドクン」と、自動的に血が抜けていく。状態の良い魚なら心臓の動きも活発で、血の抜けも早い。だから、できるだけ元気のある状態の良い魚を選んで処理するんです。
このやり方だとほとんど全ての血が抜けてしまいます。だから、長期保存や数日寝かせて熟成させたいという場合にこのやり方を選ぶ。完全に血を抜くことで、血中の雑菌の影響を最小限にできるので、適切な保存条件があれば、腐敗よりも発酵へ向かいやすくなります。
マコガレイは脳殺優先で手当てします。マコガレイのような平魚は、脳の位置が独特なんです。まず、頭頂部の脳の位置を狙ってT字スパイクで脳天をついて破壊します。その穴から背骨に沿ってらせん状のワイヤーを通して、神経を絡め取ります。黒かった部分が、スッと明るい色に変わりましたね。うまくいった証拠です。
この色の変化が重要です。色が鮮やかに変わるということは、神経がしっかり抜けたと同時に、この魚が力がある証拠。「締めるに値する魚」だという目安になります。色が徐々に変わるようなら、魚がちょっと弱ってる可能性がある。
神経が抜けたらエラの脇を切って、氷水につけて10分くらい血を抜きますが、血抜き優先とは違って、血の抜けは緩やかです。程よく血が残り、これが、香りや旨味につながります。
昨日締めたマコガレイと比べると、今、締めたばかりの方が身は締まってますが、昨日の方が旨味はのっているでしょう? 刺身だったら締めたて、すしなら置いたほうが合うかもしれません。
手当の“理由”を、言語化する
神経締めは魚をおいしくする技術と思われがちですが、正確には、魚の死後硬直を遅らせて、鮮度を維持することが目的です。どんな魚でも神経締めさえすればよいということではない。良い状態で揚がった魚であることが前提ですし、いつ食べるのか、どんなふうに食べるのかによって、あえて神経締めをしないこともあります。
「放血」「冷やし込み」も重要なプロセスです。放血は、先ほどやったようにエラの脇にある太い血管を傷つけて泳がせ、心臓のポンプの力を使って自然に血を抜く作業です。血は生臭さや腐敗の原因になるため、できるだけ抜いたほうがよいという考え方があります。僕も以前はそう思っていたのですが、今はある程度血が残っている方が魚らしい香りや味わいが生きてくると感じています。
寝かせて使ったり、届くのに1~2日かかってしまう遠方のお客さんにはしっかり血抜きをして送りますが、すぐ使う場合は、魚の種類や状態、お客さんの好みに合わせて、どの程度血を残すのかケースバイケースで対応します。
僕は魚屋ですが、ただ売るのではなく、オーダーメイドで魚を“作る”のが仕事だと思っています。神経締めをするのかしないのか、神経締めと放血どちらを先に行うか、何度で何時間冷やし込みをするのか、生け越し(魚のストレスを抜くために生簀で休ませる)をするのかしないのか、その選択のすべてに理由があります。
良い魚とは何か。それは、食べる人が口に入れた瞬間に「うまい」と感じる魚です。こうしたプロセスは、それ自体が目的ではなく、あくまで手段なのです。
魚を“作って”終わりでもありません。青森は4つの海に面していて、同じ真鯛でも時期や場所によって食べているものが違います。甲殻類を食べていると熟成がゆるやかですし、ベイト(イワシなどの小魚)を食べていると脂の酸化も早くなる。他の食材との相性も変わってきます。そういった情報をお客さんに伝えることもバトンを渡す者としての役割だと思っています。
高値でなく、底値を上げる
この数年、海は本当に変わってきました。温暖化の影響でかつて上がらなかった南方系のクエ、キジハタ、マハタが増えてきた一方で、青森の伝統的なサケ、サクラマス、ホッケが上がらなくなった。青森では昔から春になるとシャコがよく獲れて、お花見や運動会の弁当には欠かせませんでした。でも獲り方を知っている世代が抜けてしまい、ここ数年あまり見なくなりました。
今、危惧しているのは、今まで獲れていた魚が獲れなくなり、地域の食文化が失われていくことです。こういったことは全国の浜で起きていると思います。どうしていくかは、食べる人も含め、魚に関わる全ての人が考えていく必要があります。
次の世代につないでいくには、魚の質を高めて魚価を上げていかなくてはなりません。
平成26年に「北日本神経〆師会」を立ち上げて、あちこちで勉強会を開いているのも、自分が試行錯誤しながら身に付けた技術や知識、販売網を多くの漁師さんや漁協に広げていきたいと思ったからです。
海外にももっと売っていきたいですね。すでに十分通用するレベルだと思いますが、仕組みが整っていません。こちらも勉強していかなくてはいけません。
適切に処置をした良い状態の魚は、冷凍してもドリップが出にくい。海外向けだけでなく、国内でもヒスタミンやアニサキス対策として冷凍魚には一定の需要がある。技術があればもっと差別化していけると思います。
これからは漁獲量で全国と戦うことはできない。だから、品質で戦う。単なる新鮮さじゃなく、魚そのものが持つ生命力を最大限に引き出すこと。
多くの人は「高値を上げろ」と言うけど、僕が考えるのは「底値をどう上げるか」。特別に高い魚をつくるのではなく、普通の魚の質を引き上げることで、漁師さんたち全体の底上げができる。だから、いかに価値をあげるかの技術を伝える活動を続けています。
次の世代の漁師や魚屋が今よりもっと新しくて良いものをつくっていけるよう、僕らがどれだけ土台を渡せるか。60歳になっても、熱い気持ちをもって挑戦し続けたいですね。
自由経済の中で、“魚の未来”は守れ切れるのか(中田)
あらゆる一次産業が、かつてない試練に直面しています。温暖化による海水温の上昇は、磯焼けや魚の生息域の変化、さらには養殖カキの大量死といった異変を次々に引き起こしています。追い打ちをかけるのは、燃料費や人件費の高騰です。漁に出ても手元に残るのは赤字だけ。そんな過酷な状況下で「漁師として食べていくこと」さえ難しくなっています。当然、次世代に跡を継がせるのをためらう声も多く、高齢化と担い手不足は深刻さを増す一方です。
これは漁師だけの問題ではなく、私たちの食卓の未来に関わることです。
塩谷さんと話して改めて感じたのは、魚の価値を正当に見つめ直し、適正な価格で取引される環境を作ることの重要性です。「神経締め」のような高い技術は、単なる作業ではなく、魚の価値を守り抜くためのプライドのようなものでしょう。こうした努力が報われるよう、まずは魚の価格そのものを底上げしていく視点が必要です。
しかし、現場の漁師さんが自分たちで価格を決めるのは容易ではありません。卸や飲食店、そして私たち消費者が「安さ」以外の価値に目を向け、支えていく意識が求められています。もちろん、値上がりは家計に響きます。でも、今のままの市場の仕組みだけで、この先もずっとおいしい魚を食べ続けていけるのでしょうか。
これはもはや、個人の努力を超えた「仕組み」の問題かもしれません。食べるものを作る営みをすべて市場の競争に任せてしまってよいのか。それとも、みんなで支え合う大切なインフラとして考え直すのか。今、その分岐点に立っているように感じます。先が見えない今の時代、漁師や農家の方々が安心して作り続けられるよう、先払いで支える仕組みや、最低限の暮らしを支える仕組みを本気で考えていくべきではないでしょうか。
「足りないなら輸入すればいい」という考え方もあります。でも、世界情勢がこれほど不安定な中で、外に頼りきりの未来に本当の安心はあるのでしょうか。
日本には豊かな自然があり、近くでとれたものを最高の状態で食べようとする知恵がありました。その工夫が、世界に誇る食文化を形作ってきたのです。地域の自然を大切にしながら、それを糧に生きていく。それこそが、自然にとっても人間にとっても、一番健やかで持続可能な姿なのだと思います。
◎塩谷魚店
青森県青森市本町5-10-7
☎017-734-8221
http://www.shioyagyoten.com/index.html
【連載】中田英寿のクラフト生産者を巡る旅
中田英寿(なかた・ひでとし)
1977年生まれ。山梨県甲府市出身。元サッカー日本代表。引退後、2009年より16年以上にわたり全国47都道府県を旅し、2015年に日本の文化や伝統産業に革新をもたらし、未来へつなげるために「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。日本酒を始めとし、日本茶や工芸など日本文化の市場拡大に貢献するほか、地域の知られざる魅力を丁寧に伝えるウェブマガジン「NIHONMONO(にほんもの)」やポッドキャスト「NIHONMONO ~中田英寿 『にほん』の『ほんもの』を巡る旅〜」などで、日本文化を国内外に発信する活動を続ける。
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