ルセットに縛られない 味見を軸にした料理人的感覚
東京・千石「トレカルム」木村忠彦
2024.03.28
text by Rieko Seto / photographs by Masahiro Goda
(写真)「イヴェール」。上品な甘さの中に爽やかなカボスの酸味を湛えたムラング・シャンティイ。ほのかに広がるナッツメグの余韻が心地いい。
一度食べたら忘れない、「この人のお菓子をまた食べたい」と思わせるお菓子には、その人にしか描けない味の着地点と、おいしくなる原理原則が詰まっています。
若手からベテランまで、6人のパティシエの人格のあるお菓子への道筋を解き明かします。第4回は東京・千石「トレカルム」のイヴェール。
「僕自身は、料理人を辞めるとも言ってないんですよね」。取材中、「パティスリー トレカルム」木村忠彦さんはぽつりと言った。
小学生の時から「コックさんになりたい」という夢を抱き、調理師免許の取れる高校へ進学。卒業後は、会員制ホテルでフレンチの料理人としてキャリアをスタートさせた。衝撃的だったのは、賄いで出されたハンバーグ。ソースがフォン・ド・ヴォーで、それまで全く出会ったことのない味わいに、「なんだこれは!」と、驚いた。同時に、「すごくワクワクしたんです」と、木村さん。しかし、フランス料理を追求すればするほど突きつけられたのは、フランス文化に全く触れたことのない自分の感覚。何がおいしくて何がまずいのか、突き詰めるべきところがわからなくなっていったのだという。
レシピの数値に頼らず
舌の感覚を研ぎ澄ませて
シェフに相談したところ、「お前は器用だし機転も利くほうだから、パティシエ向きかも」と勧められ、菓子の研修へ。そのままシェフ・パティシエを務めて今に至るというのが、木村さんの経歴だ。「やってみるとお菓子は表現しやすいし、おいしいものがわかりやすいな、と思いました。
ただ、基礎が全くないので、『オーボンヴュータン』の河田勝彦シェフの『ベーシックはおいしい』(柴田書店刊)を何度も読んで、作って、自分で勉強。だから今でも僕は、パティシエらしい理論って持ってないんですよ。食べておいしければ、それでいい。パティシエが料理の要素を加えるというより、料理人がアシエット・デセールを作るようにお菓子を作っている、そういう感覚です」
それを最もよく物語っているのが、木村さんは菓子のレシピを基本的に残さない、という事実だ。季節が巡り、前年と同じ菓子を作る時も、「こんな感じかな」と、作ってしまう。「菓子は科学」とも言われ、菓子作りにルセットは欠かせないというのが一般的な考え方だと思われるが、「配合が1gでも違えば全然違うものができる、と本で読みましたけれど、実はその感覚がよくわからないんです」、と木村さん。
「舌の記憶は曖昧なもので、気候や環境、体調によっても感じ方が変わります。同じ配合だって、味が変わったと言われる。ならば配合に頼らず、味見をして自分の舌の感覚を頼りに、おいしいと思うものを作りたい」。料理から菓子の領域へ踏み込んだとき、一番違和感を覚えたのは、パティシエたちが味見をほとんどせずに菓子を作ることだったという。
既存の“ おいしい”を崩した
印象に残る菓子を
木村さんの菓子作りのもうひとつの大きな特徴が、スパイスやハーブの意外で多彩な使い方だ。「イヴェール」と名付けたカボスとフランボワーズのムラング・シャンティイ(レシピは「無理やり」出してもらった)にすりおろして加えたのは、肉料理によく使われるナッツメグ。「卵白の臭みを消したかったのと、フランボワーズの刺々しさに丸みを出すために使いました。結構な量を入れますが、全体的にはあまり感じないと思います」。なるほど、食べるとすべてが調和して、じわっと広がるスパイスの余韻が心地いい。
「知らない味に出合うのって、ワクワクするじゃないですか。僕が初めてフォン・ド・ヴォーを食べたときのような驚きをお菓子で表現したいんですよね、スパイスやハーブはそのひとつのツール。バランスよくまとめすぎるよりも、少し崩すことで印象に残る味になるんです」。複数のスパイスやハーブを組み合わせて隠し味的に使うことも多く、それがかえって、「これは、何?」と興味を惹きつける効果に繋がる。
ほかにも、バターモンテのように、ガナッシュをクリームやクーリに加えたり、各パーツの口溶けの速度を変えることで、デザートのショー・フロワ(温かいものと冷たいものの組み合わせ)の感覚を冷たい菓子のなかで表現したいと語ったり。パティシエとは異なるアプローチと研ぎ澄まされた舌の感覚で、次々に繰り出される木村さんの菓子は、いつも一筋縄ではいかない感動と驚きに満ちている。
【思い描く味の到達点】
調和の取れた口溶けの余韻
柑橘の酸味とスパイスで驚きを潜ませて
メレンゲとシャンティイを一緒に味わうのが醍醐味のお菓子。カボスの皮を加えたメレンゲ、エキスを加えたシャンティイの爽やかな口溶けに、フランボワーズの酸味が重なり余韻へと続く。
カボスの皮はもちろん、ナッツメグもホールからすりおろす。量は入っているが、味覚的にはほのかに感じる程度。
2色のメレンゲは、低温でじっくり焼いた後、そのままコンベクションオーブンの中で一晩を明かす。
コンフィチュールにもカボス果汁とナッツメグを加える。フランボワーズの少しとがった酸味を丸くする効果がある。
◎トレカルム
東京都文京区千石4-40-25
☎03-3946-0271
11:00~19:00
不定休
都営線千石駅より徒歩5分
https://www.tres-calme.com/
※営業時間・定休日が記載と異なる場合があります。事前に店舗に確認してください。
(雑誌『料理通信』2021年1月号掲載)
◎掲載号はこちら
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