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PEOPLE / 料理人・パン職人・菓子職人

東京・銀座 「季苑」

鈴木建也 Tatsuya Suzuki

Oct 14, 2021

text by Sawako Kimijima / photographs by Syu Tsuchida

今春、銀座にオープンした日本酒と和食の店「季苑(きおん)」で腕をふるうのは、28歳の料理人・鈴木建也(写真右)さんと25歳の唎酒師(ききさけし)・土井貴文さん(写真左)、若い2人だ。世の中の仕組みや価値観が急激に変化していく中で、料理人のなり方やあり方も多様化してきたが、鈴木さんが料理人になるためにとった手段はユニーク。いや、ユニークというより本質的で実質的。何より、今という時代を映し出している。


どうやって料理を学んだか?

食の仕事がしたい。でも、何をやればいいのか、何ができるのかわからない。という人は多いだろう。
鈴木建也さんがそうだった。食の仕事に就きたいとは思ったものの、どんな関わり方ができるのか、イメージがつかなかった。結局、普通に大学を出て、ITベンチャーに就職する道を選ぶ。しかし、仕事の無理がたたって身体を壊し、立ち止まって考えた。自分は、この先、どう生きたいのか? やっぱりやりたいことをやったほうがいいんじゃないか?

給料のほとんどを食べ歩きに注ぎ込むほど飲食店に通っていたが、背中を押したのはラーメンだった。「東京・大森にある『Homemade Ramen麦苗』というお店です。食べ手の健康に配慮して化学調味料は使わない。身体にも心にも染み渡る味わいに魅了されたんです」

毎週通って食べた。食べる度に作り手の慈しみを感じた。活力が湧いてくる感覚があった。「どうしたら、こんなものが作れるんだろう?」。次第に「自分も作る側に回りたい」との思いが積み重なっていった。
料理人になろう――心が決まりかけた時、たまたまネットで島根県海士町(あまちょう)の「島食の寺子屋」を知る。「1週間後には海士町に見学に行き、会社に辞表を出していました」

海や山が教材。カリキュラムはない。

「島食の寺子屋」とは、海士町観光協会が運営する1年制の料理人研修制度だ。「和食の入り口に正しく立つ」がモットー。調理技術を教えるというより、食との向き合い方を教える学校と言ったほうがいいだろう。「カリキュラムはありません。その土地、その季節に自然から与えられるものを料理する、料理の原点を海士町の風土を舞台に学ぶんです」

山に入って山菜や筍を採り、処理の仕方や食べ方を教わり、港へ行って水揚げと仕分けを手伝いながら、魚を捌く練習をした。「調理師学校とはアプローチが逆ですね。調理技術を段階的に指導されるわけではない。今ここにある食材でどんな料理が作れるか、よりおいしく食べるためには何をすればいいか、大量に捕れた食材はどう保存するか、といった作業を行なう中で技術や知識を身に着けていきます」

自然ありき。自然が教材。生徒4人に常駐の先生が1人という、まさに寺子屋である。「山に入ったり、土に触れたり、全身と五感で体得する。季節が刻々と変化していくので、一期一会の学びです」

筍を掘りに竹林に入っていく。調理の前に、植生を知り、収穫するところから始まる。

港で漁師さんたちの水揚げと仕分けの手伝い。海では漁師が先生になる。

魚を捌く練習。周囲の海にいる魚が教材だ。生態を知った上で調理に取り掛かれるのが強み。


最初の2カ月は包丁を手になじませるため、ダイコンを畑から抜いて来てはかつらむきとせん切りの練習。その後は寺子屋が運営する飲食店「離島キッチン」での実践が待つ。といったおおまかな設定はあるが、「何を学ぶかは本人に委ねられている」と鈴木さん。
「主体性がなければ、何も進まない。目指す料理人像に近づくにはどうすればいいか見えてなかった僕は、主体的に決めなければいけない環境に鍛えられました」

ミュニシパリズムという言葉がある。「地域主義・自治体主義」の意で、地域に根付いた自治的な民主主義を指す。行政による制度や大資本が支配する既存のシステムに従うのではなく、住民自らが持続可能な農と食の実現のために仕組みを作り上げていく。つまり、物事の決定プロセスを市民の手に取り戻す活動を言う。
「島食の寺子屋」はいわば料理界のミュニシパリズムだ。思えば、食のミュニシパリズムはここ数年のトピックと言えるだろう。確立された高度な調理技術を受講や修業で習得するのではなく、独学で試行錯誤しながら技法を獲得していく動きは、発酵や熟成のブームにも見ることができるからだ。

食本位制の経済システム。

島食の寺子屋での学びを、鈴木さんは自身の中で次のように捉えていた。
1.技術の習得、2.実践による経験の蓄積、3.食材を知る。
島に来て半年ほどが過ぎたところで、鈴木さんは「3」と取り組む決意をする。
生産者の仕事の一部始終を目の当たりにすべく、半農半漁の宮﨑雅也さん宅に2週間ホームステイした。そこで、自分がいかに何も知らなかったか、独りよがりだったかを思い知らされる。
「たとえばカブってこういう味なんだってことから、自然と自分はつながっているんだってことまで、腑に落ちました。宮﨑さんはコンポストで堆肥作りをして有機栽培を手掛ける農家さんなのですが、自分の食べていたものが土に還って作物になる循環をまざまざと見た気がします」

最終日、宮﨑さんの奥さんから何気なくかけられたひと言が忘れられない。
「たっちゃんの料理って、作品を作っているみたいだね」
鈴木さんははっとした。思い返せば、採れたてのナスを硬いからといって皮を剥いてアク抜きをしたり、ピーマンの種を捨てていた。皮や種は食べないものと決めつけていた。アクを抜く必要は本当にあるのか、皮にも種にも生かしようがあるのではないか、そもそも野菜の個性はどこにあるのか、考えていなかった。
「作りたいカタチがあって、そのカタチになるような調理をしていた。素材に向き合い、食べ手に向き合っていなかった」

ホームステイの間、考えさせられることは多かった。宮﨑さんは自給用に刺し網を仕掛けることがあり、夜明けと共に揚げに行く。と、アジ、タイ、クエ、ハタ、時にはサメまで、いろんな魚がかかる。海に負荷がかからないような稲作もしていて、藁だけを戻した田んぼで米を育てる。
「宮﨑さん、『家庭水田』を提唱しているんです。家庭菜園ならぬ家庭水田です。一世帯一田んぼ。自分で食べる米は自分で育てようよって運動です」

宮﨑さんの水田。寺子屋の生徒たちも田植えを手伝う。家庭水田の普及をnote で呼びかけている。

ここでは生活の真ん中に食がある。食から生活が組み上がっている。金本位制ならぬ自然本位制にして食本位制の経済システムだ。
「物々交換が盛んなんですよ。米と魚を交換するとか、陶芸家さんは器と米を交換する。陶土は農家さんの田んぼの土で、『土が生きている』って言っていました」
お金を介したやりとりより、血の通った人間同士の顔の見えるやりとりほど豊かなものはないと身に染みた。


生きる力になる料理。

「季苑」の立ち上がりは、在日アメリカ大使館総料理長だったマリベス・ボラー氏が期間限定で監修者として入り、鈴木さんが調理するという役割分担でスタートした。その期間が終了した6月、鈴木さんは正式に料理長になる。
「マリベスシェフには圧倒的な世界観がある。日本人にわかりにくそうな味の組み立ても、『これが私の料理よ!』と自信を持って出す。その強さがお客さんを引き付けるんだと思いました」
自分にはまだそれがない・・・。不安を取り払ってくれるのが、唎酒師の土井貴文さんとディスカッションしながら組み立てる日本酒とのペアリングだ。「料理を考える指針になり、助けになっている」と鈴木さんは感じる。

「経産牛の包み焼き 醤油もろみとカカオパルプのソース」には、岩手県「とおのや 要」のどぶろくをぬる燗で合わせる。

「酵素玄米と黒千石大豆のちまき」には、古代米で仕込んだ京都・向井酒造「伊根満開」をぬる燗で。

土井さんは大学時代のアルバイト経験から日本酒に魅了され、全国の酒蔵を訪ねるように。2019年に唎酒師の資格を取得、2020年には山形県小国町(おぐにまち)の桜川酒造で研修も。

ラーメン店の「麦苗」には今も毎週通って、やさしさが染み渡るあの感覚を身体と心に刻み付ける。
「おいしいを通り越して、生きる力になる料理。それが僕の原点だから」
最近、薬膳や漢方の考え方を取り入れた食材選びを心掛けるようになった。気温が下がれば身体を温める食材を取り入れ、コースの中でも酒が進んだ頃にはほてりを冷ます効果がある食材や、アルコールの分解を助けるフルーツを使うなど、気遣うのは食べ手の身体だ。
料理は何のためにあるのか――鈴木さんの行動指針はそこからぶれることがない。

鈴木建也(すずき・たつや)
1993年東京都生まれ。中学はインターナショナルスクール、高校はハワイのボーディングスクールと英国ウィンザー近郊にある日本系の学校に通う。大分県別府市の立命館アジア太平洋大学卒業後、ITベンチャーに就職。3年間勤めて退職、2020年4月より島根県海士町の「島食の寺子屋」で3期生として料理を学ぶ。今春「季苑」へ。


◎季苑
東京都銀座8-7-10 FORGED GINZA B2F
☎03-6263-8180
17:30~21:00
日曜休
https://www.kion-ginza.jp/

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