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PEOPLE / 寄稿者連載

100年先も 愛されたい。
「リアルブレッド」が、地域をまわす。

「パンの道の駅」メイキングオブ 第1回

2025.03.25

photographs by 𝐦𝐚𝐚𝐲𝐚.

連載:池田浩明さん連載

よいパンは人を集める__じわりと増えてきた「パン」×「地方」の取り組みは、このエネルギーの転用例です。でも、そもそも地方のパンって何でしょう?国産小麦を取り巻く環境が大きく変わる今、地方でパンを焼くならば、改めてその意味を考える必要がありそうです。
その土地で長く愛され続けるパン。地元農家と関わり合い、地域の食文化を語り、やがて巣立つ子どもたちの郷土の味となり、誇りになる。そして、とびきりおいしいパンってどんなパン? そんな疑問を、パンの研究所「パンラボ」を主宰する池田浩明さんが探求します。目指すは2028年にオープンする福岡県川崎町「パンの道の駅」のプロデュース。
池田さんの開業までの思考過程を追います。


池田浩明(いけだ・ひろあき)
パンの研究所「パンラボ」主宰、新麦コレクション理事長。ブレッドギーク(パンおたく)。パンを巡る小麦の生産者、パン職人、消費者を、縦横無尽につなげる機動力と企画力の持ち主。


リアルブレッドを求めて

歴史を紐解くと、フランスやイタリアをはじめ、世界の多くの伝統的なパンは、地元で育てた小麦をいかにおいしく、効率的に食べるかを追求して進化してきた。それに対して、戦後から始まる日本のパンは、輸入小麦から作られることを前提としている。

日本で発展した、あんぱん、カレーパンのような菓子パン、惣菜パン、あるいは食パン。油脂や糖分など副材料を加えたふわふわのパンは、グルテンを作りやすい北米産小麦なくしてはありえなかった。確かに、これらは僕たち日本人の嗜好を色濃く反映している。だが、素材本来がもつ味への感動や、それを支える農業という視点から考えたとき、日本の風土から遊離して存在してはいないだろうか。

麦を主食とする国において、パンとはいわゆる「食事パン」だ。食卓の中に置かれて、小麦の音色によって、他のお皿の素材と響き合い、食事を進める。パンは食卓における他の食材のハブであり、同伴者となる存在なのだ。

地域からパンが生まれ、そのパンが地域の食材をおいしくする、食卓での幸福な関係。

バゲットでいうなら、パリ近郊で産するバターやチーズ、さらにジャンボン・ド・パリと呼ばれるパリ特有の豚ももハムをはさんだ「ジャンボンブール」「ジャンボンフロマージュ」は、フランスのおにぎりのような国民食だ。フォカッチャも、イタリア産のオリーブオイルやローズマリーをかけ、トマトやモッツァレッラやルーコラ、プロシュートといったイタリア食材をはさむ。同じ土地から生まれてくるもの同士だからあんなにうまいのだ。

ジャンボンフロマージュ / 神奈川・北山田「パンと菓子 いろり」

前者でいうなら、濃厚な香りを漂わせるフランス産の発酵バターと、クラスト(皮)に焦がしバターのような香りを漂わせるフランス産小麦で作るバゲットでなければ、あのおいしさにはならない。パンを愛するものとして、食べるたびに感動してしまう。

地域のとれたて、作りたての素材で作られたパンは、そこにいかないと食べられない。ゆえに人々を惹きつけ、地域の価値を高める。それが、ナポリピッツァのような職人技で作られるクラフトなものだったら、テロワールを生かした最高の食べ物になるだろう。

僕はこれをリアルフードとしてのパンという意味で「リアルブレッド」と呼びたい(言葉の由来についてはこの連載でいつか語る)。

僕は今、この「リアルブレッド」によって地域再生を行うプロジェクトに関わっている。福岡県川崎町に2028年春に開業する「パンの道の駅」。地域の生産者が食材を持ち寄るファーマーズマーケット、理念に共感したパン職人が働くパン工房、そしてこのパンをおいしく食べるためのメニューを地元産食材から作り、提供するレストランを併設する。

「パンの道の駅」の完成予想図

さらに地元産のブドウで造られたワインを飲めるカウンターやカフェも設け、地元の人たちや川崎町に立ち寄った人たちが集えるコミュニティとして機能させることも計画している。

窓の向こうには田園が広がり、そこで小麦や米を無農薬で栽培する。小麦は館内の石臼で製粉し、挽きたてでパンになる。このパンがハブになり、地域内で食の循環をまわし、農業を振興し、地元に活力を生みだすのだ。

この連載は、川崎町「パンの道の駅」のメイキングオブとして進行する。パンの道の駅を作るために、アドバイザーである僕は旅をして、さまざまな事例を訪ね、そのエッセンスを注入する。事業のためのイベントやトライアルなど、その過程を記録していく。

サワードウ × IT カルチャーの関係性

第1回の報告は、東京のど真ん中・渋谷から。
「サワードウ」×「渋谷」をキーワードに、パンと街の関係性を考えるトークイベントである。企画のきっかけは、「ルヴァン」を皮切りに、「パン屋 塩見」「BRØD」「fumigrafico (フミグラフィコ)」「dough-ist (ドウイスト)」など、渋谷にサワードウを焼くベーカリーが多いという発見からだった。

2025年2月、パンラボと『OZ MAGAZINE』、そして、会場となった「404 NOT FOUND」を運営する渋谷遊び場製作委員会の共催によるトークイベント「SHIBUYA SOURDOUH TOWN TALK」。

サワードウとは、一昔前なら「天然酵母」、厨房で自前で育てた発酵種で作ったパンの総称を指す。あるいは、「サワードウ」という言葉自体、伝統製法のパンを高加水や高温焼成という現代的なアプローチで蘇らせた「タルティーンベーカリー」(サンフランシスコの世界的名店)流カントリーブレッドを指す記号ともいえる。

SNSを通じて全世界に作り方が拡散、料理界における発酵ブームの流れとも呼応し、アメリカのみならず北欧中心にヨーロッパなどでも同時多発的にムーブメントが広がった。
この動きがリアルブレッドを現代に取り戻す上で重要だと、僕は考えている。

登壇者の言葉を順に拾ってみよう。
前半は、アメリカ西海岸に在住経験があり、サワードウムーブメントの盛り上がりを目の前で見てきた米国ビジネスモデルコンサルタントの清水ひろゆきさんからの報告が行われた。

(左から)池田浩明さん、OZマガジン編集長・久万田萌さん、清水ひろゆきさん。カルフォルニアのサワードウには地域に土着する乳酸菌、ラクトバチルス・サンフランシスエンシスが含まれると言われている。

1840年代のゴールドラッシュ以来の伝統があり、地域に土着する乳酸菌から醸される種で作られるサンフランシスコのサワードウ。湾岸エリアであるフィッシャマンズワーフ地区は、イタリア系移民の漁師たちが定住し、漁業の拠点でもあった。この町の名物「ボウディン ベーカリー&カフェ」のクラムチャウダーボウルは、サワードウをくりぬいてお椀に見立て、クラムチャウダーを注いだパンだ。

新しくは、ミッション地区に2002年に登場した「タルティーンベーカリー」。交差点の角にある古いカフェの物件に巨大な高性能オーブンを置いて、カントリーブレッドやサンドイッチ、タルティーヌを提供する。朝の時間は、デニッシュとコーヒーを朝食にする人たちで賑わう。店の存在は、多文化が混ざるミッション地区を、ホットでファッショナブルな街のイメージに変える後押しをし、界隈の発展に貢献した。

「タルティーン・ベーカリー」地元の素材と、そこに生息する酵母で、そこの気候の中でパンを焼く。風土を映し出すパンづくりを目指した。

同じくミッション地区にある、タルティーンに次ぐ次世代の存在と目されるのが、清水さんと親交のあるジョシー・ベイカーの店「THE MILL(ザ・ミル)」。

スペシャルティコーヒーのムーブメントを牽引した存在である「フォーバレルコーヒー」とのコラボ店舗。店内にはポップアップトースターがずらりと並び、注文するとサワードウのトーストを焼いてくれる。スプレッドとして塗る、はちみつやアーモンド、ジャムなどの食材もこだわりのサプライヤーから届くもの。コーヒーとトーストを思い思いに味わう客たちにとって、この場所は都市生活の中での重要なサードプレイス。店名が示唆するように、地元カリフォルニア産の小麦を石臼で自家製粉し、地域の農業にも貢献している。

フレッシュミル(自家製粉)、ホールグレイン(全粒粉)、サワードウが、「ザ・ミル」ジョシー・ベイカーの三原則。その日のサワードウのトーストに、ケシの実とジェノベーゼ、ヘーゼルナッツとチョコレートペーストのほか、スパイスやハーブなどを使ったトッピングで人気に。

これらサワードウムーブメントの早足な進化を支えてきたのは、「オープンソース」という理念だと清水さんは指摘する。タルティーンのチャド・ロバートソンはじめ、彼らは製法を隠そうとしない。むしろ積極的に発信し、SNSでは自らの作ったパンをアップ、尋ねられたらなんでも教える。互いに教え合うことでコミュニティ全体のレベルがどんどん上がる。まさにこれはITのイノベーションと同じ。

渋谷とサンフランシスコ(及びその周辺)には、GoogleをはじめIT企業が多いという共通点もある。渋谷がサワードウの流行を作り、その理念を世界へ発信していく街としてふさわしいのではないか、と思ったりした。


都市生活者が向き合う、極小の自然

後半はベテラン&若手のパン職人と、食で地方活性を担う3人のパネラーによって行われたパネルディスカッション「サワードウが人をつなげ、町をつくる」。

渋谷区内に本社を置くWEB制作会社モノサスの代表であり、徳島県神山で農を中心とした地方創生に取り組むフードハブ・プロジェクトの支配人でもある真鍋太一さん。最近の世界的発酵ブーム、サワードウへの注目をこのように評する。

「瓶に詰めたサワー種を旅先に持ち歩く彼らを見ていると、彼らのとってサワードウはまさに“アイデンティティ”、自分が何者であるかを伝えるものなのだなぁと感じます」。そして、「(発酵という)時間をかけることが評価される時代になってきた。(そういう価値観をもつ人たちが)渋谷という地域でつながったり、地域を超えて広がっていくのはいいことだと思います」

(右から)「ルヴァン」甲田幹夫さん、「ドウイスト」川原司さん。株式会社モノサスの真鍋太一さん。

自家培養発酵種のパンは発酵に時間がかかる。だが、イーストという大量生産される酵母を外から持ち込むのではなく、手作りしようというのがサワードウの精神。つまり、大量生産社会に対するアンチテーゼであり、そのことを象徴するキーワードがサワードウといえる。

サワードウ界の長老、富ヶ谷「ルヴァン」甲田幹夫オーナーも登壇。調布にルヴァンを創業したのは、フランスからやってきたマクロビオティックの実践者ピエール・ブッシュ氏だ。甲田さんはピエール氏の元で自家培養発酵種によるパンづくりを学んだ。氏は、味噌やしょうゆなど日本の発酵カルチャーに注目して来日したという。
ルヴァンでは小麦生産者から直接買った小麦やライ麦を石臼で自家製粉し、食べ物を決して捨てないことを実践したりと、今の食トレンドをことごとく40年前から実践していた。


参加者に配られた4種のパン。「パン屋 塩見」「ルヴァン」「ドウイスト」のほか、大阪「コーヒー&ベーカリーアルル」で80年種継ぎをする発酵種を使ったカンパーニュ。

オープンしてからおよそ40年という時間の積み重なりは、サワードウだからこそ価値を生むともいえる。時間が経てば経つほど、酵母は育ち、定着し、発酵は安定する。スタッフが変わっても店の味を確実に醸してくれる。ルヴァンの厨房の天井に至るところに見えるシミは、酵母が棲みついた跡だ。

「保健所なんかだと衛生面からステンレスにしなさいとか、そんなことばっかり。 それは種を育てていくのと逆の考えだと思うんですよね。 だから、きれいさよりちょっと汗臭い方がいいのかもしれない(笑)」と甲田さん。

サワードウの職人とは、酵母や乳酸菌の棲む極小の自然と向き合う存在である。都市に住む僕たちの傍らに存在する自然を、パンを通じて教えてくれているのではないだろうか。

笹塚「ドウイスト」川原司さんは、イーストで焼くパンとのちがいを比較しつつ「作っても作っても自分の作りたいサワードウが作れない。失敗したと思っても翌日食べたら意外とおいしかったり。いつも想像を超えてくる、それがサワードウの魅力」。そして、「世界の伝統的なパンに近づけることも大切ですが、日本における『これだ!』というパンは実はまだないんじゃないかと感じています。それを、ルヴァンに限らず、麹などいろんな発酵種も含めて、国産小麦を使った究極の日本のサワードウを作るのが目標です」
日々、今までにないパンを目指して探求する川原さんらしい言葉だった。

会場ではルヴァン、ドウイスト、パン屋 塩見という渋谷区内3店舗のサワードウの個性を生かした特別なトーストが振舞われた。作ってくれたのは、同じく渋谷区にあり、僕が「日本一のサンドイッチ職人」と呼ぶ、「Camelback Sandwich&Espresso(キャメルバック サンドイッチ&エスプレッソ)」の成瀬隼人さんだ。

(左)ルヴァン+クリームチーズ、干し柿、ディル(奥)ドウイスト+生ハム、大葉、柚子、バター(右)パン屋塩見+オイルサーディン、梅肉、ミョウガ、新タマネギ、大葉
「Camelback Sandwich&Espresso」成瀬隼人さん

サワードウがアメリカで流行っているから日本でも流行っている。そんな表面的な理解で終わるなら、このムーブメントも一過性のもので終わる。そうではなく、サワードウというカルチャーの在り方を深く掘り下げることで、日本・東京・渋谷という地域に根差し、物真似ではない唯一無二を作り出すことができる。そして、地域独自の価値の発信にもつながる。

リアルブレッドとしてのサワードウの真価はまだ汲み尽くされてはいない。

(料理通信)

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