コロナ禍を経て
目黒浩敬さん連載「アルフィオーレの農場日記」第14回
2020.06.11
連載:目黒浩敬さん連載
地元産の生乳で造る日常のチーズ。
新型コロナウイルスの影響で困難な状況に陥っている方々に、心よりお見舞い申し上げます。
新型コロナウイルス感染拡大は、局所的にではなく全世界で多大なダメージを与えていることと思います。
にもかかわらず、私は今、チーズ職人の川井智子とかねてより進めてきたチーズプロジェクトの構想を具現化する真っ只中にいます。
名前は、「Daily Dairy Products Yogurt デイリー ダイリー プロダクツ ヨールト」と言います。
訳して「日常の乳製品屋さんヨールト」。「ヨールト」とはトルコ語が語源で、「攪拌する」という意味からチーズやヨーグルトへと派生していった言葉です。
私たちが耕作放棄地を切り拓いてブドウを育て、ワインを造ってきたここ宮城県柴田郡川崎町に、ワイン文化はもとよりチーズ屋さんもありません。
川崎町自体は酪農が盛んな町ですが、地元の人々が地元産の牛乳で乳製品を作ったり、地元産のヨーグルトやチーズを食べることはありません。
日本の地方では、そういった地域のほうが多いことでしょう。
だからこそ、土地の素材で作る日常の乳製品を地元の人々に提供することには意味がある、と私たちは考えました。
年配の人が多い地方でも、みんな普通にヨーグルトや牛乳は口にしているはずです。
新型コロナウイルス感染拡大は、局所的にではなく全世界で多大なダメージを与えていることと思います。
にもかかわらず、私は今、チーズ職人の川井智子とかねてより進めてきたチーズプロジェクトの構想を具現化する真っ只中にいます。
名前は、「Daily Dairy Products Yogurt デイリー ダイリー プロダクツ ヨールト」と言います。
訳して「日常の乳製品屋さんヨールト」。「ヨールト」とはトルコ語が語源で、「攪拌する」という意味からチーズやヨーグルトへと派生していった言葉です。
私たちが耕作放棄地を切り拓いてブドウを育て、ワインを造ってきたここ宮城県柴田郡川崎町に、ワイン文化はもとよりチーズ屋さんもありません。
川崎町自体は酪農が盛んな町ですが、地元の人々が地元産の牛乳で乳製品を作ったり、地元産のヨーグルトやチーズを食べることはありません。
日本の地方では、そういった地域のほうが多いことでしょう。
だからこそ、土地の素材で作る日常の乳製品を地元の人々に提供することには意味がある、と私たちは考えました。
年配の人が多い地方でも、みんな普通にヨーグルトや牛乳は口にしているはずです。
地元の食材を地元で買えないことへの疑問。
多くの人が何の疑問も持たずに、スーパーで野菜やお米、チーズを買います。
でも、スーパーで販売されているのは、全国に流通する大手メーカーの品ばかり。
地方では、周囲を見渡せば、すぐ近くで野菜もお米も作られていて、酪農も畜産も行なわれています。日常的に必要な食材はすべて揃っている。なのに、流通するかたちになっていないから、スーパーの棚に並ばない。地元の人が食べることもありません。
それって、おかしくないですか?
そんな疑問をひとつずつ解決できたらと思うのです。
私は普段、ワイナリーの仕事がメインですが、今回、このプロジェクトが立ち上がろうとしていることをとてもうれしく思い、全力で関わっています。
でも、スーパーで販売されているのは、全国に流通する大手メーカーの品ばかり。
地方では、周囲を見渡せば、すぐ近くで野菜もお米も作られていて、酪農も畜産も行なわれています。日常的に必要な食材はすべて揃っている。なのに、流通するかたちになっていないから、スーパーの棚に並ばない。地元の人が食べることもありません。
それって、おかしくないですか?
そんな疑問をひとつずつ解決できたらと思うのです。
私は普段、ワイナリーの仕事がメインですが、今回、このプロジェクトが立ち上がろうとしていることをとてもうれしく思い、全力で関わっています。
新型コロナウイルスの影響で、私たちのワイナリーの収益も50%以上減少しました。
飲食店の売上が落ちれば、私たちの需要が少なくなるのは当然です。
それでも、ブドウ畑の世話を欠かすことはできない。ワインが例年通りに販売できないからと言って、毎年私たちのためにブドウを栽培してくださっている農家さんの収入を削りたくない。今年も予定通りにワイン造りをしようと思っています。
私たちは、収入が減ったこと以外、コロナによって変わったことは何もありません。
毎日、畑の作業をして、チーズ工房の手伝いをして、ワインのケアをして、日が暮れていきます。
至って日常です。
強いて言えば、都内で行われるイベントや試飲会などに参加できないくらいでしょうか。
毎日、田舎で生活をしていると、変わらずにきれいな景色があり、季節の移り変わりを日々感じて、大切な仲間たちと会話し、毎日の日課を当たり前にこなして、そうして一日が暮れていく。
それ以上でも以下でもない。
日常が便利になるほど、豊かさを求めたくなるのかもしれませんが、日常をミニマムに暮らしていると、不便も不満もないし、むしろ心の豊かさや優しさをたくさん感じ取れるのではないでしょうか?
それは、家族揃ってご飯を食べることだったり、地元の新鮮な野菜やお米、肉や乳製品を毎日味わえることだったり。
そういったかけがえのない時間を、一番大切な人と感じることができるのです。
今回を機に、一緒にミニマムな生活を考えませんか?
社会全体に情報やモノが溢れている今、本当に自分たちにとって必要なものとは何か、自分たちにとってかけがえのないもの探しの旅に出かけましょう。
それは、家にいて、家族と一緒に考えることができます。
それは、社会にとって、自然にとって、すべての生き物にとって、豊かさの共有につながる第一歩です。
飲食店の売上が落ちれば、私たちの需要が少なくなるのは当然です。
それでも、ブドウ畑の世話を欠かすことはできない。ワインが例年通りに販売できないからと言って、毎年私たちのためにブドウを栽培してくださっている農家さんの収入を削りたくない。今年も予定通りにワイン造りをしようと思っています。
私たちは、収入が減ったこと以外、コロナによって変わったことは何もありません。
毎日、畑の作業をして、チーズ工房の手伝いをして、ワインのケアをして、日が暮れていきます。
至って日常です。
強いて言えば、都内で行われるイベントや試飲会などに参加できないくらいでしょうか。
毎日、田舎で生活をしていると、変わらずにきれいな景色があり、季節の移り変わりを日々感じて、大切な仲間たちと会話し、毎日の日課を当たり前にこなして、そうして一日が暮れていく。
それ以上でも以下でもない。
日常が便利になるほど、豊かさを求めたくなるのかもしれませんが、日常をミニマムに暮らしていると、不便も不満もないし、むしろ心の豊かさや優しさをたくさん感じ取れるのではないでしょうか?
それは、家族揃ってご飯を食べることだったり、地元の新鮮な野菜やお米、肉や乳製品を毎日味わえることだったり。
そういったかけがえのない時間を、一番大切な人と感じることができるのです。
今回を機に、一緒にミニマムな生活を考えませんか?
社会全体に情報やモノが溢れている今、本当に自分たちにとって必要なものとは何か、自分たちにとってかけがえのないもの探しの旅に出かけましょう。
それは、家にいて、家族と一緒に考えることができます。
それは、社会にとって、自然にとって、すべての生き物にとって、豊かさの共有につながる第一歩です。