映画、音楽、Phoenix
関根拓さん連載 「食を旅する」第12回
2018.07.30
連載:関根拓さん連載
19歳の頃、僕はソフィア・コッポラの「ヴァージンスーサイズ」に出会った。
70年代のアメリカ、ミシガンが舞台の映画だ。
カラフルな映像に彩られながら主人公の5人姉妹は自らの命を絶っていく。
本当の心の内は若い彼女たち自身にもわからない。
無意識の憂鬱を背後に流れる「Playground」という曲が絶妙に表現していた。
僕は音を重視する映画監督が好きだ。
マーティン・スコセッシ、ウッディ・アレン、ウェス・アンダーソン、タランティーノ。
ストーリーにリズムとアクセントを与える音楽の存在は彼らの作品になくてはならない。
時代の空気を彼らは映像として切り取り、音で味付けをして一皿に仕上げる。
それはまるで平凡なサラダにフレッシュなオレガノとタイムを加えるような感覚だ。
音にはマジックがある。
誰もが好きな音楽を聴いた時はどこか心が躍る。
僕はこの感覚を、料理でも人々と共有したいと常に思っている。
期待と興奮と心地よさの混ざり合った形の見えない高揚感だ。
中学生の頃から続けていたギターもそのせいだ。
音を聞くだけではなく、この感覚を自分の手で再現したかったからだ。
70年代のアメリカ、ミシガンが舞台の映画だ。
カラフルな映像に彩られながら主人公の5人姉妹は自らの命を絶っていく。
本当の心の内は若い彼女たち自身にもわからない。
無意識の憂鬱を背後に流れる「Playground」という曲が絶妙に表現していた。
僕は音を重視する映画監督が好きだ。
マーティン・スコセッシ、ウッディ・アレン、ウェス・アンダーソン、タランティーノ。
ストーリーにリズムとアクセントを与える音楽の存在は彼らの作品になくてはならない。
時代の空気を彼らは映像として切り取り、音で味付けをして一皿に仕上げる。
それはまるで平凡なサラダにフレッシュなオレガノとタイムを加えるような感覚だ。
音にはマジックがある。
誰もが好きな音楽を聴いた時はどこか心が躍る。
僕はこの感覚を、料理でも人々と共有したいと常に思っている。
期待と興奮と心地よさの混ざり合った形の見えない高揚感だ。
中学生の頃から続けていたギターもそのせいだ。
音を聞くだけではなく、この感覚を自分の手で再現したかったからだ。
ソフィアの映画ではいつもPhoenixの音楽が主役だった。
ロックともエレクトロとも形容できない彼らの作品はPhoenixらしさに溢れていた。
悪戯のようにセンスよく仕掛けられた小さな音の破片が耳を擽る。
心地よい歪みを伴ったユニークな音の塊が僕はたまらなく好きだった。
空気を振動して伝わる音には国境の概念すら存在しない。
フランス・ヴェルサイユで生まれた音楽は日本にいる僕の心まで響いていた。
人生には時に映画の1シーンのようなことが起こる。
ある日、僕は音楽についてのインタビューに答えていた。
「一番好きなグループは?」
「Phoenixです」
「一番好きな曲は?」
「Too young」
「夢は?」
「いつかPhoenixに自分の料理を振る舞うこと」
数週間後、この映像を見た彼らは実際に店へと足を運んでくれた。
ただ何を作ろう。
本人たちを前に僕は少し逆上せていた。
それでも料理が進むと会話も弾み、夢の時間はあっという間に過ぎた。
「初めて味わう捉えどころのないユニークな料理だ」
とギターのクリスチャン。
それは僕が彼らの音楽に出会った時と全く同じ感覚だった。
「Phoenixの音楽も自分にとって世界で唯一のファンタジーなんです」
と僕は恐縮した。
彼らはパリでのコンサートへも招待してくれた。
夢の中で夢の時間が続いているようだった。
コンサートの後にはお腹が空くだろう。
僕は黒味噌を塗った焼きおにぎりをしその葉で巻いて持参した。
ライブの直後、彼らはパリからロンドンへ深夜に移動することになっていた。
次の朝、目覚めると嬉しいメールが届いていた。
「おにぎり、本当に美味しかった。ありがとう。バスの中でスタッフみんなで食べました」
「これからPhoenixがなくなるまで世界中すべてのコンサートに招待します。」
こんなに嬉しい1日の始まりはない。
僕らの仕事は小さな食べ物にたくさんの気持ちを込めて提供することだ。
その思いが伝わる時も伝わらない時もあるだろう。
ましてや食べ手の人を全員把握することなど不可能だ。
それでも漠然と彼らの喜ぶ顔を想像しながら、料理を日々考える。
それはちょうどPhoenixの音楽によって、僕がどれだけ幸せを得てきたか、彼らが知る由もないように。
クリスチャンとは普段から食事に行く仲になった。
今年の初め、僕らはベルヴィルにあるビストロにいた。
「僕らの好きなアーティストをたくさん招待してPhoenixのフェスティバルをパリ、ニューヨーク、ロサンジェルスでそれぞれ5日間やるつもりだ」
「可能なら、あのおにぎりを会場に来てくれるできるだけ多くの人に提供したい」と相談された。
僕はいったい何千個のおにぎりを作ればいいのかと計算してみようとしたが、すぐに諦めた。
ただ僕の中で答えははじめから決まっていた。