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PEOPLE / 寄稿者連載

「パン屋、Mamiche」

関根拓さん連載 「食を旅する」【特別寄稿】

2020.05.08

連載:関根拓さん連載




前の世界と次の世界を繋ぐ役目


世界の例外に漏れることなく、パリにもその波は訪れた。
店にたくさんのお客さんが来てくれればなによりと思っていたのは遥か遠く昔のようだ。
その週末は、家族や友人と暫しの別れを惜しむかのように、殊の外、街は賑わいを見せていた。
政府の知らせは夜7時57分に告げられる。
「4時間後の深夜0時にはすべての『非・必要不可欠』な商業活動を閉鎖する」
パリの街を彩るレストランやカフェは例としてその筆頭に挙げられた。
数日前から噂されていたものの、唐突なタイミングだった。

その頃、「必要不可欠」の定義に思い悩ます人たちもいた。
街角のパン屋だった。
若いヴィクトリアとセシルが開いた「Mamiche、マミッシュ」は9区の坂を少し登った角にある。
天然酵母と良質な小麦を使った気取らないパンは、すぐにパリジャンの心を掴んだ。
通りを歩けば至る所に目にするブーランジュリーは、この国のシンボルの一つだ。
しかし、今夜の発表ではパン屋に対する言及はすっぽりと抜け落ちていた。

翌日早朝、政府から全国のブーランジュリーに営業の継続を促す通知が届く。
オーナーの2人は動揺していた。
店を続けるべきか、それとも従業員の安全を第一に考え、窯の火を消すべきか。
スタッフの反応は2つに分かれる。
恐怖のあまりすぐさま荷造りをして故郷へ赴く者、フランス人としてパン屋の明かりを消すことはできないと、
いつもどおりに働き続けることを希望する者。その数、2対1。
目に見えぬ敵に怯えながらも、2人は残る3割の従業員と共に店を続けることを決意した。

政府から全国民に自宅待機命令が出て、パリの夜空はいつもよりもぐっと暗くなった。
それでも、この街に次の朝が来る前に、マミッシュの長い1日は始まる。
人々はベッドで眠りにつくことで恐怖とウイルスから身を守っている。
前の世界と次の世界を繋ぐ役目を担ったかのように、非日常の中で日常のパンを焼き続ける。
朝8時の開店には、早起きした人たちがクロワッサンや数日分のパンを求めて列をなす。
日が昇るにつれてどんどん長くなる行列は何も人気のせいばかりではない。
いつもよりも圧倒的に少ない人数で業務をこなすことに精一杯なのだ。






マミッシュのパンは天然酵母と上質な国産小麦から全てお店で作られる。
だから安心だし、なによりズバ抜けておいしく人気がある。
本来パン屋として当たり前の姿を貫くこと。
そこ自体に難しさがある今日の世の中はどこか逆説的だ。
それは金銭効率が「職人、Artisan」という非効率を凌駕してきた歴史に過ぎない。
それでも彼女たちは譲れない境界線にこだわり続ける。
たとえどんなに苦しい時でも。


「Solidarité, ソリダリテ」


もうかれこれ2カ月近くが経とうとしている。
強い志で支えてくれているスタッフも皆、極度の疲弊感は否めない。
膨大な一人あたりの仕事量とは裏腹に、低空飛行を続ける売り上げは、
体の疲れだけでなく、セシルとヴィクトリアの心の健康も蝕んでいくようだ。
それでも毎日、たくさんの常客の顔が目に映る。
新鮮なパンを受け取った時の笑顔もマスク越しにいつものようにそこにある。
たっぷりと距離を置いたカウンターを挟んでお互いの無事を確かめ合う。
一人暮らしの人間には数日間で唯一の人との接触になることも珍しくない。
当たり前だったはずの日常は、日の光を浴びて、いま再び極上の喜びへと昇華する。
パンという食べ物を介した存在確認。
パン屋とお客にとって、パンはただの口実の一つなのかもしれない。

毎朝、マミッシュには40人分のパンを探しに来るひとりの人間がいる。
24時間体制で働く医療従事者用のサンドウィッチを作るためのパンだ。
お代はない、むしろ彼のためにさらに1人前のパンも忘れない。
セシルとヴィクトリアはこれを「Solidarité, ソリダリテ」と表現する。
手を差し伸べられる者が、必要とする者に手を差し伸べること。
フランス人のDNAに宿るこの言葉の意味を、彼女たちはパンを通して体現する。

不安で押しつぶされそうになる。
それでも明日のことは誰にもわからない。
地球上に初めから一つの正解などというものも存在しない。
いつまでこのお店も存在できるだろうか。
諸行無常といえども少し寂しい。
それでも考えてみるけれど、そこに答えはない。

だから今日もマミッシュは自分自身のパンを作り続ける。
Mamiche Facebook/Instagram 4月10日の投稿より。




関根 拓(せきね・たく)
1980年神奈川県生まれ。大学在学中、イタリア短期留学をきっかけとして料理に目覚め、料理人を志す。大学卒業後、仏語と英語習得のためカナダに留学。帰国後、「プティバトー」を経て、「ベージュ アラン・デュカス 東京」に立ち上げから3年半勤務。渡仏後はパリ「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」で腕を磨き、二ツ星「エレーヌ・ダローズ」ではスーシェフを務める。その後、パリのビストロ、アメリカをはじめとする各国での経験の後、2014年パリ12区に「デルス」をオープン。世界的料理イベント「Omnivore 2015」で最優秀賞、また、グルメガイド『Fooding』では2016年のベストレストランに選ばれた。2019年春、パリ19区にアジア食堂「Cheval d’Or」をオープン。
https://www.dersouparis.com/
https://chevaldorparis.com/





























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