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SDGs

海洋資源を巡るエコシステムを創る

北海シェフからの便り

vol.1 プロローグ~雑魚こそ北海のアイデンティティ

2022.05.31

雑魚こそ北海のアイデンティティ。料理人、フィリップ・クライス氏が変えた、北海のエコシステム。

text by Aya Ito

連載:北海シェフからの便り


2018年4月~2020年2月にかけて、「海洋資源を巡るエコシステムを創る 北海シェフからの便り」として全9話でお届けした記事を再公開します。一人の料理人の思いが北海のエコシステムを変えることになった、その道のりを紹介します。


ベルギーの町ブルージュは、チョコレートの都として知られているが、実はチョコレートも含めて、ガストロノミーへの意識が高い町でもある。『ドゥ・カルメリート』など、長年ミシュランの3つ星を獲得してきた、若手にとってのエコールといわれる名店も多く、ヨーロッパから注目される時流に乗った店も多い。

ベルギーで2軒しかない3ツ星レストランのうちの1軒は、ブルージュの近郊にあり、今回の連載の主人公であるフィリップ・クライス氏の店も2012年から2ツ星だ。また、ブルージュのシェフたちが自ら企画する、9月開催の町をあげてのフードフェスティバルも評判である。

私が『北海シェフ協会』の存在をはじめて知ったのは、2015年、ブルージュのレストラン取材を某雑誌にて担当させていただいたときである。十数件の取材をして、驚いたことがあった。話をしたシェフが皆、口を揃えるように、「北海シェフ協会を知っているか?」と聞いてくる。「今まで見向きもされなかった北海の雑魚を、食卓に乗せようと運動する素晴らしい組織。自分もサポートしているよ」と。
調査してみなければと思っていたところ、最後に取材をしたレストランのシェフが、発起人だったという奇遇を得た。それが『ドゥ・ヨンクマン』のフィリップ・クライス氏である。
(TOP写真に写るのが、フィリップ・クライス氏(右)と服飾デザイナーであったサンドラ夫人。サンドラ夫人が、店のインテリアを担当する、まさに二人三脚)

ブルージュ市内から車で15分ほどの郊外にある一軒家のレストラン『ドゥ・ヨンクマン』。庭に配されたコンテンポラリー・アートのオブジェは、やはりフィリップと同郷のアーティスト、ウィリアム・スイートラブによるもので、エコロジーをテーマにしたメッセージ性の高い作品を作る。ペットボトルを背負う犬やペンギン、ワニが貼りついたゴルフボールなど、カラフルでアイロニーに満ちたオブジェ。穏やかな風景に、一石を投じているように見える。

庭に面した光溢れる室内で、色あいの美しいフィリップの料理が映える。

庭に面した光溢れる室内で、色あいの美しいフィリップの料理が映える。


きっかけは、日本への旅

『北海シェフ協会』を立ち上げた彼自身の動機に、親近感を覚えた。日本への旅が、それを立ち上げるきっかけになったというのだ。
フィリップは『ドゥ・カルメリート』ではスーシェフを勤め上げ、イギリス3ツ星店『ファット・ダッグ』などにも学んだ精鋭だ。勢いもあって、2006年に31歳でこの店をオープンしたが、自身の料理を生み出す自信がなく、迷いがあった。試行錯誤していたとき、たまたま日本を旅することに決めたのだという。短期の滞在だったが、実りがあった。日本の料理人が皆、素材の一つ一つに命があり、料理するときにそれに命を吹き込むという精神を持って皿に対峙している、その姿に感銘を受けたのだという。自然を尊重する心を知った。そして「自分にとって命を吹き込むことのできる対象はなんだろう」と自問自答して、真っ先に思い浮かんだのが海だった。

雑魚こそ北海のアイデンティティ

フィリップの祖父は漁師。父は料理人で、海沿いにレストランを構え、1ツ星の評価も得た。クライス氏は、そうした家庭環境のもと、海のそばで育ったという自分を振り返ることになった。しかし、その北海の魚を振り返れば、惨憺たる状況だった。海にもグローバリゼーションが進んでいた。

ヒラメやチュルボなどの高級魚は高く売れるから重宝されるが、雑魚は見向きもされない。ところが水揚げされる魚のほとんどは、雑魚である。雑魚の行く末はというと、また海に戻されるのだが、いったん水揚げされれば、もはや命はない。クライス氏は、この雑魚にこそ、北海のアイデンティティがあると気づく。
北海の魚の個性を表現して、その価値を高めていくのが、我々、北海とともに生きる料理人の役割ではないか。あらゆる意味でのエコシステムを創造していくべきだと。

フィリップの情熱に惹かれ、世界中からも研修生が集まってくるようになった厨房は活き活きとしている。

フィリップの情熱に惹かれ、世界中からも研修生が集まってくるようになった厨房は活き活きとしている。


たったひとりから1500人に。

2010年、クライス氏とともに日本へ旅し、クライス氏の信念に賛同をしたもう一人の料理人とともに『北海シェフ協会』を立ち上げたが、はじめは漁業組合などからの風当たりも強く、後ろ指もさされ、苦労は想像を絶するものだったという。2015年の取材の際には、協会のサポーターは200名となり、やっと起動に乗りはじめたと聞いていたが、今年(2018年当時)は1500 名にも上っている。

ベルギーで最大の漁港であり魚市場であるジーブルージュの朝。

ベルギーで最大の漁港であり魚市場であるジーブルージュの朝。

北海シェフ協会のサイトでも紹介する季節の北海魚を、積極的に店でも活用して、その美味しさをお客に発見してもらうという地道な活動を10年近く実践してきた。

北海シェフ協会のサイトでも紹介する季節の北海魚を、積極的に店でも活用して、その美味しさをお客に発見してもらうという地道な活動を10年近く実践してきた。

料理人同志のネットワークで、雑魚のレシピを共有し、価値を高めるという地道な活動を行いながら、物流・商流を変え、現在ではベルギー1の魚市場にも関わって、その値付けを動かすまでにも成長している。1年半前からは、世界最大級の業務用卸売り企業『メトロ』や、近々では大規模総合スーパー『カルフール』にも市場を伸ばし、今年は、オランダのシェフたちとも連携を組んで『北海シェフ協会』の活動範囲を広げて行く予定だ。
それらはすべて営利のために動いているのではなく、純粋な北海のエコシステムのためだと、クライス氏は言う。

この連載では、フィリップ・クライス氏が協会を通して活動するさまざまなマニフェストを通じて、彼自身の機動力と見つめる先を紹介していきたい。一人の思いが、北海のエコシステムを変えた。その道のりには、多くの学びが隠されている。



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